背比べ


ガリガリ、ガリガリ…


最近、朝食の前になると必ず姿を消す人物がおよそ三名。毎朝顔を洗って、競争するようにバタバタと何処かへ走って行く。廊下は走らない、といくら注意してもこの時ばかりは直らなかった。砂木沼に「説教するか?」と提案されたが、朝食の時にでも話すことに落ち着いた。

「いっただっきまーす!」

相変わらずどのメンバーよりも無邪気声で挨拶をするのは決まって先程の三人だ。霧隠、成神、幽谷は恐らく誰が一番早く食べ終わるかを競争しているのだろう。三人共必死にがっついていた。

「お前達、早食いは体に良くないぞ」
「ゲフッ」
「ゴホッ」
「う…っ」

集中を削ぐように突然俺が話し掛けたからか、同時に食べ物を喉に詰まらせてしまったらしい。

「だ、大丈夫か?!」

すまない、と謝りながら成神と幽谷の背中をさする。霧隠の背中は砂木沼がさすってくれた。まだ彼も食事中だったのにも拘わらずわざわざ中断させてしまい申し訳無さが胸を締め付ける。

「源田ぁ〜」
「っあー…苦しかった」
「ケホッケホッ」
「す、すまない…。まさかそこまで驚くとは思って無かったんだ」

しゅん、と肩を落としながら言うと成神はにっこり笑って「大丈夫ですよ」と言ってくれた。それにつられるように幽谷も笑って「平気です」と言葉にする。有り難うの気持ちを込めて二人の頭を撫でてやると猫や犬のそれと同様、気持ち良さそうに目を瞑った。

「で、何か用?」

俺が質問の答えを言う前に霧隠はお茶をぐいと飲み干す。まるで彼の心中を察したかのように砂木沼が湯呑みに新しくお茶を注いだ。

「お前達、朝食の前いつもどこに行ってるんだ?」
「三人仲が良いのは感心するが、廊下を走るのは感心しないな」

今まで黙っていた砂木沼も俺の言葉に続く。少し厳しい口調だったが、決して怒りを露わにしているわけではない。それくらいは霧隠達にもちゃんと伝わっている筈だ。

「え…っと、トイレ?」
「どうして疑問系なんだ?」
「トイレです!連れションですっ!」
「あっちはお手洗いの方向では無い筈だが?」
「あ、…の、その…、えっと…」

霧隠を庇うように成神が焦った口調で話すものの砂木沼の鋭い指摘に言葉を詰まらせた。だからか幽谷が更にフォローしようと口を開いたのだが、良い言葉が浮かばなかったのか口ごもってしまった。

「絶ーっ対怒るから言わない」
「怒られるようなことをしてるのか?」
「…ちょっとだけ、です」
「悪いと分かっていながら何故やる?」
「手っ取り早いと言うか、その時はそれしか方法が浮かばなくて」

気まずそうに話す姿は時々見る小さく縮こまった姿だ。こうした三人は砂木沼や監督に怒られた時に良く目にする。

なかなか本質に触れようとしないので、どうやって引きずり出そうかと考え倦ねていると霧隠が上目気味に此方を見た。

「怒らない?」
「え?」
「絶対怒らないって約束してくれたら、話す」
「内容にもよるんだがな…」
「じゃあ話さない」
「わかった。怒らない」
「ホント?」
「ああ、約束する」
「わかった!」

指切りをすると、霧隠は朝食を掻き込むように口の中に入れると立ち上がった。その様子に成神や幽谷は驚いていたようだったが、観念したのか同じように掻き込む。だから早食いは良くないと言ったのに。

「こっち!」

元気の良い「ごちそうさまでした」は打ち合わせしたんじゃないかと疑うくらい揃っていた。それから腕を引かれて合宿所の奥へと連れて行かれた。前につんのめりそうになったが何とか転ばずに霧隠のリードについて行くことが出来た。砂木沼は幽谷に腕を引かれ、成神に後ろから押されている。

