青黄
付き合い始めて数ヶ月。思春期真っ盛りな二人は早々に体の関係を持っていた。
それは強化合宿を行った二日目の夜のことだ。
黄瀬と青峰が割り当てられた部屋の中で見つめ合っている。と言うのは些か語弊がある。厳密に言えば、青峰が黄瀬に信じられない物を見るかのような眼差しを向け、黄瀬はそれに戸惑いを露わにしていた。
「お前……」
唇を震わせながら、ゆっくりと青峰が口を開く。
「溜まってたんなら言えよ!」
「はい?」
悲痛な面持ちで青峰が迫る。黄瀬はそれを仰け反って躱した。しかし、その際に傍に置いていたピンク色のボトルが倒れた。筒上のそれはコロコロと転がり黄瀬の元から離れていく。
「こんな所で一人で抜きやがって」
「ぬっ! はぁっ?」
「しかもローションまで使って……」
「や、あの、マジ、言ってる意味が分かんな」
興奮気味に言葉を発する度、青峰の瞳がギラつく。それはまるで獰猛な肉食獣を彷彿とさせた。
怪訝な表情を浮かべる黄瀬も、その勢いにたじたじである。
「隠すなよ。思いっ切り出した後じゃねーか」
それ。
と言って指された浅黒い人差し指の先には黄瀬の手の平に乗る乳白色のリキッドだった。中心に溜まっているそれは縁の所が仄かに肌の部分が透けている。見ようによってはその部分が濁った色をしているようだ。
黄瀬の顔は途端に真っ赤に染まり、わなわなと震え始めた。
「恥ずかしがらなくたっていいって。今からもっと恥ずかしい事してやっから」
「こ、ンの……っ、バカッ! アホッ! エロ峰!」
まさか罵声が飛んでくるとは思いもしなかった青峰は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。それを笑う余裕もないくらい、黄瀬は羞恥に頬を紅潮させている。
「これはっ、トリートメントっスよ!」
「はぁっ?」
今度は青峰が怪訝な表情をする番だった。
「だってお前、風呂場でも何か付けてただろーが!」
「そっちはコンディショナーっス! こっちは洗い流さないタイプのトリートメントっ!」
お前は女子か! そんな言葉が喉に出掛かる。
本当は洗い流すタイプのトリートメントも持ってくる筈だったらしい。しかし、制限時間が決まっている合宿の風呂場では髪に浸透させる時間は無いと判断したのだ。しかしそんな事、青峰の知った事ではない。
「だってお前、それ、まんま精え」
「気のせいだっていい加減気付けっス!」
「じゃ、じゃあ、そこに転がってるピンクのボトルは……」
「トリートメントの容器に決まってるじゃないスか。ちゃんと読んで。ホラッ!」
転がっていたボトルをあの時倒した方の手で拾い上げると、青峰の眼前に突き出す。納得のいかない様子で受け取れば、しげしげと文字を追った。
商品名のロゴが手の平側に来たとき、それは現れた。ニュー エッセンス イン ミルク。括弧書きで「ヘアトリートメント」と記載してある。その下には使用方法や注意書の他、成分、内容量などが記してあった。
「……マジで?」
「マジっスよ! ほらっ」
キャップを外し手の平にワンプッシュする。ポンプの小さい口から出て来たリキッドは、固よりあった乳白色に重なった。全く同じ色である。とろりとした感じも微かに香る甘い匂いも寸分の狂いもない。
「マジかよぉ……」
落胆する青峰に呆れた視線を向けながら、同じ意味が込められた溜息を吐く。
手の平でトリートメントを伸ばすと、毛先を中心に髪の毛へと浸透させていった。
美容は時間との戦いなのだ。
化粧水は入浴後、直ぐに肌に馴染ませるように、このトリートメントも髪が湿っている内にに付けるのが良い。
「ほんっと、青峰っちって巨乳とバスケとヤることしか頭にないんスね」
「最後のは黄瀬に対してだけだっつーの」
「……っば、ばッ、ばかじゃないっスかっ!」
さらりと訂正された言葉に黄瀬の顔は再び朱に染まる。唇が変な形に歪んだ。思わず緩みそうになったのを無理矢理引き締めた結果である。
「だっ、大体! あ、青峰っちが居るのに、一人でスるワケ無いじゃないスか!」
