ボーイズトーク [ 1/5 ]



「あ、桃っち達はそっちに入ってて。私は隣を使うっス」

 そう言って桃井達から分かれて小一時間が経ち、今現在、大浴場には黄瀬が一人貸し切り状態で使っている。別段この浴場を独占しよう等と言う考えがあったわけではない。ただ、皆と共に入るには些か気が引ける理由があったのだ。
 彼女、黄瀬涼が帝光男子バスケットボール部のマネージャーになって初めての合宿に来ていた。毎年マネージャーが男女の浴場を掃除しているらしい。だから基本的に部員が全員入った後に入るようにしていた。そして今回は黄瀬が他のマネージャー達を女子風呂に入らせ、自分は男子風呂に入る旨を伝えたのだ。
 それは何故か。女子が皆と風呂を共にしない理由は大凡一つしかない。所謂≪女子の日≫と言うやつだ。

「あーあ。折角の合宿なのに被るとか最悪っス……」

 ちゃぷん。
 口が隠れるくらいまで少し深く浸かる。
 彼女は頭の上で長い金糸の髪を簡単なお団子に纏め上げていた。どうせ最後なのだから髪を上げなくてもとも思ったが、そこは矢張り最低限のマナーは守るべきである。ただ、後れ毛が浸かってしまうのは目を瞑ってもらいたい。

「そろそろ上がって掃除の準備に掛ろうかなぁ。桃っち達はもう上がったかなぁ?」

 何て考えながら黄瀬はザバッと湯船から立ち上がって一歩足を踏み出した。その時だ。
 磨りガラスの向こうから賑やかな声が聞こえ、思わず黄瀬の体は硬直した。ゆらゆらと揺れる人影は人物を特定することは出来ないが複数人居ることだけは目視出来る。
 心臓が一気に激しい音を立てて伸縮する。

「どどどどどどうしよう……」

 なんで。どうして。脳内は将にパニック状態にある。しかしふともしかしたら自分が何か重大なミスを犯したのではないか、と言う考えに行きつくと思い当たる節があったのか黄瀬の顔は文字通り顔面蒼白である。
 入り口に≪掃除中≫の札を立てるのをすっかり忘れていたのだ。明らかに自分に非があると分かると最早どうしていいのか分からない。そうこうしている内に声が近付く。咄嗟に再び湯船に体を沈め、隅の比較的目立たない端っこに身を寄せた。すぐ近くから熱い湯が出ているがこの際我慢する他無いだろう。
 ひっそりと息を潜めて人が出て行くのを待とう。そう決めた。
 そもそも部員は随分前に一度入浴しているのだ。どうせ汗を流す程度で直ぐに済むだろうと、偏見の下に安直な考えをしてしまったことを後悔するなどこの時の黄瀬はまだ知らない。

「うおっ! 湯気すげぇ!」
「ボク達が入ったのは三時間以上も前ですからね」
「ミドチン、見えてるー?」
「そこに物体があるくらいには認識出来るのだよ」
「目が悪いのも不便だな」

 浴場に響いた声は帝光バスケ部のレギュラーでスタメン、キセキの世代と呼ばれている五人であった。
 青峰の声は存外大きく響いて、思わず黄瀬の体がびくりと反応した。しかし誰かに気付かれると言う事は無かったようだ。ホッと小さく安堵の息を吐くと続いて黒子の声が聞こえ心臓がドキリと音を立てた。
 恋をしているわけではないが、黒子は黄瀬のお気に入りであり桃井の想い人だ。そんな人物と≪お風呂でバッタリ≫と言うベタな展開だけはどうしても避けたい。
 そして間延びした紫原の声が聞こえ、相変わらずの淡々とした口調で緑間が語る。
 ああ、緑間っちは眼鏡を外してるんスねー。何て思えば矢張り「ちょっと見てみたい」と言う気持にさせられる。けれどもそこは我慢だ。でなければこうして息を潜めている意味が無くなってしまう。それは同時に同世代の男子に自ら裸を曝け出す行為だ。そんな痴女めいた事だけはやりたくない。
 最後に聞こえたのはキャプテンの赤司である。何故彼で最後かと言えば、言葉と共にカラカラと扉をスライドさせる音が聞こえたからだ。他に声が聞こえない事から入ってきたのはこの五人だけであると認識する。果たして≪だけ≫と言える人数なのかは甚だ疑問ではあるが。

――早く出てって! 特に青峰っち!

 黄瀬は彼のプレーに魅せられてマネージャーになることを決意した。部活終了時にはワン・オン・ワンをせがんで付き合わせている。そんな尊敬と憧憬の眼差しを向ける相手は典型的なバスケバカであると共に思春期の男子中学生なのだ。
 以前、ワン・オン・ワンを終えてコート上に寝そべって居た時の事だ。だらしが無いだの情けないだの散々バカにしたその口から

「お前、せめてもうちょっとおっぱいあったらいいのにな」

 と出た。そして、ナチュラルにむに、と右胸を掴まれたのだ。その際、

「お、形は好み」

 と言った言葉は当時の黄瀬の耳には届かなかった。左に触れられていたら五月蠅い程に騒ぐ心音に気付かれた事だろう。その時はあの後どうしたのだったか。ああ、そうだ。

――天井からボールが降ってきて青峰っちの頭に直撃した後、怒って「誰だ!」って言って立ち上がった青峰っちの頭を紫っちが鷲掴みして動きが止まった所で黒子っちが真正面から鳩尾にボールを勢いよくぶつけて赤司っちが滅多に見せない笑顔で青峰っちを呼んだんだ。赤司っちの笑顔レアっスもん。忘れたりしたら勿体無いっス。

