青黄


(コレの続き)

 赤司に命令された日の翌日から、オレは忙殺される日々を送っていた。それは同時に黄瀬の姿を見ていない日数でもある。
「何処にも行くな」そう言った後、黄瀬はへらりと笑っていた。「オレはアンタの飼い猫か何かっスか」と笑い飛ばして身を翻す。その背中が何故か無理しているような気がしてならなかった。それなのに、オレはそれ以上声を掛ける事が出来なかった。
 そうして任務遂行すべき日が明日に控えた今日、オレの苛立ちは最早限界を超えた。それを知っているからこそ、テツもさつきも何も言ってこない。

「黄瀬はまだかよ!」
「机を叩かないでください。壊れます」
「アイツがしくじったらオレの首も飛ぶんだぞ! テツ! お前何も聞いてねぇのかよっ!」
「ですから、何も聞いていないからこうして代わりに雑務をしているんじゃないですか。青峰君が人生最大の最高任務を命じられてるんですから」

 嫌味ったらしくクリップで留められた紙束を積み上げられた山に音を立てて乗せる。「剣胼胝ならぬペン胼胝ですね」だの「腱鞘炎になりそうです」だの「随分溜め込んでいましたからね。この山をボク一人で提出するのは骨が折れそうです」だの「頭を使った挙げ句体も酷使しなければならないんですね」だのそりゃもう毎日姑の小言のように、チクチクと地味な口撃をしてくる。
 あまりにもうざかったから提出する際は他の部下を呼んだ。呆れた目をされたがオレはそれ所じゃ無い。

「青峰君が苛立っているのは、それだけではありませんよね」
「あ?」
「いえ。独り言です」

 執務室にはテツが動かしているペンの音しかしない。

「最終チェックも兼ねて稽古してくるわ」
「行ってらっしゃい」

 毎朝自軍の幹部と会議があるから軍には顔を出している筈だ。しかし同時間にオレも会議があるし、事が事だけにサボる訳にもいかない。だからオレがアイツの姿を見掛けるのは通常よりも困難だ。
 結局、黄瀬が報告しに来る事は一度も無かった。
 そして迎えた当日。
 ギリギリ待っても黄瀬は姿を見せない。オレは赤司の指示で皇子不在の王室で待機していた。
 内部では、黄瀬が重責に耐え兼ねて逃げ出したのではないかと、根も葉もない噂話が飛び交っている。漸くお堅い幹部にも信頼を得られた矢先にこれだ。

「あの……間もなく御披露目のパーティーが……」
「んなこと分かってる!」
「ス、スミマセンッ!」

 苛立ちをとうとう隠しきれず、部下の大佐をつい怒鳴り散らしてしまった。八つ当たりも良いとこだ。情け無ぇ。

「あー……悪い」
「い、いえ……」
「取り敢えず全員配備に付いとけ。まだ時間はあんだろーが」
「は、はいっ」

 ベルトに繋げた青い懐中時計を左手で掬う。開けば正確に秒を刻む針がアンティーク調の文字盤の上を動いていた。キセキと呼ばれるオレ達のみに渡される時計は全員物は同じだが色違いだ。
 秒針は何度一周しただろう。その度に長針がゆっくりと右に動く。後五分。長針が真上に来れば、タイムオーバーだ。そうなれば約束通り責任を取らされるだろう。あの赤司のことだ。幾ら遠方に逃げたとしても、幾ら地獄の底まで逃げたとしても、必ず捕まえると断言出来る。伊達に長く付き合っていないのだから。
 黄瀬を死なせたくはない。オレの心中はその事だけが割合を占めていた。
 針が、更に横にズレた。

「――青峰っち!」

 後四分。黄瀬は姿を見せた。
 風に浚われてもキレイに靡くだけの髪は乱れている。スタミナはオレ以上ある奴が、息を乱している。額には汗が滲んでいる。暑いのか、いつも身形には気を遣う奴が、軍服を乱している。
 その光景は異常だった。けれどもオレは安堵したのだ。心の底から。黄瀬に漸く会えた事で荒れた気持ちが凪いでいく。
 けれども黄瀬は探し人を連れては居なかった。そこには、黄瀬、唯一人だけが立っていたのだ。
 それでは駄目だ。これでは、黄瀬が責任を負わされる。
 オレの動揺が伝わったのだろうか。黄瀬は息を整えると、眼光鋭く真っ直ぐに見つめてきた。

