8月6日 [ 6/31 ]



行かないでって云いたいのに、声が出ない。
待ってくれと叫びたいのに、届かない。

どうして離れて行くんだ?
どうして側に居てくれないんだ?
どうして何も言わないんだ?
どうして、こっちを見てくれないんだ?


8月6日


昨日に引き続き寝覚めが悪かった。こんなに変な夢を見たのは何年振りだろう。変な夢と行ったが、正直、怖かった。それもこれも総帥が変な薬を寄越したせいだ。

「顔洗ってこよう」

立ち上がって洗面所に足を運ぼうとしてふと立ち止まる。そしてそのままトイレへと直行した。


今日の部活は昨日と同じくチームに分かれてやる。それは昨日部活終了時に佐久間の口から聞いたことだ。俺は昨日と同じAチームだったが、佐久間とは別々らしい。

「違うのか」

心の底から残念がっている自分に気付く。一体何を残念がることがあると云うのだろうか。同じだろうが違おうが俺の役目はゴールを守る、それだけだ。

「兵藤、ゴールは任せたぞ。点は俺が取ってやる」

BチームのGKは昨日に引き続き兵藤がやる。そんな兵藤に、今日は同じチームだからだろう、佐久間が声を掛けていた。そんな光景は当たり前なのに胸の奥がチクリと痛む。

「源田」
「な、なんだ?」

試合前から気分が沈んでしまっているところに、さっきまで兵藤と話していた佐久間が名前を呼んだ。

「ビーストファング使わなきゃ止められないぜ」
「使わずに止めるのが帝国のGKだ!鬼道とも約束したしな」
「……そうだな」
「佐久間こそ、皇帝ペンギン1号じゃなきゃ俺からゴールは奪えないぞ?」
「ハッ!言ってろ」

言葉を選ばない会話でも不快感は無い。それは相手が佐久間だからかも知れない。
お互い各々のポジションに付く為にフィールドへ足を踏み入れる。入った時と出た時の気持ちの引き締まり方が全く違った。矢張りゴールの前は居心地の良さと共に程良い緊張感を与えてくれる。

(ああ、やっぱり気持ち良いな)

キックオフと共にタイマーが回される。此処から激しい攻防戦が始まった。


俺の位置から見える背中に見慣れた数字が無い。いつも見ていた背中が、今日は俺に向かって来ている。それを意識すると何だか恐くなった。今朝の夢がフラッシュバックしたのだ。

「源田!ボーっとしてんなよ!」
「え、あ……」

それはあっという間の出来事だった。俺の横を抜けたボールは音を立てて地面に落ちる。佐久間の声で我に戻った時には既に遅かった。試合に集中出来ないなんてあってはいけないのに。

「やっぱりビーストファングに頼ったらどうだ?」
「うるさいっ」

仲間に詫びを入れてボールを渡す。再び中心にセットされたボールは明らかに俺のせいだ。


其れから何回か佐久間と対峙することがあったが、初めの1点以降は守り抜いた。しかし、此方のチームが攻め上がっても成神に奪われ佐久間に回されそのまま突き進まれる。寺門に何度かチャンスが巡ってきたがなかなか決まらず、結果として俺達は負けた。

「あの失点は試合中ボーっとしてたお前のせいだな、源田」
「……ああ」
「それから寺門はもう少し突破する勢いが欲しい」
「そうか」
「洞面は視野を広げろ」
「はい」
「成神はもっとトラップを上手くなれ」
「はーい」

反省点を出し合い、各々の課題を見付ける。点取りをしながらも敵味方関係無くしっかりと見定めている佐久間は凄いと思った。鬼道が抜けた穴を佐久間なりに埋めようとしているのだろうが、充分過ぎるくらいだ。

反省会が終わると、みんなは部室に戻っていく。俺もいつも通り片付けや手入れをしようかと思ったがそんな気分にはなれず、取り敢えず一度顔を洗おうと思いスタジアムの外に出た。

スタジアム内でも顔は洗えるのだが、外の空気が無性に吸いたくなったのだ。外に出ると陸上部やその他の生徒に見られてしまう可能性だってあったのに不思議と気にならなかった。この体になって一週間が経とうとしているのだから大分俺自身も慣れてきたのだろう。

「あ、タオル忘れた」

勢いで顔を洗った後、頭から水を被ったが後先を考え無い行動に後悔した。

「源田先輩?」
「あ、成神……」
「ちょっ、ずぶ濡れじゃないですか!」

慌てて駆け寄って来る後輩の表情には心配そうな色が出ている。

「風邪引きますって!」

バッグの中から取り出した一枚のスポーツタオルを頭に被せられる。ふわっと鼻を掠めた匂いに思わず成神を見てしまった。

「え、臭いますか?!」
「ああ、いや。このタオル、成神の匂いがするから」
「そっそうですか」

折角貸してくれたのでその行為を無駄にするわけにはいかない。有り難く使わせて貰う。

「顔ならスタジアムのトイレでも出来るじゃないですか。外だといつ誰に見られるか……」
「心配してくれて有難う。でも、何だか今日は外の空気が吸いたくてな」
「そうですか。まあ、先輩がそう云うなら良いんですけど」

