青黄


(コレのおまけ?)

 六月十八日。王室の最も広いホールで御披露目の宴が催された。開始時間ぴったりに姿を現した皇子は護衛を一人携えての登場だ。
 場内は時間が迫っても一向に現れない皇子にさざめいていた。けれども豪奢な扉が開いた刹那、誰もが息を呑んだ。上座に座っていた王と王妃までも言葉を失っていた。

「本日はご多忙の中、私の為に遠路遥々ご足労頂きまして心よりお礼申し上げます。私が帝光国第一皇子、黄瀬涼太でございます。皆様方のお力添えに賜りまして、無事、この日を迎えることが出来ました。まだまだ若輩者ではございますが、これからも何卒宜しくお願い申し上げます」

 水を打ったように静まり返る中、黄瀬の声が響き渡る。マイクを使わずとも声が届いたのは、軍の基礎に発声があるからだ。上官の声が聞こえなければ、その時点で死が一層間近に迫る。それ程、隊長格の声には重責がのしかかっていた。それ以外も軍で鍛えられたと言うのもあるのだろう。その堂々たる態度は凛々しさを助長させた。
 ひらりと羽織ったマントが靡く。腰を折って恭しくお辞儀をする様に、壁際で待機していた音楽隊の指揮者はハッと我に返った。タクトを振り上げると楽団も己の楽器を構える。そして指揮者の腕が振り下ろされると一斉に音が奏で始めた。それを合図に人々に声が戻る。

「青峰っちはこっち」

 傍に居たから聞き取れた黄瀬の声に、小さく頷く。そうして連れられたのはこの国を統治する国王が座す席だった。それはつまり同時に彼が黄瀬の父親であることを指す。初めて間近に見る国のトップに図らずも青峰の中に緊張が走る。
 傷一つ無い元気な姿で現れた黄瀬に王も妃も涙ぐんでいた。けれども抱き締める事は出来ない。そんな事をしてしまえば、皇子が行方不明であった事を公にしていない今、不自然極まりないその行動を不審がる者が少なからず出てしまう。それは黄瀬にも伝わったのか無言で微笑むだけに留めた。
 黄瀬が会場の真ん中で一人の女性とワルツを踊る傍ら、皆の視線が二人に向いていることを逆手に取り、王は青峰を傍に寄らせた。そして油断すれば音楽にかき消されてしまいそうなくらいの小さい声で耳打ちしたのだ。「ありがとう」と。

「良いのかよ」
「何がっスかー?」

 現在、黄瀬と青峰はあのパーティー会場に来る前に立ち寄った一室に居た。まさかそこが黄瀬の部屋だとは思うまい。けれども道理であの時部屋の中に入った黄瀬の動きに無駄が無かったわけだ。
 青峰は如何にも高級感溢れるソファーに腰を下ろしていた。目の前で黄瀬が無造作にマントを脱ぎ捨てる。装飾品を本来の軍部から支給された紋章や飾りに付け替えているようだ。

「まだパーティーが始まって二十分だろ」
「お披露目は一番初めに終わったんスから、オレは用済みじゃないスか」
「けどよ……」

 インパクトの大きい登場の仕方とタイミングにより参加者には強烈な印象を植え付けられただろう。しかしだからと言って主役が全体の八分の一の時間しか居ないと言うのも如何なものだろうか、と青峰は思う。本来ならば伯爵や男爵など一人一人に挨拶をするべき所だ。けれど黄瀬は「いいんスよ」と笑った。

「登場で粗方認識してもらったし、ダンスも公衆の面前で踊ったんスよ? これも立派なお務めでしょ。後は明日に備えて少しでも体力を温存したいだの何だのってそれっぽい理由を付けちゃえば、誰も咎めないっスよ。だから大丈夫」

 そう言うものだろうか。青峰としては人が大勢いる場所よりも、こうした個室の方が仕事はし易いので、一概に黄瀬の退席が悪いとも思えない。当事者がそう言うのであれば、と青峰は早々に反論する事を放棄した。
 それを体現するかのようにソファーの背凭れに上半身をつけた。

