午後 [ 4/7 ]



 早くこの動きにくい格好をどうにかしたくて、赤司に着替えの許可を貰った。心中怯えながら尋ねた黄瀬であったが、あっさりOKが出たのだから拍子抜けである。
 そんなほんの数十分前の出来事を思い返す。舗装された道を履き慣れない高めの草履で歩く。

「……はぁー……」

 人に見られるのは慣れている。けれども女装には慣れているはずもなく、彼の疲労の根元はそこにあった。
 班のみんなには先に昼食のお店に行っている。舞妓衣装をレンタルしたお店からそう遠くは無かったので黄瀬は一人で向かっていた。
 赤司や紫原が付いて来ようとしていたが丁重にお断りした。
 如何せん赤司が身に纏う徒者ではないオーラと紫原の長身だ。只でさえ長身の舞妓姿が目立つと言うのに彼らが横に居れば余計目立つ事など目に見えている。
 それは黄瀬にとって、単なる悪目立ちでしかないのだ。

「足痛いっス……」

 もう何度目かも分からない溜め息にまた溜め息が出る。これでは幸せなどやってくるはずもない。
 好奇の目に晒されながらも歩く姿勢は美しい。これを職業病と言わずして何と言うのか。
 サービス精神も相変わらずで、例えげんなりしていようとも外面は微笑みで取り繕う。通行人と目が合えば目元は柔らかく孤を描き、クラスメートに会えば事情を説明し、見知らぬ人から写真を頼まれれば当たり障りのない適当な理由を付けて回避した。

「疲れた……足痛い……お腹空いたぁー……あ」

 カメラを構えて此方をチラチラと見て来る三人の男性旅行客のその奥に見知った影を見つけた。
 彼らに声を掛けられる前に先手を打っておくに越したことはない。そう思ったら自然と元気が出て来た。

「緑間っちーっ!」
「――っ! その呼び方……黄瀬か?」
「緑間っち緑間っち」
「何なのだよ。と言うかその格好は何なのだよ!」

 男性など洟も引っかけないで横を小走りで通り過ぎる。足に痛みが走ったものの、今は早く緑間の側に辿り着きたかった。

「ちょっと肩貸してくんねっスか? さっきから足が痛くて……」
「鼻緒で擦れているのだろう」
「うー……。俺、シークレットブーツすら履いたこと無いんで底のある靴って苦手で」
「そんなもの、俺だって履いたことなど無いのだよ」

 緑間が黄瀬を支えながら座らせた場所は、甘味処の屋外席であった。和製テラス席、とでも言ったところだろうか。
 大きい真っ赤な番傘が日差し避けとなり、その真下にある竹を紐で縛って作り上げたような椅子にはいい具合の影が出来上がっている。

「っはぁー……やっと落ち着いたっス……」

 ふにゃりと肩の力を抜く黄瀬であるがそれでも着物が崩れないように座っているのだから大したものである。
 隣に座る緑間は「で、その格好は何なのだよ」と再三尋ねた。
 それに「ああ」と思い出したように頷けば、店員にお汁粉を二つ注文してから緑間に向き直る。

「実は――」

 偶然にも赤司の班とコースが同じだった事、途中赤司にレンタルの店へ連れて行かれた事などを掻い摘んで――唇を奪われたと言う思わぬハプニングは伏せていたが――話す。その度に緑間の眉間に皺が刻まれて行った。

「だからお前はダメなのだよ」
「何がっスか?」
「偶然だと思っているのは後にも先にもお前だけなのだよ!」
「えっ!」

 漸く気付いた黄瀬の瞳は驚きで見開かれている。
 そんな間抜け面の舞妓を前に、緑間の呆れっぷりは盛大な溜め息によって表現された。

「うぅ〜……」
「黄瀬。お前はどこまでバカなんだ。恐らくあの青峰ですら気付く事なのだよ」
「うっそ! 何かそれはめちゃくちゃ悔しいっス!」

 本人が居たら絞められてもおかしくはない程の失言を吐露する。しかし黄瀬の場合、例え本人がこの場に居たとしても口にしていただろう。

 二人の間に置かれた丸いお盆の上には二つのお汁粉と緑茶の入った湯呑みがあった。
 着物を汚さないようにお汁粉を口にする手付きは一挙一動が慎重だ。それ故に、その丁寧な運びが舞妓姿を際立たせている。
 しかし当の本人がそれに気付くはずもない。彼は今、空腹を満たすことで頭がいっぱいなのだ。

「そう言えば緑間っちは一人っスか?」
「ああ」
「他の人は?」
「土産物屋で物色しているのだよ」
「緑間っちはいいんスか?」
「俺は今日のラッキーアイテムを探していただけなのだよ」
「ああ、おは朝の……」
「欲しいモノはたった今手に入れた」
「へぇ?」

 全く意味が分からない、と黄瀬の顔には書いてある。それもそのはずで、緑間の周辺には土産物が入った袋などどこにも見当たらないのだから仕方がない。
 咀嚼しながら首を傾げる黄瀬に緑間の目がフッと細くなる。

「矢張りおは朝の占いは良く当たるのだよ」

 お汁粉をもそもそと食べる黄瀬の横で緑間が呟く。しかしそれは横の彼にはきちんと耳に届いていないようだ。
 お昼時であるのにも拘わらず先程まで人で賑わっていた通りはいつの間にか誰も居なくなっていた。
 番傘が遮ってくれて腰以下しか店内からは確認出来ない。これは緑間にとって好都合以外何でもなかった。

「そう言えば緑間っ……」

 少し口に含みすぎた餡を零さないように気をつけながら言葉を放つ。ラッキーアイテムを訊くためとは言え行儀が悪かったなと反省し始めた所で黄瀬の思考回路は完全に遮断された。
 テーピングが施された長い指に顎を捕らえられた一瞬の隙に黄瀬の視界は緑に染まる。

「っン……」

 ぬるりと口内に侵入してきたものが楽しむように歯列をなぞっていく。
 バクバクと破裂しそうな心臓が体内で響いていた。それ以外、自分の体であると言うのに動かすことが出来ない。
 口内の何かを絡め取られ奪われる。そうして重なっていた唇が離れていった。そこで漸く奪われたのが白玉であると気付く。

「へ……」

 眼鏡の奥が細められると緑間は自身の唇をペロリと舐めた。
 奪われたものが目の前で咀嚼され、飲み込まれて行く。緑間の喉仏が上下に動くのをただ呆然と見ていた。
 そして徐に緑間の親指が黄瀬の唇に触れ、ぐい、と拭う。
 そして勝ち誇ったような、余裕の笑みを浮かべて言い放った。

「今日のラッキーアイテムは――」

 そんなんアリっスか?と嘆きたくなった。
 しかし占いの効果は折り紙付きで信じがたいが疑うことは出来ない。そんなジレンマが黄瀬の中でもやもやと渦巻く。
 これでもう暫くはこの格好のままであると勧告されたようなものだ。
 正直な所、泣きたい気分である。
 集合時間まで、後四時間。
 先程何故白玉を奪われたのかと浮かんだ疑問は口の中の餡と共に飲み込んだ。

――今日のラッキーアイテムは、舞妓なのだよ。




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