今黄


「自分、そこで何しとんの?」

 卒業式を終えた三年生が各々のクラスで最後のHRホームルームをする。一人一人、正面黒板の前に出て一言ずつ――長さは人それぞれだが――言葉を紡ぐ。主に女生徒は涙ながらに発する者が多かった。男子はこざっぱりとしている。その中でも特に今吉は顕著であった。
 バスケ部員だった者は、ウィンターカップの誠凛戦後に行った部長引継と挨拶の方が長かった、と思ったことだろう。勿論、その通りである。「三年間お疲れさん。ほんで今までおおきに」それだけだ。
 名前順に行われたそれは、今吉がトップバッターであった。その為、周りは虚を突かれた気持ちになる。あまりの短さに担任が突っ込めば「後の人の事も考えて短縮したんやでー?」と冗談混じりに笑った。
 そんな事が随分と昔のように思える。しかし実際は三時間前のことだ。HR自体が終わったのは二時間前である。けれどもその後もクラスに残って写真を撮ったり釦をあげたりと様々な行動をクラスメート達は起こしていたので、漸く静寂が訪れたのは二十分前である。
 バスケ部で三年生の卒業祝いをするのだと事前に聞いていた今吉は校内に残っていた。約束の時間まで諏佐のクラスへ行ったり屋上へ行ったりして時間を潰す。そうして今し方、自分の教室へ戻って来た所だった。
 戻って来る際に生徒玄関を通った。ネームプレートを剥がされた靴箱には今吉のローファーしか見当たらない。
 だから、驚いたのだ。
 教室に戻った今吉が見たのは、彼の席に座る一人の少女だった。思わず見とれてしまったが、我に返った今吉は冒頭の科白を口にする。

「そこ、ワシの席やん」
「知ってるっス」
「てか黄瀬は今日、どっかの学校の卒業式にサプライズゲストで行ってたんちゃうの?」
「仕事終わって直接来たんスよ」
「自分の先輩の卒業式には参加せぇへんかったくせに」
「出来るわけないじゃないスか」

 それまで窓の外を見ていた黄瀬が、初めて目を合わせた。その大きな瞳には今にも零れ落ちそうな程に水の膜が張っている。懸命に堪えているのだろう。首筋が時折浮かび上がる。
 今吉はゆっくりと歩を進めた。廊下と教室の境界線を跨ぎ、一歩ずつ着実に近付く。黄瀬の前に辿り着けば、腰を折って顔を近付けた。その流れるような動きに黄瀬は反応出来ない。それはあまりにも自然な動きだったからだ。

「……っ」

 触れ合った唇が離れる。それに寂しさを覚えた身体は自ずと腕を伸ばしていた。
 待っていましたと言わんばかりに引き寄せられた身体はすっぽりと抱きすくめられる。一年にも満たない時間の中で黄瀬の特等席になった今吉の腕の中は、いつもより幾分か温かかった。

「そないな顔しいなや。放したなくなるわ」
「じゃあ、放さないでっ……ずっと、傍にいてよっ」

 聞いては貰えない我が儘であることなど百も承知の筈だ。それでも、黄瀬は言わずにいられなかった。そして今吉もまた、その言葉が紡がれるのを知っていた。
 二人の間に出来た時間と言う大きな差を縮めることは出来ない。けれどもそれを埋めることは出来る。しかしそれを知っているのは今吉だけのようだ。

「相変わらずええ匂いしとるな自分」
「……バカ。ばかっ、ばかバカばかっ、センパイのばかっ」
「ハハッ、えらい言われようやん」

 陳腐な罵声の連呼は、この時ばかりはなんの効力も齎してはくれなかった。強いて言うならば、今吉が抱く愛おしさが一層強まったことだろうか。
 抱き締める力を強くするなり明るい髪の毛に顔を埋める。肺一杯に取り込んだものは、良い匂いのついた酸素だった。

「ほな、しっかり頑張ってワシを追い掛けてきい。黄瀬の憧れのエースの背中やのうて、黄瀬の愛する恋人の背中やで? 間違うたらアカンよ」
「……ばか」

 すん、と詰まった鼻を鳴らす。黄瀬の方にもどうやら匂いつきの酸素が取り込まれたらしい。それはとても安心する匂いだった。また一つ、静かに涙がシミを作る。

「残り二年間、ワシの事だけ考えとき」

 穏やかな時間が流れる。制限時間が設定された世界で一秒たりとも無駄にしないようにと、二人の影は重なった。
 しかし世の中はそう甘く出来てはいない。そんな蜜な時間は、奇しくも部室で三年生を待っている新主将からの電話によって強制的に幕を下ろすこととなるのだった。



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