バストトーク [ 2/5 ]



 目蓋の裏にうっすらと明るさを感じる。それが蛍光灯か何かの光だと理解すると聴覚が機能を復帰させた。聞こえてくるのは知っている男声だった。それが分かると強張っていたらしい体からふっと力が抜けた。
 火照った肌に感じるのはそよそよとした優しくて柔らかい涼風である。

「ん……」
「黄瀬っ!」
「あ……ぇ、っちぃ?」

 口から出た声は酷く掠れていて母音だけはしっかりと出ていたが、子音は全て無声化されてしまっている。その為、ちゃんと相手に伝わったのか正直なところ不安ではあった。

「峰ちんのえっちー」
「青峰君、えっちですね」
「そう言うことならばお前を黄瀬に近付けさせるわけにはいかないのだよ」
「大輝、お疲れ。もう戻って良い」
「ふっざけんなよテメェらっ!」

 現状がイマイチ把握出来ない黄瀬であるが、視界一杯に映るのは自分を覗き込むようにして囲む五人のレギュラー達だった。
 一体自分はどうしたのだったか。そしてここはどこだろうか。そんな事を未だぼんやりしている頭で考えていると、徐々に海馬の奥底から記憶が蘇ってくる。他のマネージャーと別れて黄瀬は一人で大浴場を使っていた。そろそろ上がって掃除の準備に取り掛かろうとした所に彼らの声が聞こえてきた。だから浴槽の隅で身を潜めていたのだ。そこまで思い出してふと疑問が生じた。
 それならば何故、自分はこんな所に横たわっているのだろうか、と。

「えー……っと」
「黄瀬さん、お風呂で倒れたんですよ」
「湯当たりなのだよ」

 黄瀬の様子に気付いた黒子が疑問の解決を手伝う。それに続けて緑間が原因を添える。
 先程から気持の良い風が送られていたのは黒子が団扇で扇いでくれているからだとここで漸く分った。

――ああ、そうだ。私、倒れたん……ん?

 ある考えに行きついた黄瀬の顔がサーッと青褪める。出来ればそうであって欲しくないがしかしそうでなければ自分がここに居る理由の説明もつかないのもまた事実である。気になるが訊いてしまうと恥ずかしさで死ねると思った。
 震える声で、内心「違うと言ってください」と願いながら彼女は口を開いた。

「あ、の……何で、私、ココに寝てるんスかね……」
「黄瀬ちんちゃんと食べてるー? マジ軽かったしー」

――うわああああああああああああああああっ!

「――っ!」
「黄瀬ちん真っ赤〜」

 心の中では目一杯叫んでいたのだが実際それが声になる事は無かった。紫原の言葉に一気に体温が上昇するのが分かる。両手で顔を覆うも耳や首も赤く染まっているのであまり意味は無い様にも思えるが隠さないよりは幾分もマシである。
 今の黄瀬の心境としては、矢張り『恥ずかし過ぎて死にたい』だろう。
 目の奥がじん、と熱くなる。涙線が刺激され、涙点からじわりじわりと透明の雫が作り出されているのが分かった。

「も、忘れてほしいっス! ホント、も、ヤダ……」
「いやお前、大きさは惜しいけど形はマジで良かったって」
「サイテーっス! アホ峰のえっちッ! バカッ! ばかぁ……っ」

 何とか堪えようとしていたがしかし本格的に涙点は開いてしまったらしい。生産された透明の液体は目尻伝いに重力に従って轍を作る。

「それは一体何のフォローなのだよ」
「青峰君、少しはデリカシーと言う言葉を覚えた方がいいですよ」
「峰ちん自滅―」
「大輝、お前もう帰れ」

 非難轟々である。冷たい視線が青峰に集中する中、眼下ではぐすぐすと女子が泣いている。これは非常に居た堪れない状況であった。
 しかし、今の黄瀬が目に毒な光景であると感じるのが青峰だけに留まらない所は彼らも一端の思春期男子である。
 黄瀬が豪快に倒れた後、ざばざばと音の方へと全員で移動してみれば、そこには仰向けで水面に浮かぶ黄瀬が居た。幸いにもここのお湯はやや乳白色に濁ったものであったのだが水面下に沈んでいない――つまり、見えてしまう――部分は仕方が無い。

「何で黄瀬が居るんだよ!」
「マネージャーは全員隣りの湯を使っていると思ったが?」
「それよりも早く黄瀬さんを……」

 一先ず当然のように浮かんだ疑問は置いておく。そこで問題になったのは誰が脱衣所まで運ぶかであった。
 体格的に考えて赤司と黒子は即行選択肢から外された。これには男としてのプライドが抉られたのだがしかし事実であるので反論も出来ない。悔しげに自分達よりも巨体の三人を睨んだ。そして心にそっと誓ったのだった。直ぐに追い抜いて見せるから足を洗って待っていろ、と。しかし二年後も追い抜く事はおろか、追いつく事すら出来ていないなどこの時の赤司と黒子は思ってもいなかっただろう。
 巨体三人の内、青峰は赤司の強い反対により彼もまた即行で選択肢から外された。
 当然異議申し立てをしたが「お前は信用出来ない」と一蹴されてしまったのだ。それに青峰以外の三人が揃って頷くものだから最早反論の余地すら与えられなかった。
 残ったのは緑間と紫原であるが、黄瀬が倒れる前に話していた≪黄瀬のバストトーク≫の内容から言って青峰同様信用に欠ける。しかし青峰よりはマシだと思ったのだろう。何か邪な事をしでかそうものならばいつでも攻撃態勢に入れるようにすれば良いだけの話しだ。
 赤司の判断の元、その役得にありつけたのは紫原である。緑間が落とされた理由としては、単に視力の悪さからであった。
 視力が悪い為に黄瀬を運ばせても彼女の裸体を鮮明な映像として海馬に保存する事は先ず無いだろう。けれども見えていないからこそ、浴場という危ない場所で彼女を任せる訳には行かなかった。

