8月27日 [ 27/31 ]



それは徐々に、徐々に、動き出していた。俺の知らない所で、確実に。

8月27日

準備運動を終えポジションに向かう途中だった。頭の奥が内側から鈍い痛みを発し、立ち眩みがした。目の前が真っ暗になり、次第に黒だった視界が眩しい青色に変わる。そしてゆっくりと下の方から色付いてきた。暫くの間は激しい運動をしたわけでも無いのに心臓が激しく動く。練習後のような感覚だ。けれどもそれと異なっていたのは、苦しさが伴うものだったと言うことだった。

「源田?」

心臓がドキドキと脈打つ度に頭の奥がそれに比例するかのようにズキズキと痛んだ。何かを暗示する警鐘なのかそれとも只の貧血なのか。いずれにせよ自分の身に何かが起こっているのは何となくだが感じられた。

荒くなった呼吸に気が付いたのは何度目の呼び掛けだっただろうか。

「源田!」
「…っさ、くま」

深呼吸をするように、自分を落ち着かせるように、深く息を吸った。吸う時間よりも吐き出す時間の方が長かったような気がする。

「どうした?」
「あ、ごめ…ん。何でもない」
「バカか。何でもないわけがあるかばか」
「そんなにバカバカ言わなくても…」
「そんなにって言うほど言って無いだろ」

腰に手を当てて偉そうに俺の前に立つ佐久間だけれど。俺様で自信満々な表情だけれど。俺を見る左目だけは全く反対の感情を帯びている。それに気付いた時には激しかった動悸も通常の速さに戻っていた。

「すまない。でも、大丈夫だ」
「‥‥」
「本当にもう大丈夫だから。きっと女性に良くある貧血だと思う」
「無理すんなよ」

くるりと佐久間が俺に背を向ける。眼帯を付けた顔は後頭部にすり替わり、帝国の文字がプリントされたユニフォームは数字に変わった。背中一面を横に並ぶ「1」に盗られた気分だ。背番号にすら嫉妬してしまうのか。何だかそんな自分が情けなく思えて苦笑する。佐久間も同じ気持ちであったなら。そんなことを思いながらゴールに向かって歩き出した。

短い休憩時間が度々入れてあったのは佐久間なりの気遣いなのだろう。そのお陰もあってか、それ以降は気分を悪くする事もなく練習に励むことが出来た。

「今日は休憩時間が多くなかったか?」
「でも、短かったよな?」
「確かに」

みんなが着替えている時、そんな会話が聞こえた。辺見と寺門かな。目を閉じてぼんやりと頭の隅で考える。着替えている最中は部室の角に置いてあるパイプ椅子に座って待つのがもう当たり前になっていた。

右側にある壁に頭を預ける。どくんどくん。鼓動が聞こえる。意識が持っていかれそうになった。闇が俺を呑み込もうと忍び寄る。じわじわと迫る闇が身体のあちこちに纏わりつく感じがした。外側も、内側も。

「源田っ!」
「…っ!」

揺さぶられる感覚が脳に届く。まるでそれが闇を追い払うかのように、そして声が出口を作り出したかのような、そんな気がした。それくらいリンクしていた。

「っはぁ、はぁ…あ」
「源田。お前、本当に大丈夫か?」
「佐久間…」
「意識ははっきりしてるな」
「ごめ…、ありが、と」

体を起こしてて乱れた息を整える。支えてくれる佐久間の腕に気が付く余裕が出来たのは暫くしてからだった。視線だけを動かせば座っていた筈のパイプ椅子が視界に入る。

「あ、れ?おれ…」

汗で張り付いた服が気持ち悪い。テンポが速く上下する胸。それは未だに不整脈である状態を視覚情報として送っていた。当然佐久間が気付かないわけがない。

「どうした?」
「…分からない」
「は?」
「分からないんだ。自分でも」

声が震えていただろうか。無理にでも絞り出さなければ恐らく声になっていなかった。

「昨日までは何とも無かったんだ。でも、今朝起きたら何だか息苦しくて…」
「何で休まなかったんだよ!」
「直ぐに戻ったんだ。だから、気にしなかった」

いつの間にか寝かされていたベンチから立とうとしたら、佐久間が静かに制止の手を伸ばした。フィールドで立ち眩みがした時と同じような瞳で俺を見ていたので開きかけた口を噤む。だから立ち上がることは諦めた。代わりに、腰を掛けることにした。座った事により出来たスペースに佐久間も腰を下ろす。ベンチがギシ、と控え目に鳴いた。

「みんなは?」
「帰らせた」

髪に佐久間が触れたと思ったら頭皮に触れ力を入れられた。そのまま傾いた頭は佐久間の肩に乗る。思ったよりも優しい衝撃に笑みが零れた。

「何笑ってんだよ。余裕出来てきたか?」
「すまない。ただ、安心しただけだ」
「あっそ」

素っ気ない返事にどんな気持ちが込められているか何て訊かなくても分かる。佐久間の肩を通して聞こえる佐久間の音がそれを伝えてくれた。目に蓋をする。するととても近い距離から聴覚が刺激された。

「寝るなら先ずは着替えてからにしろよ」

外からはあまり分からないかもしれないが、インナーはぐっしょりと水分を含んでいる。練習によるものと言うよりは目が覚めた時に感じた汗の方が原因としては大きいだろう。

「何なら着替えさせてやろうか?」

調子のいいことを言うときは大抵にやついている。そんな佐久間にからかわれることが多い俺は少し仕返しがしてやりたくなった。だから、思わず口走ってしまった。

「じゃあ、お願いします」

時が止まったかのように沈黙が生まれた。居心地は悪くは無い。けれども気まずいと思うのは何故だろう。

「分かった」
「へ?」

俺の頭を撫でていた手が腰に回される。異様に冷たい汗が一筋、背中を伝った。顔を上げたら口角を吊り上げた佐久間の顔が視界いっぱいに広がる。ああ、しまった。後悔の文字が脳裏を過ぎった時には腰へ回された腕に力が込められていた。

「ごめ、冗だ」
「だーめ」
「や、やだっ!離せっ!離れろ!」

FWとGKによる攻防戦がフィールドではなく部室で繰り広げられる。きっと世界一幸せだと思える攻防戦なのだろう。そんな気持ちも生まれたけれど、感情に流されて妥協してはいけない一戦でもあった。

小さいと感じる幸せが実は大きなものであることを、一体どれくらいの人が気付いているのだろう。



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私は気付いてますよ!お話に収集がつかないことをっ!(ダメじゃん)

201205.加筆修正



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