「そう急ぐな」
「だって時間が無いです!」
「休憩したらもう練習が始まっちゃいます!」
「むう」

珍しく彼らに言いくるめられている砂木沼があまりにも新鮮だったから、つい、唇が弧を描いた。

辿り着いたのは行き止まりの壁と柱が並んでいる場所だった。壁と言っても突き当たりは物置になっている扉があるのだが此処は鍵が掛かっていて開けることは出来ない。普段から使用されていないからか、この場所は他と比べて薄暗かった。

「ここなのか?」
「おう!」
「何もないが…」
「そっちじゃなくて〜」
「こっちです」
「ここっ!」

成神が指を指したのは扉の近くにあった柱だった。ぱっと見ただの柱のようだが。近付いて漸く気付いた。

「あ」
「…お前たち」

砂木沼も気付いたようだ。呆れた声に怒気は含まれていない。ひたすら呆れた様子だった。

柱には刃物による横線の傷が複数刻まれていた。バラバラの長さではあるが縦に整列している。

「朝測った方が一番身長が伸びてるらしいんだよね!」
「少しずつですけど伸びてるんですよ」
「誤差はあるかも知れませんが…」

その傷は成長期真っ只中の成長がしっかりと記録されていた。大変アナログ(と言うよりは原始的)ではあるが。

「全く…お前たちは」
「いでっ」
「いだっ」
「あいたっ」

ゴツン、と良い音が三回聞こえたかと思うと霧隠と成神、そして幽谷が頭の天辺を抑えていた。隣の砂木沼の右手には拳が握られている。「まったく」と呟く声に怒りの感情は無かったものの、プラスの感情が読み取れるわけでもなかった。

「怒んないっつったじゃんかあ!」
「それは源田が約束したことだ。私はそんな約束をした覚えはない」
「ずりぃーぞ!」
「事実を述べたまでだ」

涙を瞳に纏わせながら自分の背丈よりも高い砂木沼を見る。偶に霧隠が俺と同い年だということを忘れてしまいそうになるのはこう言った無邪気な言動がそうさせるのだろう。

「どれが今朝のなんだ?」

思わず口に出した言葉に痛みに耐えていた三人の表情が一気に明るくなる。痛みなどどこ吹く風だ。

「これです!」
「これとこれが俺と幽谷でこっちが霧隠先輩」

指でなぞられる柱の傷は痛々しく感じられ無かった。傷が成長を伴っているからだろうか。

「大きくなったな」

そっと傷に触れる。傷となり凹んだ部分が他とは違う肌触りをしていた。鋭い感触だったのに、なんだか暖かい。

霧隠が一番小さいんだなあ、なんて考えながら指を上から下へと滑らせる。指が傷の部分に触れる度に一時停止した。大して変わらない横線だが、確かに違う。

「源田」

低い声で名前を呼ばれたので返事の代わりに振り向けば、意外と近距離に砂木沼が居たものだから思わず後退りをする。しかしそんな距離があるわけもなく、そのまま背中を柱にぶつけてしまった。頭の後ろからゴン、と鈍い音が直接脳に響く。砂木沼の唇が目の高さに来たものだから「痛い」と言いそびれてしまった。

無言で渡されたボールペンを思わず受け取ると、今度は砂木沼が柱に背中をくっつけた。そこでやっとその意図に気付いて、それならばと先程彼がやったように俺も柱にボールペンで一本線を引いた。砂木沼は俺よりも身長が高いので少し背伸びをしなければならなかったが。

そんな俺たちの遣り取りをただ黙って見ていた三人に、俺は笑って告げた。

「これで俺も砂木沼も共犯者だな」

そこで漸く理解したのか、呆けた表情から驚いたものに変化すると思い切り俺たちに抱き付いてきた。勢いがついていたので若干よろめいたが直ぐ後ろが壁だったので倒れることは無かった。

「せんぱああああああいっ」
「キャプテーーーーンっ」
「うわああああんっ」

俺よりも小さい体なのに抱き締める力は相当なものだった。そこは矢張り男子なのだ。

「早く追い付くといいな」

砂木沼が呟いた言葉に、俺も彼らの頭を撫でながら小さく同意した。


柱に刻まれた新しい傷――黒いインクで引かれた二本の細い線はそのずっと下にある今朝付けられた三本の傷の成長をただ黙って見守る暖かさが感じられた。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -