火黄
あいつは犬で、猫だ。
テツヤ2号とじゃれている黄瀬を見てそう思った。あいつは犬だと。
相変わらず「黒子っち黒子っち」うるせぇし、話を聞けば海常とも上手くやってるみたいだしって言うか笠松に毎日肩パン食らうってお前何してんだよと言いたくなる。
けれどもあいつは猫だ。
特に、俺の側に居る時なんかは犬っ気なんてさらさらない。一体どこにそんな切り替えスイッチがあるのか不思議に思う。
吊り気味の切れ長の目に何度心臓が大きく跳ねたか知らない。
昼間は一対一をせがむうるせぇ犬だが、俺とあいつの二人になればすり寄って誘う猫になる。
ほら、今だって。
「日向さんっ日向さんっ! 俺と一対一して欲しいっス!」
「はあっ? 何でだよ。っつかお前普通にウチに居るけど海常だって練習あるだろうが。帰ってそっちでやれよ!」
「今日、どうしても外せない仕事だったんスよ〜。現場から誠凛さんが結構近かったんで!」
「だからって来るなよ!」
「え〜。良いじゃないっスか〜。黒子っちにも会えてー、火神っちにも会えてー、一石二鳥っス! ……ってェ!」
「お前にしかメリット無ぇじゃねぇかダァホ!」
キャプテンが黄瀬に肩パン食らわせてる所を初めて見た。恐らくやった方もやられた方もお互い初めてなんだろうけど。
「誠凛さんには、ほら……いつもの練習に俺と言う刺激物が入ってマンネリ解消っス! で、ついでにギャラリーが増えてやる気も出るっしょ?」
「確かにキセキ相手に練習出来るならそりゃ願ったり叶ったりだがギャラリーに関しては寧ろ気が散るわ!」
「……と言うか、自分で刺激物って言う表現もどうなんだ?」
「伊月先輩、だから言ったじゃないですか。黄瀬君は勉強はイマイチですって」
「黒子っちヒドいっ!」
いつにも増してギャーギャーとうるさい。それでもこれ、一応ゲームの最中何だよなって思うと矢張り普段の練習とは一味も二味も違う。
攻撃パターンも守備パターンも種類が増える。
たった一人、部外者が入ったってだけなのに。
「っつーか、黄瀬! お前何俺の代わりに出てんだよ!」
「へっ?」
ガンッと音を立てて黄瀬が放ったボールはリングに当たりコートの外へはみ出た所でブザーが鳴った。
フリーのレイアップだったのに。
「キセキが――しかも海常のエースが、今の外しちゃダメだろう」
「ちょっ! や、今のって完全に火神っちが……ッ」
「黄瀬君、自分の失態を他人のせいにしてはダメです」
「黒子っちぃ」
涙目になる黄瀬がわたわたと腕を懸命に動かしている。一八〇超の男のくせに、なぜかこういう時は小さく見えるのが不思議でならない。
そうしてムウ、と頬を膨らませながら俺の方へと近付く。
「大体火神っちが授業中に眠りこけて居残りさせられてたのがいけないんスよ。俺は代理で出たまでっス!」
「なッ! 黒子っテメェッ!」
「先輩方に説明してた時に彼が来たので」
大体授業中の居眠りなんか誰だってするだろう。それこそ黄瀬だってやっているに違いない。
俺は大きく息を吐き出すと黄瀬の腕を掴んだ。そしてそのまま出入り口へと引き摺る。
「えっ、ちょ、え?」
上着と鞄も途中で拾ってやる。
目を白黒させながらも大人しく俺に引かれるがままの黄瀬に少なからず優越感と言うか満足感と言うか。
多分、黄瀬は繋がれている手が気になって仕方がないのだろう。滅多にやらないから、あいつにとっては不意打ち以外のなにものでもない。
「おらっ、もう俺が来たんだから代理は必要ねぇだろ。出てけ」
「うわっ」
そう言って繋いだ手を思い切り前に出す。遠心力で黄瀬の体は俺の前方へと移動した。
「火神っち……」
さっき黒子達の前でみせた涙目とは違う。本当に泣きそうな目で俺を見る。
「……ホラ」
「これ……」
今にも泣きそうな黄瀬に、ポケットから取り出したものを投げる。右手は俺に繋がれたままだったのであいつは左手でそれを取った。
手中のそれを不思議そうにまじまじと見つめている。
「鍵?」
「先入ってろ」
俺のマンションの鍵を渡せば、黄瀬の顔は一気に赤く染まる。そして戸惑った表情を見せた後、嬉しそうにふわりと笑う。
そして、体育館の中からは死角になっているのを良いことにあいつは俺との距離を詰めた。ほぼ密着しているようなものだ。
「待ってる」
「……おう」
数センチ低い位置にある目が俺を見上げる。弧を描く唇も、それらのパーツで出来た顔自体、色香を纏っていた。
「誘ってんのかお前」
「家に帰って来るまではお預けっスよ」
「……覚えてろよ」
去り際に、デカい声で「お邪魔しましたー!」と体育館内に向かって叫んでいた。それが届いたらしく、「おー」とか「お疲れー」とか返事が返ってきて黄瀬は嬉しそうだった。
「じゃあ、火神っち」
「ん」
黄瀬の顔が後頭部へと変わった時、俺もあいつに背を向けて歩き始めた。
けれども一歩踏み出した所でそれは阻まれてしまう。背中に突如受けた衝撃によって。
「早く帰って来ないと俺、帰るっスよ?」
「……ッ!」
後ろから思い切り抱き締められ、耳元で囁かれる。その際にシャンプーの良い匂いが鼻を掠めた。
直ぐに離れていく体温に気付いて俺が振り向いた時にはもう、黄瀬は背中を向けて歩いていた。腕を伸ばしても届かない場所へ。
「覚えてろよ」
俺の呟きが聞こえるわけがないけれど、俺はあいつの背中に向かって言わずにはいられなかった。
今日は練習が楽しくなりそうだ。