「絶対に青峰っちは死なせない」

 静かに、けれども有無も言わせぬ物言いに、オレは唾液すらも飲み込めなかった。否、飲み込む程の量も口内には無かったのだ。それ程までに中は乾いていた。

「オレは、もう逃げないっス」

 ああ。お前は逃げていたのか。これは根拠のない噂話の勝利だな。

「行こっ、青峰っち!」
「行くって……どこに?」

 突然腕を掴んできた黄瀬はそのまま近くの部屋に入って行く。幾ら護衛を任されている身とは言え、此処は王室だ。勝手に部屋に入るなどあってはならない。

「おい!」

 ましてや、室内の備品を無断で拝借するなど言語道断だ。
 あろう事か、黄瀬は部屋のチェストから新品同様の肌触りの良さそうな真っ白のタオルを引っ張り出しただけでなく、それで汗を簡単に拭い始めた。死ぬ前に一度はやっておきたかった事を実行しているのかとさえ思ってしまう。
 汗を拭きながら奥の部屋へと入ると何やら物色する音がする。正直、オレは気が気でない。寧ろ、黄瀬が姿を現さなかったあの時の方がマシに思えた。

「ちょっとこれ持ってて。もう時間無いっスよ!」

 急かしながら黄瀬は布の塊を抱えて出て来た。それをオレに押し付けると、再びオレの腕を掴む。そしてまさかの全力疾走だ。しかも「それ、落とさないでね」と釘を刺された。
 そもそも時間が無いのは誰の所為だ、と言えば、目を丸くした後に申し訳無さそうに「オレっスねー」なんて暢気に返すものだからイラッときた。両手が塞がって無かったら確実に殴っていた。

「ストップ!」

 一際豪奢な造りの扉の前で、黄瀬が待ったを掛ける。オレと同じ場所から色違いの懐中時計を取り出すと「うっわ、ギリギリ」と呟いた。

「一分あれば充分っス」

 両脇と中央に佇む門番は勿論オレの部下だが、三人共揃いも揃って訝しげな目で此方を見ている。オレだってコイツの行動がイマイチ読めてねーんだよ!
 しかしそんなオレの心情を知ってか知らずか、黄瀬はオレに持たせた布の塊の中に手を突っ込んで何やらまさぐっている。軍服の装飾品――しかも位を表す物までも外す。代わりに布から取り出した装飾品を付け始めた。

「ウチの軍服自体、なかなか上等品なんで誤魔化しは利くと思うんス」

 正直、言っている意味が分からなかった。本来軍服に付いていた物は、無遠慮に全てオレのパンツやジャケットのポケットに突っ込まれる。
 好き勝手しやがって。後で覚えとけよ。
 そんな思いを込めて睨めば、へらっと締まりのない笑顔を向けて来やがった。つい、ケツを蹴ってしまったのは仕方がないだろう。

「よしっ。残り二三秒!」

 最後に汗を拭いたばかりの髪にワックスを付けて整えると完成らしい。ワックスのケースはもう要らないのか、中央の門番に投げ渡していた。
 何となく、だ。何となくだが、恐らく外れてはいないだろう。此処まで来たら嫌でもある可能性が浮上してくるものだ。何故、赤司が黄瀬に命じたのか。何故、ギリギリになったのか。何故、我が物顔で部屋に入り備品を使用したのか。何故、こんなにも胸がざわつくのか。

「行こう、青峰っち!」

 オレの両手にあった布の塊を大きく広げて背中に回す。美しい艶を出しながら靡くそれは、王室の者だけが付けることを許されている留め具で固定された。
 一級品のマントを羽織っても引けを取らない黄瀬は、間違いない。コイツが――。

「時間っスよ。青峰大将」
「命に代えましても必ず御守り致します」

 固く閉じられた扉が、今、開いた。



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