午前 [ 5/7 ]



 今日は丸一日、大阪にあるテーマパークで自由に遊ぶ時間が設けられている。それも班行動ではなく個人として、だ。
 子供は遊びの達人であるとは良く言ったもので、移動中のバスの中でも賑やかを通り越して騒がしかった。恐らく、並んでいる間も彼らにとっては遊びの一つなのだろう。
 団体客用の一般より優遇された一日フリーパスは並ぶ時間すら短い。その為、運が良ければ一日で大半は回れる。
 けれどもなかなかそうもいかない人物が通路脇に立っていた。立っていると言う表現は些か語弊がある。正確には、周りに集う女性たちによって動くに動けない状態であった。

「黄瀬君! 一緒にジェットコースター乗らない?」
「ホラーハウスに行こうよぅ!」
「あそこのシャチの前でツーショ撮ろう〜?」
「あ、ちょっ、あのっ」

 黄色い声と猫なで声が混ざって最早近くに居る女の子の声すら聞き取るのが困難である。良く見てみれば輪の中に帝光中以外の制服や私服の人の姿も見える。
 取り敢えず静めようと両手を軽く挙げると、何を勘違いしたのか近くの女の子がその手を握って来た。するとそれを合図に他の人も握って来たので益々動けない。
 これではまだ電車のラッシュ時の方がマシであると思った。
 楽しむに楽しめない――かと言って女の子たちを適当にあしらうことも出来ない――状況に内心溜め息を吐いていると、人垣の向こうから彼女たちの声すら掻き消してしまうような低く、けれどもはっきりとした声が聞こえた。

「黄瀬ぇーっ!」
「……ッ青峰っち!」

 助かった。そんな気分である。
 自然と元気を取り戻した声は弾けた果実のように明るく、勢いがあった。

「ちょ、ちょっとごめん! 知り合いに呼ばれたから……ごめん、通してもらえる?」

 人の間を縫うようにやっとの事で抜け出すと、そこには黄瀬を囲っていた女性よりもうんと黒い肌をした青峰が立っていた。

「青峰っち! 青峰っち!」
「お前……誘ってんのか?」
「へ? 誘いに来てくれたんじゃないんスか?」
「おーおー誘って欲しかったのかよ」
「今のは本当に助かったっス!」

 会話になってはいるものの全く中身が噛み合っていない事に恐らく黄瀬は気付いていない。青峰は黄瀬の性格を踏まえての判断でわざと噛み合わないようにしていた。
 しかしあまりにも気付かないので、青峰は早々に折れる事にした。

「あーまーいーや。行くぞ」
「はいっス!」

 突如現れて勝手に連れ出そうとしているのだから周りの女子が黙っているはずもない。口々に文句を言うも、青峰の睨みとドスの利いた「あ゛?」の一言で蜘蛛の子を散らすように一瞬で去って行った。

「やっぱ青峰っちスゲーっス!」
「そーかよ」
「目つきが悪くて助かったっス!」
「そーかよ」

 一度目の返事は軽いものであったが二度目の返事はトーンダウンも甚だしい。けれども黄瀬にとってそんな事はどうでも良かった。あの集団から抜け出せた事が何よりも嬉しかったのだ。
 そんな黄瀬を見ていると何だか怒るのもどうでも良くなってくる。

「にしてもまだ着いたばっかだっつーのにボロボロじゃんモデル君」
「あー……結構揉みくちゃにされちゃった時っスねー……」

 歩きながら制服を整える黄瀬をチラリと横目で見る。
 乱れたネクタイの隙間から大きく開いた襟元。普段からきっちりと制服を着用しているわけではないが、大きく着崩してもいない。
 何故か。
 そんな事をしなくても制服と言うアイテムを着こなせるからだ。着崩す必要などどこにもない。
 けれども今の黄瀬は見るに珍しい光景である。第三釦まで外れているシャツは言葉通り釦が外れている。つまり、在るべき場所に無いのだ。これでは閉めようにもどうすることも出来ない。
 それ故制服姿では滅多に拝めない鎖骨が惜しみなく晒されている。太陽の光に触れたそこは艶が増し、一層色気を増す。

