キスハナシ


一口噛むと口の中いっぱいに瑞々しい食感が広がる。咀嚼する度にシャクシャクと音が漏れているんじゃないかと思う程だ。
八等分に切られ、円を描くように盛り付けられた梨にまた一つ爪楊枝が突き立てられた。ずぶずぶと奥まで差し込む。さっきはやり過ぎて持つところが短かったので今度は注意を払いながら刺した。
すんなり刺さらないところがそれの実が締まっていることを物語っていた。

口の中で小さく噛み砕かれた果肉を嚥下すると、手持ち無沙汰になった右手が新しい獲物を捕らえる。カチャカチャ、ザーザー。そんな音とテレビから聞こえてくる音をBGMに、佐久間は突き刺さっている梨に噛み付いた。

「んめー」
「それは良かった」

互いに背を向けているから表情は分からない。それでもお互い相手がどんな顔をしているのか想像はついているのだろう。夕飯後の洗い物をしている源田は返事をしながらも手は動かしたままだ。かく言う佐久間も咀嚼しながら感想を言っていた。無表情ではあったけれど、明らかに機嫌が良いなと源田は背中で感じていた。

「あ」
「んぁ?」

梨を上下の前歯で甘噛みした時、頭上から不意に声がした。そう言えば、水の音が消えたなあ…何て考えながら佐久間はそれを口にくわえたまま首だけを動かす。すると声の主――洗い物を済ませた源田が少し不機嫌な顔で佐久間を見ていた。

「何だよ」そう言いかけた時。小さく「へ」の字に結んでいた源田の口が開いた。

「一人で全部食べてる」
「へ?」

源田の言葉に左目が僅かに見開く。口から三分の二程突き出た梨はそのままに、一端首を動かす前の状態に戻した。目の前に置かれた皿に視線を移すと、未使用の爪楊枝が沢山入った楊枝立て(ペンギン型)と目が合う。そこから少し視線を手前にずらせば皿の底に描かれた些かリアルなペンギンのイラストが全てキレイに見えていた。

「…うあん」

再び首を動かして源田を見ると、変わらず不機嫌そうな顔をしている。取り敢えず、(いくら美味しかったとは言え)源田が皿を洗っていた6分の間に食べ尽くしてしまった事に関しては流石の佐久間も悪いと思っているらしい。素直に謝罪の言葉を述べるもくわえたままなので子音が全て取っ払われてしまっていた。これでは謝罪しても本気としては捉えてもらうのも難しいだろう。

「せめて一つくらい残してくれたって…」
「うあん」

珍しく拗ねた口調で話す源田にもう一度謝った。暫しの間無言で見つめ合う。時間にしてみれば10秒も無かっただろう。しかしお互い無言なだけあって、その時間が長く感じられた。

そんな中、何かが閃いたのか、佐久間が右手で自分の隣を二、三回叩いた。瞳は源田を映したままだ。未だに拗ねた雰囲気を出しながらも大人しく彼の指示に従う。少しだけ距離を置いて座ったのは彼なりの反抗なのだろう。
そんな意図を知ってか知らずか佐久間はずいと距離を縮めた。

「ん」
「ん?」
「ん」
「んん?」
「ん!」
「何なんだ」

撥音だけの会話に早々と終止符を打った源田は不機嫌な顔から困ったような表情へと変わっている。眉を「ハ」の字にして、意味が分からない事を訴えていた。しかしそんな思いも何とはなしに、佐久間は未だに「ん」を続けている。

痺れを切らしたのか、突き刺したままだった爪楊枝を抜くと佐久間はその先端部で梨を示すように差した。そして次第に近付いてくる佐久間の顔に気付くと漸く彼が何を言わんとしているのかが分かったらしい。一瞬にして源田の顔が真っ赤に染まった。

「あ、さくっ…ま」

消え入りそうな声で何とか名前を呼ぶ。しかし佐久間の動きは止まらなかった。そして逃げ続けた結果、佐久間の向こう側に天井が見えたことでもう逃げ場が無い事に気付く。

源田の背後には床。いつの間にか顔の両側に置かれた褐色の腕。活発に活動し始めた心臓は暫く収まりそうもない。

遂にはみ出していた梨の端っこが源田の唇に触れた瞬間、佐久間の左目が妖しく笑った。更に果肉が唇を圧迫する。先端が上唇と下唇の間に入り、前歯に当たるのが分かった。
恥ずかしさのあまり自然と潤んだ瞳が佐久間を捉える。目を逸らしたいのに逸らせない、目蓋を閉じたいのに閉じられない。得体の知れないシグナルが勝手にシナプスに侵入してきたかのようだ。

「ん」

沈黙を破った佐久間の一言に源田の唇がゆっくり動いき、そして申し訳程度に果肉を噛んだ。それが梨を通して佐久間に伝わると、彼は満足げに笑った。

それからはどちらともなく瑞々しい音を立て始めた。目的地は果肉の中心か、それともその先にある瑞々しくそして艶めかしい赤い果肉か。

キッチンの蛇口から一粒の雫がシンクの上に落ちた。





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