キセ黄


 誘いをやんわりと断る事に抵抗はない。しかしそれでも断れない状況に立たされてしまえば、最終的には承諾することになる。今回、黄瀬が渋々了承したのは桃井のある言葉に隠された事実を知っているからだ。
 昨日、部活後に青峰とワンオンワンをした黄瀬は部室に戻る道中、桃井に呼び止められていた。

「みっちゃん達がインフルエンザで休んでるの知ってるでしょ?」
「ああ、だから最近三軍が一軍の体育館とかに居たんスね」
「それでね、毎年マネージャーから部員にバレンタインのチョコをあげてるんだけど、今年は私一人で……」
「まさか……手作り、スか?」

 黄瀬が恐る恐る尋ねる。図らずも心臓が警鐘のように鳴り響く。
 青峰から桃井の料理の腕前に関しては聞いていた。当初は「オーバーだな」くらいにしか感じていなかったのだ。しかし調理実習で作ったのだと持ってきた物は、どう見ても炭で作ったアルプス山脈の模型であった。折角持ってきてくれたのだからと全体の四分の一を口に入れた――所までは黄瀬の記憶に残っている。目を覚ますと保健室のベッドの上だった。あの青峰や緑間、赤司までもがその表情に心配の色を浮かばせているくらいに、事態は深刻だったらしい。
 後に聞いた話では、山脈ではなくマドレーヌであることが判明した。成る程。道理で紫原が手を出さなかった訳だ。
 その事を思い出した黄瀬は、桃井に悟られぬよう眩しい笑顔を貼り付けた。

「流石にそれは数的に無理だから、毎年マネージャーで折半して買うことにしてるの」

 その言葉を聞いて胸を撫で下ろした。黄瀬にとっては初めてバスケ部として迎えるバレンタインである為、毎年どんな形式なのかさっぱり分からないのだ。
 命の保証が証明された事で、黄瀬は本題に移る。

「で? オレは他の子から貰ってるから必要かどうかの確認っスか?」
「違う違う。きーちゃんも部員なんだからちゃんとあるよ。そうじゃなくて、配るのを手伝って欲しいの」

 毎年物心ついた頃から二月十四日は必ずチョコレートを貰っていた。それは年を重ねれば重ねる程、数量も増加していく。特にモデルを始めてからは顕著だ。その為、数年前から大きい袋を用意している。

「ちゃんと一軍用、二軍用って袋に分けてるから」
「なんだそう言う事なら手伝うっスよ」
「ほんとっ? ありがとう!」

 突然花が開花したような笑顔でお礼を口にする桃井が愛らしく思える。よもや彼女がダークマターの生産者だと誰も思うまい。
 しかし黄瀬はふと疑問に思うところがあった。

「男のオレが渡したって誰も喜ばないっスよ?」
「大丈夫! みんな事情は知ってるし、こう言うのは気持ちが大事なんだから。それに、きーちゃんだからお願いしたんだもん」

 最後の意味が良く分からなかったが、手伝う約束をしてしまったのは事実である。
 現在、黄瀬は、あの時詳しく訊くべきだったと後悔するももう遅い。残された道は腹を括るしかないのだ。

「じゃあ、私は二軍と三軍に配ってくるね!」
「あの、桃っち」
「ん?」
「これ、意味あるんスか……」

 泣きたい気持ちを抑え、恨みがましい視線を桃井に向ける。彼女はパンパンに膨れた袋を両手に提げたまま黄瀬の方へと振り返った。満面の笑みである。

「すっごく可愛いよ! みんなきっと喜ぶから!」
「全然答えになってないっス!」

 まるでジャパニメーションに出て来る魔法少女の様なふわっとしたパニエが、動きに合わせて揺れている。
 一体どこで入手したのか、黄瀬は甘いチョコレートを彷彿とさせる配色の服を着ていた。ベストタイプでフロントのボタンはダブルだが、それが板チョコのようなデザインになっている。キラキラと光る金色の糸は、高級な金糸ではないにしろ細いながらも存在感があった。やや派手目な装飾だからだろうか。男の胸板がそれによってうまく誤魔化されているようだ。
 パニエで膨らんだスカートは純白である。下着が見えぬようにと着用させられたドロワーズも同色のものだ。しかし寧ろ穿いてしまった方が恥ずかしさが増す気がする。
 思い切り露出している肩や二の腕はそれを隠すように赤いケープで覆われている。丁度肘辺りまで隠れるので座るなり遠くから見るなりすれば男とは思われないだろう。
 筋肉質な脚はヒールの低いニーハイブーツによって太腿の一部しか見えない。ラメ入りのストッキングが演出を買って出ている。
 更に桃井が気合いを入れて黄瀬にメイクを施し、ウェーブが掛かった金色セミロングのウィッグをつけて今の黄瀬が完成した。ケープとお揃いのカチューシャはオプションのようだ。

「桃っち……オレ、手伝うとは言ったっスけど、この格好については何も聞いてな」
「これならみんな女の子から貰ってる気分になるでしょ?」
「や、それはどうっスかね」
「ほらほら、みんな体育館に待たせてるんだから!」

 強引に背中を押され、渋々部室から出る。練習開始前に、各々の体育館で待機させてから渡すのが恒例らしい。
 重たい足を何とか動かせば一軍が使用している体育館が見えてきた。

「じゃあ、後は宜しくね!」
「えぇっ! 桃っちは一緒に居てくれないんスか?」

 渡り廊下の別れ道で、直線に進もうとする黄瀬とは別に桃井は曲がろうとしていた。

「勿論。私は二軍と三軍に渡すんだから一緒には居られないよ」

 そう話したじゃない。なんて軽い口調で笑う。益々黄瀬は泣きたくなった。そして心の底から後悔したのだ。けれども後の祭である。
 遠ざかる桃井の背中を見送り、黄瀬はいよいよ腹を括るしかない。ゆっくりと深呼吸を繰り返す。こうなったら自棄だ。そんな気持ちで彼は体育館の扉を開けた。
 音を立てて開いた扉を今か今かと待ち構えていた部員達は一斉にそちらを見る。そして袋を抱えた人物が姿を現した時、皆一様に動きを止めた。

「……黄瀬、か?」

 半信半疑の声音で問う赤司に、黄瀬は頬を赤らめながらも小さく頷いた。せめて笑い飛ばすなり気持ち悪いなり、何かしらアクションを起こして欲しいものだ。これでは本当に居た堪れない。
 黄瀬の肯定に館内は一気にざわめいた。

「桃井から黄瀬が手伝うと聞いてはいたが。まさか此処までとは予想外なのだよ」
「さつきも偶にはやるじゃん」

 緑間が眼鏡のブリッジを上げる間、青峰が口角を上げて笑う。その値踏みするような視線はどうも居心地が悪い。

「黄瀬ちん可愛いー」
「黄瀬君、お似合いですよ」
「全然嬉しくないっス」

 休み時間にクラスの女子から貰っていたチョコを咀嚼しながら紫原が感想を口にする。隣に立っていた黒子も彼に同意するように頷いた。
 自他共に認めるイケメンである黄瀬は、男として大切な何かが壊れる音を聞いた。

「ああもう! 桃っち達からのチョコ渡すっスよ!」

 自暴自棄に叫べば漸く周囲の好奇なざわめきは喜色のそれへと変わる。
 黄瀬が袋から透明フィルムの小袋を取り出せば、口を結ぶリボンと一緒に小さなタグが付いていた。其処には「To.」の印字の後に、桃井の字で部員の名前が書いてある。そこで、そう言えばと部室でメイクアップしている時に話していた内容を、ふと思い出した。
 毎年そうしているのだそうだ。これは全員分あるかどうか確認作業が出来る上に個人に宛てた物なので貰った方も嬉しさが多少増加するのだと言う。心理的なものなのだろう。黄瀬には詳しい仕組みは全く分からなかった。

「じゃあ次は……青峰っち!」
「おー、サンキュー黄瀬」
「何してんスか。さっさとチョコ取って欲しいんスけど。次に移れないじゃないスか」

 黄瀬はその愛らしい姿とは打って変わって、チョコの渡し方は何とも色気も何も無いものだった。片手で差し出しながら、その体勢は中腰である。もう片方の手は床に置いた袋の中で、次のチョコを掴んでいた。唯一色気を見いだすならば、中腰故に上目遣いになる所だろうか。背後に回ればパンチラのようにドロワーズが見えているだろう。
 青峰は差し出した方の手首を掴み、黄瀬を引き寄せた。服の構造のお蔭か、括れた細腰が目立つ。そこに反対の腕を回し固定すると二人の顔は一気に距離を詰めた。

「青峰っちってば」
「チョコよりお前が食、イテぇっ!」

 近過ぎる距離がより一層縮んだ時だ。青峰の腰と頭に勢いのついたバスケットボールが直撃した。
 ぎょっとした黄瀬が青峰から彼の背後に視線を移す。その先にはシュートフォームの緑間とキセキの世代しか取れないと言うパスの姿勢でいる黒子が居た。なるほど。突如現れたボールは彼らが放ったらしい。

「ふざけんなっお前らっ!」
「ふざけてんのはどーっち?」
「いででででで頭潰れる頭割れる」
「捻り潰すよ」
「お前が言うとシャレになんねーからヤメロ! まじヤメロ!」

 怒りの籠もった睨みを緑間と黒子に向けると、青峰の視界は遮られた。それは紫原の大きな手が青峰の蟀谷こめかみを握るようにして、彼の顔を覆っているからだ。これには流石の青峰もどうすることも出来ない。紫原の握力の強さは春に行われた体力テストの結果で思い知らされている。
 抑揚のない声が余計に青峰の恐怖心を煽った。伸ばされた腕をタップしてギブアップを告げる。けれども紫原の手がそれ以上の動作をする事はない。
 その理由は言わずもがな、赤司の存在だ。

「さて、黄瀬。オレたちはまだ貰ってないんだが。当然あるんだろ?」
「勿論っス、けど、あの、青峰っちは……?」

 黄瀬の背後に回っていた赤司は袋の中身を覗き込む。青峰に向けていた視線は、彼の登場により其方に向けられた。けれども矢張り青峰の状態が気になるようだ。
 心なしか青峰が変な汗を掻いているように思える。大人しくなり始めたのはそのせいだろうか?

「青峰なら心配には及ばない。後でメニューを増やすようコーチに進言しておくよ」
「ふざけんな赤司ィ!」
「紫原」
「イデデデデデッ!」

 黄瀬には何がどうなったのか分からない。が、青峰の反応を見る限りでは、紫原が手の力を強めたようだ。
 黄瀬は恐る恐る口を開いた。

「あの、その前に、そろそろ青峰っちを解放してあげてくれないっスか? 流石に、頭割れちゃうっスよ」
「黄瀬は慈悲深いな。セクハラを働いた青峰を心配してやるなんて。だが問題無い。手加減はしている」

 そう言う問題じゃない、とも言えず、黄瀬は曖昧に頷いた。

「抜け駆け禁止ですから」
「独り占め厳禁なのだよ」
「つまりはそう言う事だ」
「……はぁ……?」

 黒子、緑間、赤司の言葉が何を指しているのかは全く分からないので、黄瀬は首を傾げた。それでも彼らはそれ以上何かを言う素振りは見せず、深く掘り下げることは叶わない。
 取り敢えず早く渡して早く着替えて早く部活に参加しよう。そう考えをシフトチェンジすると、もう気にはならなかった。

「ハッピーバレンタインっス!」

 こうして女性に扮した黄瀬が微笑みかけながら手渡すチョコは当事者の知らない所で大反響だった。
 まさか高校生になってまで同じ事をする羽目になるとは、この時黄瀬はおろかバスケ部員も知る由も無い。



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