 その時の感触がリアルに蘇る。

「……ッ!」

 顔が熱いのは恐らく湯のせいだろう。そう思い込まないと心臓がおかしくなりそうだ。

「……にしても」

 一体いつまで入っているつもりなのだろうか。もう汗は洗い流していた筈だ。黄瀬が物思いに耽っている時シャワーの音がザアザア聞こえていたのだから間違いない。
 そんな男子五人は今、のんびりと 湯船に浸かってバスケの話をしている。話の内容からして昼間の練習では無かった。大方ここに来る前に体育館か外で自主練でもしていたのだろう。きっと誘い合わせたわけではないはずだ。練習しようとしたらたまたま誰かが先にそこに居た。そうしたらそこにまた誰かが居合わせた。まさかキャプテンだからといって「みんなっ、一緒にバスケやろうぜ!」なんていつの間にか宗教化してしまうような魔法の呪文を赤司が唱えるとは思い難い。
 そんなことを思いながら男子の会話という物が少々気になる黄瀬は静かに耳を欹てた。

「峰ちんさー、桃ちんが居るんだから黄瀬ちんにちょっかい出すのやめたらぁー?」
「はぁ? 気持ち悪いこと言うなよ。さつきは只の幼馴染だっつーの」
「しかしお前の行動は最早セクハラなのだよ」
「スキンシップ、で収まる域は越えているかと」
「マジ意味わかんねーし!」

 ああ、何だろうこの居た堪れなさは。こんなに間近でしかも本人が居るのに気付かずに話題に挙げるなど恥ずかしいことこの上ない。これがまだ悪態めいたものならば良かった。そうではないからどうしたらいいのか困るのだ。

「っつーか、触り心地の良いおっぱいしてる黄瀬が悪い。あれァ癖になる」
「確かに、柔らかいのに程良い弾力もありますからね」
「え、黒ちんいつの間に……」
「黒子……お前まで……」
「やめてください心外です。後、緑間君。それは固形石鹸ですよ」
「む?」

 ああ、本当に何だろうこの居た堪れなさは。これが巷で噂のボーイズトークと言うやつだろうか。初めて生で耳にすると妙にドキドキするものである。しかもその内容が自分ともあれば尚更だ。尚更気付かれるわけにはいかない。

「青峰君のセクハラと一緒にされると困ります」
「セクハラじゃねーっつの!」
「ボクの場合は黄瀬さんの方から抱きついてくるので腕とか背中に胸が当たるんですよ。ぎゅうぎゅうと」
「シカトすんなよテツ! くそっ羨ましい!」
「えぇー、いーなぁー黒ちん。あ、でも俺もあるかもー。こないだお菓子くれたからありがとーってお礼にぎゅーって抱きしめたらすっごく良い匂いしたしー。後色々と柔らかかったしー」
「フン、くだらないのだよ」
「おや、そう言う真太郎はつい最近、部室で涼を押し倒した際にあの谷間に顔を埋めて居たな。その前は三階の階段でも涼の胸に顔を埋めて居たし、ああそうそうその時はお尻にも触っていたっけなぁ?」

 緑間がバシャッと音を立てて顔を水面に突っ込む。青峰や黒子、紫原からは「マジかよお前が一番セクハラじゃねーか」「最低ですね」「ミドチンのムッツリー。ムッツリ間ぁ―」と揶揄されていた。
 そう言えばそんな事もあったなぁーとお湯がザバザバと出ているのを眺めながら思考を巡らす。しかしあれは全て事故であって、何れも自分のミスが招いた結果緑間を巻き込んでしまったのだ。だから恐らく、多分、彼が非難される言われは皆無のはずである。ここで擁護すべきなのだろうが如何せん状況が状況だ。しかも話題が自分の胸の話となると余計出て行きにくい。
 どうしようどうしようと考えていると段々思考が鈍ってきた。どうしようもなく体が熱い。頭がボーッとする。これは、ヤバい。しかし今の状況もヤバいのだ。
 けれどもこのまま湯に浸かっていては命の危険も考えねばならない。自分が居るとバレれば命の危険は無いだろうが場合によっては友人関係や己の貞操の危険は免れないだろう。
 何と言う究極の選択だろうか。
 しかしそうは言っても黄瀬自身はもう限界であった。元々家では半身浴の彼女にとって、こうしてしっかり肩まで浸かるのは極めて珍しいことなのだ。更に熱い湯の沸き口付近に居ることも相俟って、これ以上は痩せ我慢だ。
 命より重い物など無い。
 そう思うが早いか、

「――っ、もう無理っス!」

 そう叫んではざばっと勢いよく立ちあがった――のはいいが、如何せん既に限界であった体はそのまま一歩を踏み出す事も出来ずにくらりと立ち眩みが起こるとそのまま背中からザバンッ、と大きな音を立てて再び湯の中へと体が沈んで行った。

――え?

「あ?」
「おい」
「今の声……」
「もしかしてー?」
「……涼っ」

 五人の思春期男子がこの後どのような行動に出たのかは、黄瀬が知る由も無い。

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