もう一度、先程までの勢いが無くなり弱々しくなった罵声を添える。頬を赤らめて俯きながらと言うその姿の何といじらしいだろうか。
堪らなくなった青峰はとうとう黄瀬をその腕の中に閉じ込めた。唐突な行動に驚きはしたけれど、黄瀬も大人しくしている。赤くなった顔を見られたくなくて、肩口に顔を埋めた。それすらも愛おしい。
そんな事をされると顔を上げさせたくなるのが性分と言うものだ。
「黄瀬」
「…………」
「黄ー瀬」
「……嫌っス」
「顔見てぇんだけど」
「もうちょっと待って……。今、超熱いから」
「だからだろ?」
「ヤダ」
「涼太」
「……っ!」
「おっ」
こっち見た。
ニヤリと青峰が笑う。しまったと思ってももう遅い。すっかり右手で顔を固定されてしまっている。
思いの外、近い距離に益々黄瀬の頬は熱を帯びた。瞳が潤み、熱い吐息が漏れる。
まるでその先を期待しているような、据え膳のような、そんな気がしてしまうのだ。強ち間違いではないのかもしれない。
「……黄瀬」
「あっ、ぉ……みねっ……ち」
二人の視線が絡まる。息が宙で混ざり合う。着実に、互いの呼吸が近付いている。
しかし――。
「ン、ンんッ!」
態とらしい咳払いが聞こえた途端、二人同時に動きが止まった。まるで油の切れたロボットのような、果ては一瞬にして凍ってしまったかのようでもある。
忌々しげに舌打ちをする青峰に対して、黄瀬は顔を真っ青にさせたり真っ赤になったりとどこか忙しない。
「邪魔すんなよ赤司!」
「邪魔してるんだよ青峰」
出入口横の壁に凭れ掛かり腕組みをしている赤司が涼しげな顔で二人を見ていた。
「オレが同室で良かったよ。名前順とは言え、緑間にこの問題児達は少々刺激が強すぎるからな」
背中を離し、ゆっくりと近付いてくる。勿論、赤司の両サイドはがら空きなので逃げようと思えば逃げられた。しかし、そうはさせてくれないのが赤司である。
その顔に貼り付けた表情はまるで能の面だ。職人の手で丁寧に彫られたそれと、彼の心情を露わにした表情を比べる対象としては相応しく無いかもしれないが。
「オレが居る限り、如何わしい事が出来ると思うなよ?」
「だったら傍観してねーで初めっから止めとけよ!」
「寸止めの方が我慢のし甲斐があるだろ?」
「質悪ィ」
「だからだよ」
黄瀬を間に挟んで交わされる会話に、黄瀬が漸くハッと我に返った。
「……『傍観してねーで』って、どう言う意味っスか……?」
先程青峰が発した言葉がどうも引っ掛かった。それではまるで、今し方入って来た訳ではない、とでも言っているようだからだ。しかも同時に、それを青峰はずっと前から知っていた、とも取れる。
「どう、と言っても。そのままの意味だが」
「だってオレと赤司は一緒に部屋に入って来たんだしな」
「へっ……?」
それじゃあ、と黄瀬の声が震えた。
つまり、黄瀬の読みはズバリ的中していたことになる。と言うことは、一部始終見られていたも同然だ。
そうと理解するや否や、黄瀬の顔はこれ以上無いくらいに真っ赤に染まった。肌が白いからかよく目立つ。
「あっ、青峰っちのっ……バカーッ!」
赤司と会話していたことで緩んでいた両腕のお蔭か、黄瀬は力一杯青峰を突き飛ばすと一目散に部屋を飛び出して行った。青峰はそのまま勢いを殺すことも無く、後頭部を派手に打ち付けるも、哀しいかな、この場には誰一人として身を案ずる者は居ない。赤司に至っては「自業自得だな」と鼻先で笑っている。
「丁度良いじゃないか。これを機に少しは自重を覚え、自制心を養え」
それだけ言い放つと、赤司は楽しげに口角を上げながら部屋を出て行った。
しまったドアの音が虚しく響く。
「くっそ……ふざけんなッ」
誰の所為でムラムラしたと思っているのか、分からせないといけないらしい。青峰の思考回路は「反省」のはの字も無かった。
その部屋は一瞬にして、獲物を狩る獰猛な肉食獣の空気に満たされたのだった。
私が使っているトリートメントがまさにそんな感じだったので、つい……。