「それに、王室の正装じゃないし。長居する方がバレる確率は高くなるし、後々面倒になるんスよ。あー、でもこれでオレの居場所が割れちゃったっスねー」

 明日の挨拶回りでもマントは必須らしい。だから黄瀬は取り出してきた奥の別室ではなく、彼らが居る部屋に設置されているクローゼットに収納していた。漸く毎日見ていた黄瀬の姿だ。

「青峰っち」
「あ?」
「スンマセンっした」

 来場者の前で見せた優雅なものではない。黄瀬が腰を折り頭を下げているその姿は、上司に対するそれだ。
 確かにキャリアも差はあるし准将と大将と言う差も大きい。けれど日頃の彼らは上司も部下も関係無い付き合いをしていた。それだけに畏まった態度を――ましてや赤司を前にしているわけでも公の場でもない、二人だけの密室である――取られてしまうと、青峰も居心地が悪い。しかも目の前の金髪は、部下と同時に軍が守るべき国の皇子である。益々胸中には靄が掛かる。

「赤司っちに命じられた日にはもう腹を括ってたんス。いつかこうなる日が来ることも知ってた。けど、青峰っちが当てられて、怖くなったんス。情け無いけど……。皇子だって黙ってた事を怒るかなとか、もうオレを黄瀬涼太として扱ってくれないかなとか、キセキはおろか軍にも居られなくなるかなとか、そしたらもう青峰っちの傍に居られない、から……っ」

 深々と下げられた頭は未だに青峰を向いている。旋毛から伸びた髪は緩やかな曲線を描き重力に従う。嗚咽混じりの声は震えていた。涙は、見えない。
「取り敢えず顔を上げろ」「嫌っス」「いいから上げろ」「無理っス」「上官命令だ」「……うぜえ」そんな寄せては返す漣のような押し問答の果てに、そろそろと黄瀬の上体が動いた。強く閉じられた瞳を開ける事も強要すれば、濡れそぼった眩しい色の瞳が現れる。瞬間、溜め込んでいた涙が下瞼の縁から溢れ出た。瞬きの度に長い睫毛がしとどに濡れていく。

「ハッ、ぶっさいく」
「……っるさ、い」

 気怠そうにソファーから立ち上がり、軽やかにそれを飛び越えた。そうしてソファーの背凭れとクローゼットの間に立つ泣き虫皇子の前に出る。
 未だに身体の横に付けられた両腕を青峰の手が掴む。呆気に取られているその隙を突いて自らの方向へと引き寄せた。何の前兆も無かった行動に成す術もなく、それ以前に彼との距離が近かった為にどうこうする暇も無かった訳だが、黄瀬は青峰の肩に顔を埋める形になった。

「オレだって怖かったっつの」
「何で?」
「別にお前が任務失敗しようが逃げようが構わねーよ。けど、そうしたらお前は殺されんだろ。それが一番怖ぇよ」

――お前がオレの前から居なくなる方がよっぽど怖ぇ。
 耳元で囁く低音に、黄瀬の身体がふるりと震えた。逃がさない、と言うよりは何かから守るように抱き締めた腕はちょっとやそっとじゃ外れないだろう。

「青峰っち……」
「あ?」

 固より逃げるつもりなど無いが。
 青峰の方へと伸ばされた腕は、しっかりと背中に回された。彼の軍服に皺が出来ている。掴む力を強めれば、それはより鮮明な物へとなった。

「不束者ですが、宜しくお願いします」
「ハハッ! それじゃあ嫁入りじゃねーかっ」

 そうは言っても青峰の表情は至極楽しげに笑っている。抱き締める力が強くなった。

「ま、安心してオレに守られてろよお姫サマ」
「オウジサマ、っスよ。ナイトサマ」

 湯張り終了を告げるアラームが鳴るまで、彼らが離れる事は無かった。



あれ?裏を書く予定だったのに…あれ?
本当は青峰に会うまでの黄瀬について触れたりとかしたかったのに。あれ?



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