03 [ 3/5 ]



「あれ、ヒロトは?」

 教室のドアを開けて中に入ると騒がしかった空気が瞬時に水を打ったように静まり返る。源田の姿を見るなり開口一番に一人の生徒が発した。
 声のした方を見ると源田から見て教室の右側に生徒の塊が見える。そこからぴょこんと小さく飛び出た真っ赤なチューリップと人垣の隙間から見える垂れ目で、それが南雲晴矢だと理解した。

「基山先生は所用により来られなくなったので今日は俺が代理でやることになった」
「とうとう辞めさせられたか」
「いや違……」
「そのまま地獄の扉をこじ開けて奈落の底へ落ちるがいいさ」
「えっと、涼野?だから基山先生は……」

 南雲が居た塊と反対側に同じような人垣がある。その中心に左側に流れている髪の毛を弄りながら座っている涼野風介が見えた。

「まあ奴のことはどうでもいいよ。さっさと始めようか、原田先生」
「源田です」

 すかさず訂正する。
 しかしそんな過ちさえも涼野にとってはほんの些細なことらしい。意に介することなく飄々としている。

『南雲は反抗的だけど乗せると後は扱いやすいよ。涼野は所謂典型的な厨二病だから軽く流せば大丈夫!』

 基山から代理を頼む電話があった時の事をふと思い出す。
 彼は二人の曲者とその親衛隊(この表現が適切なのかは甚だ疑問である)を相手に毎回授業をしているのかと思ったがしかし暢気に感心している場合ではない。授業時間は当然決められているのだ。
 生徒に気付かれない様に小さく深呼吸をし、改めて彼らに向き直る。

「始めるから席について」

 その言葉を皮切りに南雲と涼野の周りを覆っていた人垣が無くなった。しかし彼らを真ん中にするのは変わらないらしい。お互い反発しあっていると事前に基山から聞いてはいたものの、似通った行動をしているのを目の当たりにすると本当は仲が良いのではないだろうかと思ってしまう程シンメトリーを感じた。
 源田が授業をする上で分かったこと。それは、南雲は真っ直ぐ過ぎて少々おつむが弱い。特に応用問題が苦手なようだった。しかし解き方のヒントを少しあげればちゃんと自力で解答に導けるからあまり手はかからない。源田が助け舟を出すまでもなく、彼を取り囲む親衛隊基、友人が手助けしてくれる。
 それから涼野は頭が良い。但し解答の導き方に関しては若干難ありだったが。
 涼野の場合は南雲と違い友人に教える側であったが、その際の説明が源田にはいまいち理解し難い。何故数学の問題に前世が魔界の使者により負った右腕の傷が疼き出すくだりが必要なのか。
 源田があまりに不思議そうな顔をしていたのだろう。先程まで南雲に教えていた厚石茂人が隣に来てこっそり耳打ちした。

「倉掛さんの後ろにいるモブ系地味イケメンがちゃんと教えているので大丈夫ですよ」
「モブ……え?」

 驚いて厚石の方を見るとにっこりと人当たりの良さそうな笑みを浮かべている。聞き間違いだろうかと内心で首を捻っていた源田だがすぐにそうでは無いことが分かる。

「彼、モブ系地味イケメンですけど頭は凄く良いんです。IQは1000です。モブ系地味イケメンですけど」
「1000!? どうしてここに通っているんだろう……」
「妹が通ってますから。心配なんだと思います」
「そうなのか……」

 いずれにせよ、このクラスはキャラクターが濃いことだけは理解できた。基山先生の凄さを改めて実感した。
 最後に行った確認テストの採点をしながらころころ表情を変える南雲と、真剣な面差しで源田には到底理解出来そうに無い言葉の羅列を並べながら説明している涼野をチラリと見る。アシンメトリーのようでシンメトリーな不思議な二人が何だか微笑ましくなった。
 赤ペンのキャップを閉め、テストの紙束を整える。採点前に何となく予想していた事を口に出す。

「南雲と涼野はこの後居残りだからな!」
「えぇーっ!」
「なんっ……だと!?」

 本人達は有り得ないと言った反応を示すがどうやら友人達は見通していたらしい。
「だったら自分も残る」と言い出すんじゃないかと危惧していたが実際は「自習室で待ってる」や「頑張ってください」などの言葉をかけ、何事も無く教室を出て行く姿が目に映るだけだった。
 最後の一人となった厚石が出て行く直前、源田の方へと近付く。そして先程したようにこっそりと耳打ちをした。

「ここに入って以来ずっとあの二人は居残り常習犯なんです」
「なるほど……」

 では、と丁寧に別れの挨拶をした厚石が教室を出て行くと賑やかだった室内がシン、と静まり返る。まるで授業の始まる時のようだ。

「南雲と涼野はいつも何分居残りしてる?」
「え、何で?」
「どう言う意味だ?」

 突然つきつけられた源田の質問に二人の眉間に皺が刻まれた。

「だって、お前たちわざと居残りしてるんだろう?」

 その言葉に目を見開く南雲と逸らす涼野だったが共に声は出さない。それを肯定であると感じ取った源田は小さく笑った。

「友達想いだな」
「うるせぇ……」
「フンッ……」

 ぶっきらぼうな返事だが、お互い照れているのかほんのりと頬が赤い。

「あいつらが、性懲りもなく毎回毎回俺に構うから」
「彼らの時間を無駄に奪いたくはないからな」

 お互いそっぽを向きポツリポツリと紡ぐ言葉は温もりを宿していた。
 時は金なりと言うが、彼らの場合はお金よりももっと大切なものなのだろう。そこでフト電話口で基山に言われたことを思い出した。

『南雲と涼野だけになったら後は野放しで大丈夫』

(……そう言うことか)

「遅くならない内に帰れよ」

 それだけ言い残すと源田は教室を出て行く。講師達の作業場であるカウンターに向かいがてら確認テストを見返す。
 南雲はその性格故に応用問題に弱いが基本問題には強い。けれどもこのテストは友人に教えて貰っていた応用は出来ているが基本には全てチェックが入っている。明らかに適当に書いた答えと言うのも見て取れる。
 一方涼野の解答欄は、普通に答えを導き出しているくせに後半だけは何故かご丁寧に特殊設定を盛り込んでいた。よくあの短時間に「凍てつく闇の冷たさ」だの「神から授かりし夜半のみに現るソードオブプリズナー」だの思い付くものだと感心さえ覚える。
 しかしそれも行動の理由が分かってしまえば自ずと口元が綻んだ。

「そう言えば」

そして徐にとある人物が脳裏を過ぎる。長年会ってもいなければ声すら聞いていない旧友を思い出した。

「……どうしてるかな」

 天井近くの壁に取り付けられている横長の窓から見える欠けた月を暫くの間ぼんやりと眺めていた。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -