宮黄


 来週ある撮影の為の打合せがあったので、黄瀬は部活終了後、東京の事務所まで赴いた。そうして今し方神奈川のマンションに帰宅したばかりである。時刻はもう夜の十時半を回っていた。夕飯がてらの打合せだったのは幸いだった。
 しかし黄瀬は明日に備えてまだやるべき事が残っている。鞄から手帳を取り出すと、その月のページを開いた。明日の日付の所に真っ赤なハートのシールを貼り、「デート!」と書いてある。次ページの一週間毎に書き込めるスペースには待ち合わせ時間や場所などが事細かに書き込まれていた。勿論、「誰と」行くのかも。

「お風呂入んなきゃ!」

 こうしちゃいられないとバタバタしながら湯船にお湯を貼る。しかし今回は半身浴だ。マッサージやヘッドスパも通常より念入りにする。トリートメントも毛先を中心に馴染ませ保湿も怠らない。
 お風呂上がりのスキンケアも余念無く徹底する。撮影のある日以外は殆どしない美容液パックのシートを顔に乗せた。
 その間に見もしないテレビを点け、洋服箪笥を覗く。近くのベッドの上にはファッション誌が開いてある。

「宮地さん、どんなのが好み何だろ……」

 クローゼットも開けてあれも違うこれも違うと服のコーディネートを考える。
 スタイリッシュな感じ? それともカジュアルテイスト? デニム素材を入れた方が良い? 分からない。ワカラナイ!

「あれっ? もしかして『クロトーーーク』終わっちゃった?」

 気付けばいつの間にかアイドルグループのライブ密着ドキュメンタリーが始まっている。ポニーテールがトレードマークのアイドルがピンのバストショットで映る。
 あ、宮地さんの推しメンの子だ、と思った時には複数人に変わっていた。

「デフォルトの衣装は赤地に黒チェックなんスかねー」

 彼女らのホームにある劇場のライブシーンでは良く見かける衣装を身に纏って踊っている。衣装のデザインは皆若干違いがあるようだ。しかし同じデザインもあるので恐らくは各チーム毎に揃えているのだろう。全員に共通するのは黒の編み上げブーツだけだった。

「あんな感じのブーツなら確か……」

 玄関のシューズボックスを開ける。黄瀬の住まうマンションはなかなかに収納がワイドだ。上の方に置かれた真っ白の箱を取り出す。
 蓋を開ければ汚れ一つ無い、シックなブラックのブーツが入っていた。以前、一目惚れして購入したのは良いものの、履く機会が訪れずに今までずっと箪笥の肥やし状態であった。スタイリッシュな服には馴染むし、カジュアルな服では足元でキリッと締めてくれる。つまりフォーマルな格好以外であれば合う万能ブーツだ。

「これを逃したらまた暫くは履く機会ないっスよ。じゃあいつ履くの? ――今でしょ!」

 どこかの進学塾のCMで聞いたことがあるようなフレーズを口にする。それが彼の背中を押したことは間違い無い。

「宮地さん、気付いてくれるかな」

 靴を玄関に並べて再び服が散乱する部屋に戻る。黒いフード付のパーカーの裏地が赤地に黒のギンガムチェックであるのを確認すると、次はインナーとボトムだ。
 テーマが決まると難航していた作業がスムーズに行われる。目的の服を探しながら散らかした服を同時進行で片付けていった。

「あ! もう時間過ぎてんじゃんっ!」

 顔面に貼ったシートを丁寧に剥がす。さして美容には興味の無い者からしてみれば、見た目的には変わらない。しかし黄瀬自身は満足げである。
 学校の鞄から明日使うバッグに必需品を詰め替える。もう一度手帳で時間の確認と「デート」の文字を見たくて開くと、挟んでいた紙の角が飛び出していた。そのページを何気なく捲った黄瀬は、思わず綻んだ。
 近年では男性同士の使用は断られる事が多い中、珍しく規制が無かった機械で撮ったプリクラだった。「最後の一枚だよ!」機械から流れた声に、さて次はどうしようかと悩んでいる間にもカウントは始まる。無難にピースでいっか、とモデルにあるまじき安直なポーズを取った。
 けれどシャッター音が鳴る直前の事だ。肩に腕を回されたかと思えば身体は簡単に宮地の方に傾く。回された手は顎を掴み固定されてしまっていた。宮地の顔が近い気がする。そう思った時にはシャッターが鳴り、同時に唇に何かが触れた。

「……え?」
「この前言ってただろ」
「この前……」

 それが少し前に電話で話した内容の事を指していると理解するのには時間が掛かった。何故ならば黄瀬は「宮地さんとチュープリ撮ってみたい」と思いはしまが口には出していないからだ。あれはクラスの女子に見せて貰ったプリクラばかりを貼り付けたプリ帳の中の一枚を見てそう思ったのだ。その日の夜に電話で話したことはプリ帳の可愛さだとか変顔が秀逸だとか彼氏持ちの女の子のは殆どチュープリがあったとかで、一切撮りたいとは口にしていなかった。
 けれど宮地はその話し声や話し方から感じ取ったのだ。黄瀬が奥底に隠した本音を掘り当てた。

「この時の宮地さん、照れてて可愛かったけど格好良かったなー……」

 嬉しくて、しかし同時に恥ずかしくて、泣いたのか笑ったのか良く分からない表情をした気がする。切り離していない台紙を大事に手の平に乗せる。
 スタンプで各々犬耳と猫耳を付けたバストショット、黄瀬が一方的に腕に抱き付いているフルショット、黄瀬のドアップと空いたスペースに笑う宮地の全身とその逆のパターンも撮った。そして矢張り目に付くのは二人の距離が埋まったワンショットだ。

「また一緒に撮ってくれるかな……?」

 今度は自分からやってみよう。胸の内に決意を秘めると、台紙を手帳に戻した。その手帳もバッグに詰める。アラームと壁に掛けた服を確認してテレビと部屋の明かりを消す。
 ベッドに潜り込み、最後にメールを起動して就寝の挨拶を打った。寝ているかも知れないと思ったけれどどうやら杞憂に終わったらしい。返ってきたメールを開けば、黄瀬は枕に顔を埋めてしまった。手にした端末は枕横に投げ捨てられてしまっている。

「あーもう、クッソっ」

 どうやら頭の良い彼には単純な黄瀬の思考回路などお見通しらしい。

「絶対ぇ遅刻しないっスよ!」

 布団を被って瞳を閉じた。眠りに落ちるまで瞼の裏に映すのは数時間後に会う予定の愛する人だけだ。

――まだ起きてんのかよ。風邪引くぞ。遅刻しても知らねーからな。もし、ちゃんと時間通りに来られたら、また撮ってやるよ。おやすみ――



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