今日は丸一日京都を自由に歩き回れる日だ。
前日のは班行動と言えども移動はクラス単位であったので自由とは言い難い。それでも後半の小一時間は野放しにされたが行動範囲は旅館周辺と決まっていた。
各々の班で事前に決めていたコースを歩いて回る。
しかし、黄瀬達の班はみんなで決めたと言うよりはある第三者の存在によって決定されたのと何ら変わりはなかった。
その第三者こそ、今現在黄瀬の隣をキープしている帝光バスケ部キャプテンの赤司である。
「この後赤司っち達はどこ回るんスか?」
「清水寺だよ」
「へぇ、奇遇っスね! 俺らもっス!」
「そうか。じゃあ折角だから一緒に行こうか、涼太」
「はいっス!」
何かがおかしいと班員が気付き始めたのは彼等の行く所々で赤司率いる班と遭遇していた為である。本日三つ目のポイントですら同じなのだ。残りも恐らく被っているだろうと安易に想像出来るが、たった一人――黄瀬だけはこの事態が仕組まれていたことに気付いてもいない。
よくよく考えてみれば、普段お菓子にしか興味を示さないあの紫原が積極的に話し合いに参加していた事自体おかしいのだ。確実に赤司から言われていたに違いない。どうしてもっと早くに気付かなかったのか。そう思っても後の祭りである。
「そうだ涼太」
「何スか?」
「ちょっとおいで」
「や、でも……」
「来い」
「……はいっス」
赤司に逆らうことは許されない。まだ入部して長くはない黄瀬が一軍に上がって一番初めに覚えたルールだ。
しかし勝手な行動をするのも如何なものかと思った黄瀬は、紫原に「ちょっとキャプテンに喚ばれたから行ってくるっス」と一応断りを入れた。
入り組んだ道を迷いのない足取りでずんずん進んで行く。地形が頭に入っていない黄瀬には現在地がどこなのかもさっぱりである。赤司を見失ったら最後、と頭の中で何度も復唱していた。
「入って」
「へ?」
「入れ」
「はいっス!」
暖簾を潜って中に入れば舞妓姿の見知った女性が二人いた。目が合うと二人同時に恥ずかしそうに頬を染める。
黄瀬はと言うと、いまいち現状が理解出来ずにいた。取り敢えず、この女性がクラスメートであることは間違いない。
「えっと……?」
「予約していた黄瀬だ」
「へ?」
どう言うことか説明を求める前に赤司は店員と会話をし始めてしまう。それ以前に予約した覚えなど全く無い黄瀬は混乱するばかりである。
固より少ないキャパであるのに既にパンクしそうだ。
「涼太、あの人についていって」
「え、あの……え?」
「早く」
「は、い……」
何一つ情報を得ていないが、この時黄瀬の脳裏にははっきりと「嫌な予感」はしていた。
青峰程野生の勘が働くわけではない。けれども先程のクラスメートといい、この店の着物のディスプレイと言い、それを裏付ける素材は充分にある。
程なくして、店の奥から女性店員が顔を見せた。先程黄瀬と共に姿を消した人だ。
待っている間に茶菓子で丁重にもてなされていた赤司は湯呑みを傾け一気に嚥下する。
「漸く終わったか」
「ほぅら、お連れ様がお待ちですよ」
「う〜……こんなっ、こんなのッ……」
ぐすぐすと泣き言を言いながら現れたのは艶やかな姿の舞妓――に扮した黄瀬である。
眩しいくらいの金髪はカツラの中に収められ、普段は見ることの出来ない黒色に変わっていた。一八〇を越す長身は底の厚い履き物によって一層高くなる。「似合っているじゃないか、涼太」
「うっ、うっ……ヒドイ……あんまりっス……」
顔を真っ赤にした黄瀬は涙を堪えようと必死になっている。泣いてしまっては化粧が崩れてしまうと、職業柄身に付いた知識がそれを阻止しているのだ。
顔立ちは非常に良い上に現役モデルと言うのも相俟ってかその姿は様になっていた。
それを言ってやれば「嬉しくないっス!」と再びぐずついた。
店の暖簾を再び潜り、外へと足を踏み出す。黄瀬に至っては躊躇していたが、赤司の鋭い視線に射抜かれ渋々表へ出て行く。
「行くぞ」
「へ? え?」
「何をしている。来い」
「や、行くって……?」
「清水寺以外にあるのか?」
どこに、と続くはずだった言葉は赤司の遮りによって不発に終わった。しかしそれも今となってはどうでもいい。
今の黄瀬の頭の中は混乱状態で思考回路は殆どショートしていた。
「涼太」
「は……い?」
くいくい、と赤司が顔の近くで人差し指を動かす。指図されるがままの黄瀬はゆっくりと屈み、顔を近付けた。すると――
「……ッ!」
頬を優しく包み込まれ口吸いされる。一瞬ではあったものの、離れる瞬間にペロリと唇を舐められた。
最早思考停止というレベルではない。
「矢張り我慢出来なかったか」
まあ、想定内だな。
未だに唇が触れそうな距離のまま、赤司が一人納得している。彼が何かを口にする度、黄瀬の唇にも息が掛かった。その間も黄瀬は硬直したままである。
一体何が起こったのか、何をされたのか、昨日と言い今日と言い日本は今キス週間だっただろうか。
頭が真っ白になるとはきっと今の状態を指すのだろう。
全ての思考回路が遮断されていたにも拘わらず、唯一考えられたのはその事実のみであった。
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