タオルに顔を埋める。水分を吸い取る序でに香りを残すそれはふわふわしていた。

「これ、気持ち良いな」
「干す時にタオルの輪っかを立てるようにして撫でるんです。テレビでやってて」
「今度やってみようかな」
「是非!」

顔を上げて微笑むと、成神も人懐っこい笑顔で答えた。そして、ふと成神の瞳がゆらりと安心したように揺れる。

「良かったです」
「何が?」
「今日の先輩、何だか元気が無かったので」

後輩に心配を掛けさせてしまったのかと思うと何だか申し訳無くなった。先輩がしっかりしないといけないのに。

「泣きそうでしたもん。先輩」
「え……」
「顔には出てませんけど。でも、泣きそうでした。試合中の先輩」
「そんなことは」

「いつも見てたから分かるんです」と笑う成神はいつもと様子が違うように感じた。気のせいかも知れないが。

「じゃあ、俺帰りますね。予約してたCD取りに行かなくちゃいけないので」
「あ、タオル有難うな。洗って返すから」
「別にいいんですけど……あ、じゃあふわふわにして返して下さい」

それじゃ、とにっこり笑って校門に向かって走って行った。成神のにっこりと云う擬音が似合う笑顔は、佐久間とは正反対だと思う。部活で鍛えているからか成神の姿はあっという間に小さくなる。

「有難う」

もう聞こえてはいないけれどもう一度、もう姿が見えない後輩にお礼を云う。ごめんなさいの意味も込めて。

適当に髪の毛も拭いてスタジアムに戻る。流石にボールを放置したままと云うのは良くなかったかな。

スタジアムに戻るとフィールドに見知った後ろ姿があった。薄水色に近い銀髪の間から覗く「11」番のユニフォームは紛れもない佐久間のものだ。

「さく」
「遅い」

開口一番吐かれた言葉には棘があった。ああ、苛々してるんだなあと背中を見ただけで分かるくらい俺はずっとあの背中を見ていたんだと改めて実感する。一歩、また一歩とその背中に近付く度に芝が鳴く。

「どこに行ってた」
「顔を洗いに外に行ってた。少し外の空気も吸いたくて」
「ふーん」

俺の足が止まったのとほぼ同時に佐久間が振り向く。

「今日のお前、どうした」

疑問文なのに疑問形に聞こえないのは佐久間の言い方によるものだろう。真っ直ぐ俺を見る目はいつになく真面目だった。

「お前らしくない。何かあったのか?」
「……」
「源田」
「……怖かったんだ」

佐久間の目には嘘が吐け無い。俺を射抜く視線は鋭いのにどこか優しさが混ざっていた。

「夢をみたんだ」
「夢ぇ?」
「佐久間が……俺の側から離れて行った。何も言ってくれなくて、名前を呼んでも振り向いてくれなくて」

思い出したら今朝の恐怖感が蘇ってきた。自然と震える体も声も溢れる涙も俺は止める術を知らない。

「今日の模擬試合でそれを思い出したんだ。探しても佐久間の背中は見えなくて、どうして佐久間が向こうに居るんだって……」
「ばーか」

首に掛けていたタオルの端を両方引っ張られ、前につんのめる。勢い任せに近付いた顔はそのまま唇を合わせた。鉄の味が広がったけれど佐久間の匂いがした瞬間、そんなことはどうでも良くなる。

不思議だ。
佐久間は俺を落ち着かせる術を知っている。そう感じてしまうくらい俺の気持ちは安定し始める。
そんな俺とは逆に、佐久間の眉間には皺が寄せられている。

「佐久間?」
「源田以外の匂いがする」
「ああ。成神じゃないか?」
「何で眉神が出て来るんだよ」
「な・る・か・み!」

首に掛けてるタオルの経緯を説明すると、それで首を絞められた。軽くじゃなく、本気で絞めてくるのだからシャレにならん。

「ムカつく」
「成神は何もしてないぞ?」
「そう言う所がムカつく」
「俺?」
「両方!」

そして再び重ねられた唇は矢張り優しくは無かったが、熱く感じた。今度はタオルじゃなくて髪の毛を引っ張られたから痛かったけれど。


どうしたんだろう。唇から生まれた熱が全身を駆け巡る。そう言えば、俺、どうして佐久間とこんなことをしてるんだろう。男同士なのに。違う、今は、俺は……。

色々と考えてたら後頭部を押さえつけられた。逃げられない。苦しいのにこの苦しさならもう少し続けても良いかな、なんて思う自分がいる。

どうしたんだろう。俺。




*****
どうしたんだろう。私。←

源田はそろそろ気付くべき。

201204.加筆修正




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