ボーイズ・ビー・アンビシャス [ 5/5 ]



 合宿所から少し離れた海辺をビーチサンダルで足跡を付けていく。さざなみの音が静かな空間に響いた。
 黄瀬らが普段生活している所ではこうもキレイな夜空を拝むことは出来ないだろう。満点の星空を見上げながら黄瀬は砂浜の上を歩く。
 その時だ。只でさえ外灯も無く暗いと言うのに上を向いて歩いていた為、大きめの石か貝殻を踏んだ瞬間の反応が遅れてしまった。更に腰に鈍痛を感じる今は余計に、だ。

「うわっ!」
「……気を付けろ」
「……赤司っち?」

 けれども幾ら待てども体が砂の上に叩き付けられる気配はない。それよりも先に人肌の温度を感じる少し筋肉質な何かに支えられていた。
 呆れたような溜息混じりの声には聞き覚えがある。顔を上げれば案の定、憮然とした表情の帝光バスケ部主将が其処に居た。

「どうしたんスか?」
「お前が海辺に向かうのを見掛けたから」

 ちょっと気になって。そう言って口元だけに笑みを浮かべる赤司に心臓が跳ねる。

(……あれ?)

 昨夜の出来事があったからか、ゆっくりと黄瀬に負担を掛けぬように立たせる。赤司と触れていた背中が急に寒くなった気がした。
 胸の奥の何処かがキュッと痛む。寂しい。そう、感じているのだ。

「昨日は……本当に悪かった」
「へっ!?」

 突然の話題に間抜けな声が出る。昨日、と言って彼女の脳裏に浮かぶのは男女間のベタなハプニングである。しかしそれだけならばまだ良かった。
 黄瀬の場合、あろう事か月経であることを知られてしまっただけでなく実際に見られてしまったのだ。それこそ死にたいくらい恥ずかしかった。そんなまだ一日も経たない出来事をそう簡単に忘れられる程傷は浅くない。

「や……あの、それは……その」

 桃井から就寝前に聞いた話では、黄瀬が出て来る前まで只管正座でお説教を食らっていたらしい。過密スケジュールでハードな練習をこなす彼らは翌日も同じ事をするのにも拘わらず安息の時間を満足に与えられ無かった。そんな彼らは今日の日中の練習ではいつも通りであったが、どことなくまだ疲れが残っているようにも見えた。

「只、本当に悔しいな」
「何がっスか?」
「涼の裸を他の奴らも見たこと」
「そっ、れはっ……も、忘れて欲しいっス!」
「ははっ」

 辺りは暗い。だから視認は出来ないだろうが何となく、赤司にはバレている気がした。黄瀬自身でも顔が赤くなっている事はそこに集中する熱が嫌でも教えてくれている。

「助ける時、真っ先に戦力外通告を受けた事が……ね」
「え?」
「主将として、何より男として、我ながら情け無いと思ったよ」
「赤司っち……」

 口調は変わっていないのに若干声のトーンが沈んだように聞こえる。しかし俄に信じがたい。あの赤司だ。常に上に立つ彼が自分の事で気を落とす事があるとはどうにも考え難い。
 けれどもそっと頬に触れられた指先からは、そんな普段の彼からは想像も付かぬ程の弱さが伝わったような気がした。

「赤司っち?」
「涼」

 ピン、と空気が緊張で張り詰めた。
 けれど黄瀬の心音は夜の海のように凪いでいる。それなのに体中が言うことを聞かず思うように動かない。これでは錆びだらけのロボットだ。
 そうなるのは、言わずもがな、赤司の声音と真摯な瞳のせいだ。

「好きだ」

 海から吹いた一陣の柔らかい風が黄瀬の髪を攫い、二人の間を抜けた。

「お前の一生をオレにくれないか」

 それは只の告白ではない事くらい分からない年齢ではない。モデルをしていても、いつか好きな人の隣で純白のウェディングドレスを身に纏う妄想をしたのも一度や二度ではなかった。
 そんないつ訪れるのかも分からない、約束もされていない不明確な遠い未来が今、酷く現実的な物へと変わろうとしている。

「い、しょ……う?」
「ああ。一生」
「それ……は、つまり」
「来るべき日が来た時、黄瀬の姓を捨てて赤司になって欲しい」

 矢張り信じがたい。頭ではそう思うのに心は期待を膨らませ、脈拍として具現化する。黄瀬を見詰める赤司の瞳が、変わらず澱みない真っ直ぐなものだったからだ。
 瞬きをする前に黄瀬の瞳から一粒の雫が落ちた。

「わた、私っ」

 痛い。腰より、下腹部より、何より胸が痛い。今の状態を的確に表す言葉が有るとすれば〈胸が一杯〉だろう。
 涙が風に攫われることは無かった。けれどその代わり、時にはボールを操り時には将棋の駒を弄る赤司の指が目元に優しく触れる。

「もう、他の人にも色々見られちゃったっスよ?」
「けど、全部じゃない」
「それってどういう……ッ!」

 どういう意味、そう続く筈の言葉は徐に重なった唇に吸い取られた。直ぐ近くに波の音がする筈なのに掠りもしない。消えてしまったのではないかと錯覚してしまうくらいだ。
 そっと離れた唇は波よりも間近にあった。

「涼の全てを暴くのはオレだ」

 熱の籠もった視線に射止められてしまっては素直に、そして従順になる他無い。

「だから、オレと契りを交わしてくれないか?」

 眼前の形の良い唇が弧を描く。問い掛けているのに答えはもう既に知っているみたいだ。否、事実知っているのだろう。赤司はそう言う男である。
 そして今黄瀬が欲するそれを与えないのも彼の誘導の仕方だ。言うまではお預けだと愉しげに笑う瞳が語る。

「…………はい。私で良ければ喜んで」
「流石オレの選んだ女なだけある」

 ふわりと微笑んだ黄瀬に倣うように赤司も穏やかな笑みを浮かべたが、しかしそれは直ぐに引き寄せられた力によって隠れた。触れ合った箇所から伝わる愛しさが体中をトクトクと心拍に乗って巡る。
 これから部屋に戻ったら釘を刺そう。そう心に決めた事に賛同するかのように海が鳴いた。
 二人の誓いの口付けを知るのは、深い闇に覆われながらも美しく輝く星空と水面に月を浮かべて歌う優しい海だけである。

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