「真太郎が一人で転ぶ分には一向に構わないが、黄瀬も巻き添えにするのは耐え難いからね」

 これには緑間も納得せざるを得なかった。この時ばかりはレーシックをその目に施すべきかどうか悩んだのは彼本人のみが知りえる事実である。

「取り敢えず、脱衣所に長椅子があって良かったのだよ」

 こうなった経緯を聞いた後に、緑間が眼鏡のブリッジを上げながら言う。そこで今自分が椅子に寝かされているのだと気付いた。同時に、現在の格好にも、だ。

「あの、流石にボクらで服を着せるのはどうかと思ったので……」
「……みんな、見たんスよね?」

 黄瀬は只バスタオルを縦に二枚掛けられているだけであった。背中にも一枚敷いてある。
 彼女の問いに答える代りに皆、静かに頷いた。視線を逸らしているのは申しわけ無さからだろう。

「本当はね、涼が居るって知ってた」
「はっ!?」

 突然の赤司の告白に黄瀬だけではなく、他の四人も驚愕の声を挙げていた。それもその筈である。初耳なのだから。

「何故止めなかったのだよ!」
「どうしてそれを早く言ってくれなかったんですか!」
「赤司テメェあわよくば偶然を装って黄瀬の裸見られるとか思ってたんじゃねーだろうな!」
「峰ちんじゃないんだから有り得ないしー。でも赤ちん、何で黙ってたのー?」

 全員の視線が赤司に集まる中、怪訝な視線に混じって黄瀬は困惑したそれを向けていた。寝かされている経緯について話してもらっている時に涙は止まっていたものの、しかしその目の周りは赤い。未だ涙が残っているのだろう瞳は薄い水の膜で濡れてゆらゆらと揺れている。
 そんな黄瀬に気付いたのか赤司は手を伸ばし、優しく頭を撫でた。

「気付いたのは皆が既に中に入った時だよ。オレが最後だったからな。入る前に偶々オレ達が使った棚の向い側にある棚を見たんだが、そこの一番下の一番端の籠に見慣れた衣類が入っているのが見えてね。もしやと思ったんだ。だが清掃中の札も出ていなかったし、まあ出し忘れの可能性も大いにあったけど、取り敢えず涼がどこまで身を潜めていられるのか興味もあった」
「赤司っちの鬼ぃ……」
「黄瀬さんの話に移った時、殆ど口を開かなかったのはその為だったんですか……」

 自分の株を下げない為に。
 一同は各々溜息を吐いた。それこそ長い物から短い物、少量の物から多量の物まで十人十色である。

「まさか一番熱い場所でじっと我慢しているとは思わなかったけど。それから湯気の量も予想外だったかな」

 薄らと視認出来るくらいであれば頃合いを見計らって声を掛けるつもりだったようだ。しかしそれも今となっては後の祭りである。

「でも、助けてくれた事は感謝してるっス。ありがと……」

 いつもより力無い笑みではあったが、どうやら回復に向っているらしい。その兆しに彼らも安堵する。

「黄瀬、水分補給しろよ」
「ありがと、青峰っち」

 手渡された清涼飲料水のペットボトルを受け取るとキャップに指を掛けた所で黄瀬は嬉しそうにフフッと笑った。

「青峰っち、デリカシー無いくせに気を利かせるくらいは出来るんスね」
「あ?」
「何でもないっス」

 キャップを回そうとしたら、既に開けられている事に気付いたのだ。しかも黄瀬が開けやすいように軽めに閉められている。
 これでデリカシーもある男ならば確実に惚れていたかもしれないな、等と考えたが直ぐに頭を振った。今、自分は何をバカな事を考えていたのだろうかと。きっとそれもこれも今現在自分が弱っているからだと半ば強引に理由付ける。
 風邪を引いた時に寂しくなるような、そんな感覚だと言い聞かせる。そして彼らも病人にする優しさなのだと、決して特別なものではないのだと。
 だから、普段はそっけない黒子がずっと隣りで扇いでくれている事も、俺様でジャイアニズムな青峰のさり気無い気遣いも、あらゆる事に無関心な紫原がお菓子を食べる事もせずに心配そうな眼差しを向けてくれていることも、普段は素っ気無い緑間が体に負担を掛けないように優しく支えて起こしてくれている事も、あの陰では魔王と呼ばれている赤司が今は人の子に見える事も、全て今限りのものだ。
 そう思わなければ勘違いしてしまいそうな自分に心の中で嘲笑した。弱っている時に向けられる優しさ程残酷なものは無いのかもしれない。
 そんな時だった。体の異変に気付くと眉根を寄せる。

「ッ!」

 すっかり失念していた。
 どうして桃井達と共に入らなかったのかという本来の理由がすっかり頭から抜け落ちていたのだ。

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