「青峰っちは桃っちと回らなくていーんスか?」
「何でそこでさつきが出てくんだよ。意味わかんねー」
「だってお目付役っしょ?」
「犯すぞ」
「へっ!?」

 冗談に決まってんだろ、バーカ。なんて言いながら頭をぐしゃぐしゃと撫でてやれば、ほんのりと顔を赤く染めながら文句を言う。
 それを左から右へと聞き流しながらどれから乗ろうかと思案する。別にわざわざ乗らなくても良いのだがしかし此処まで来て何もしないと言うのも流石にあんまりだ。
 更に左横の黄色を見れば、明らかに瞳がワクワク感で一杯だった。これには流石の青峰も‘ベンチで寝る’などの選択肢は抹消するしかない。

「どれ乗るんスか?」
「俺は何でもいーけど」
「あ、じゃああそこがいいっス! 最近出来たヤツ。ジェットコースターっぽいの!」
「ふーん」

 歩きながら、背中合わせに乗るだの体重によって回転が変わるだの嬉々と話す。そんな言葉も聞き流す。
 今、青峰が注視すべきはそんなどうでもいい情報よりも黄瀬の制服から覗く肌であった。

――噛みつきたい。

 何とはなしに、ただ純粋にそう思った。

「わっ、やっぱ出来たばっかってのもあって結構人がいるんスねー」
「止めるか?」
「ヤダ。乗るっス!」
「はいはい」

 恐らく一番楽しみにしていた乗り物なのだろう。別に逃げはしないのに、と思いながらぎゅっと掴まれた腕を見る。
 大の男が腕を組む光景など異色極まりないのだが、しかしそれが黄瀬であれば話は別だろう。他人は知らないが、帝光の人間には何とも思われない筈だ。
 更に相手は憧れの存在である青峰ときた。文句を言う者など誰も居まい。その証拠に、並んでいた教師陣からは「お前ら仲良いなぁ〜」などと言われていた。

「レールの奥は結構暗いんだな」
「青峰っち、もしかして怖いんスか?」
「んなわけねーだろ。犯すぞ」
「冗談っスよ!」
「お前警戒し過ぎ」

 一般列ではないのでスイスイと中に進めた二人は直ぐに乗れた。背後の二人組も同じ帝光中の生徒だ。しかもバスケ部であるが黄瀬が二軍に居た頃見覚えがある顔、と言うだけで実際の所名前は知らない。
 動き出せば意識はそちらに自ずと向く。
「うおっ、わ! あっはははは!」
「意外とッ、動くな! これ」
「っスねー! うおうっ!」

 真っ暗な中装飾のライトがチラチラ光っているだけで殆ど何も見えないに等しい。
 それならば。

「黄瀬」
「はい? 何スか?」
「身長あって良かったな」
「は……痛ッ!」

 足元だけの安全バーは上半身の動きは拘束しない。これ幸いにと青峰は黄瀬の項部分を掴んで一気に引き寄せた。
 ピリッとした刺激に思わず黄瀬の柳眉が歪む。暗闇の中、一体何をされているのか分からず不安が募る。
 唯一確認出来るのは、デコルテ付近に感じる青峰の髪と体温であった。

「え、なっ……青み……ひぁッ」

 首筋に感じた熱に体がびくりと反応する。するとフッと青峰の気配が遠退いた。
 その後は一切何もなく、やがて乗り物は元の位置へと戻って来ていた。

「あー案外楽しめたな」
「……そ、そっ……スね」

 明らかにどぎまぎしている黄瀬にニヤリと口角が上がる。
 列に並ぶ前に荷物を預けたロッカーに行く。鍵を回して開けた瞬間、黄瀬の背後に立っていた青峰が顎を掴んで強引に振り向かせた。

「……っ!」
「……やっぱ最後はこうじゃなきゃな」

 ペロッと青峰が自分の唇を舐めた。そしてニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべる。
 ほんの一瞬の出来事ではあったものの、黄瀬にとってはそれが十秒にも一分にも感じられた。大きく目を見開いたまま動かない。

「おら、さっさと取れよ。他の人のメーワクだ」
「あ……は……え」
「返事」
「はい……っス」

 半ば反射で返事をしたような、気のない声に青峰は満足げに笑う。荷物を取り出しロッカーの扉を閉める直前、黄瀬のネクタイを掴んで一気に首もとまで絞めた。

「ぐっ、えッ!」
「お前それ、家帰るまで外すなよ」
「はい?」

 それだけ言うとさっさと出口に向かって歩き出した。
 言葉の真意が全く分からなくて首を傾げるも取り敢えずこのままでは邪魔になると、急いで青峰の背中を追う。
 追いかける最中、そっと唇に触れた指で少しだけネクタイを緩めた。




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