人は見掛けで判断してはいけないのに。
8月13日
部活開始から30分、準備運動などでウォーミングアップを済ませる。本格的な練習に入る時、俺は佐久間に一言声を掛けた。
「ちょっと職員室に行ってくる」
「何で?」
「昨日話しただろ?」
何故俺が職員室に行かなければならないのか。それは、15日が登校日であるのに対して俺の体が依然として女のままであるから。もしかしたらその日までに戻らない可能性も無きにしも非ずと云うことで、担任に相談しに行くのだ。
「一人で行けんのか?」
「それくらい平気だ」
「あ、そ。まあ、今日出来ない分は明日死ぬ気でやれよ」
「分かった」
別に今日出来ない分と言ってもほんの一時間程度じゃないのかと思ったが、佐久間の目がいつもの威圧的なものでは無かったので思わず言葉を飲み込んでしまった。
佐久間は何かを案じている。けれどもそれが何なのかは分からない。こんなに長い間行動を共にして来ても、未だに考えていることが分からないのは正直もどかしくもあり、自分が頼りなく感じる。佐久間は俺のことを分かっているのに、俺は佐久間のことを分かっていない。その事に気付いたら何だか悲しくなってきた。
しゅん、と頭を垂れると佐久間がいつもの調子で声を発した。
「そんなに明日に回るのが嫌なのかよ」
「え、や、違うぞ?」
「ふーん」
(あれ、意外と佐久間も俺のこと分かってない?)
「どうでもいいけど、さっさと行けよ。練習時間短くなるから」
「そうだな。じゃあ行ってくる!」
スタジアムから出て行って、少し離れた校舎へと入る。いちいち生徒玄関へ回るのが面倒臭いので渡り廊下へと通じる扉から中へ入った。
帝国学園は名前の割に内装は意外と普通だ。入学当初は何もかもが厳粛に行われる堅苦しい所だと思っていたのだが、いざ入ってみるとそれも良い意味で崩れたのを覚えている。他校と比べると豪華な造りかも知れないが、窓から零れる陽の光が作り出す暖かい空間は全く同じだ。
(そう言えば、此処で佐久間と初めて喋ったんだっけ)
階段を上りながら昔の事を思い出す。それは遠いようで近く、新しいようで古い記憶だった。踊場の窓から見える桜の木が夏の日差しを浴びてキラキラと光っている。あの時はキレイな桃色を身に纏っていたが今は緑色だ。ふと季節の移り変わりを視覚で感じたことに笑みが零れる。
一段一段上がると直ぐに「職員室」と書かれた札が掛かっている扉が見えた。其処は他の教室よりも威圧的で初めて来る人は皆尻込みしてしまう。そう言えば俺は昔からすんなり入れたなあ、などと馳せながら重そうな扉を軽くコンコン、と鳴らした。中から人の返事が聞こえて来ないのはいつものことだ。
「失礼します」
見掛けに寄らず軽い音を立てて開いた扉の先にあるひんやり冷えた空気が肌を包み込む。外との温度差にびくりと体が震える。視線を彷徨わせていると、奥から一人の男性がマグカップを持って出て来た。
「どうした?」
「あ、源田です。数多先生にお話があって……」
「入れ。空気が逃げる」
距離が離れているからか、先生は俺に何の違和感も持たず快く中に入れてくれた。
部屋は広く、沢山の机が敷き詰められている。改めて教員の数に目を見張った。入り口と対角線上にある先生の机へ辿り着くのにも沢山の机の横を通る。職員室には数多先生しか居らず、それだけで今が休日期間中であることを匂わせていた。日替わりで最低でも一人の教師が職員室で待機しなければならず、今日は数多先生が担当らしい。寺門が昨日教えてくれた。
「他の先生は?」
「今日からお盆だろ?一緒だった先生が初盆で急遽来られなくなったんだよ。まあ、お盆中に部活をやるのもサッカー部含めそう居ないから代わりを頼まなかったんだよ」
「そうですか」
正直、その方が助かる。体に慣れてきたとは言え矢張りこのことを新たに話すのは気が引けるのだ。
「で、話って?」
「あ、の……」
どう切り出せばいいのか考えあぐねている時、先生が初めて俺に視線を移した。
「お前、暫く見ない内に痩せたか?」
「え」
「いや、何だか一回りくらい小さくなったような……」
「あのっ、そのことについてなんですけど……っ!」
それから事の始まりを全て話した。先生がどう思って聞いていたのかは分からない。何も言わずにただじっと聞いていた。
そして俺の話が終わった頃に口を開くが、其処から飛び出した言葉に俺は耳を疑った。
「話は分かった。じゃあ、取り敢えず全部脱げ」
「へ?」
表情一つ変えずに言う先生に対して俺は言っている意味が分からなくて間抜けた声で聞き返してしまった。理解しようとしたけれど、あまりにも突然で何を言われたのか忘れてしまっている。
「脱いで裸になれと言ってるんだ」
「どうして…ですか?」
無意識に声が震える。先生の目論見や行動が読めなくて、言葉の内容を理解した時には声と同じように体も震えていた。
「どうして?愚問だな。本当に女の体になったのか確かめる為だ」
先生は座っていて、俺は立っている。先生の方が見下ろされる側なのに俺が見下されている気がした。そんな不思議な感覚に陥る。
「嘘ではないのなら出来るだろ?それに元は男だ。それとも何か?心まで女になったのか?」
「……っ!」
鼻で笑うように挑発的な言葉を次々と発していく。今までこの姿になって裸を見たのは佐久間だけだ。既に一人に見られているのだから、と自分を納得させようとした。けれども体は動かない。それはまるで、佐久間以外の人に見られるのを嫌がっているかのようだった。
「出来ないなら対策を練る必要は無いな。15日はいつも通り来い」
「っ、わかり…まし、た」
噛み締めた唇から絞り出した声は小さく、相変わらず震えていた。俺の言葉にニヤリと笑みを浮かべた担任は足を組んで俺をじっと見つめる。
「じゃあ、早く脱ぎなさい」
「…はい」
どれくらい時間が経ったのだろうか。いや、実際はそんなに経っていないのかも知れない。何をされているのかも、自分の身に何が起こっているのかも分からなくてただただ変な感覚を全身で感じるだけだった。
何度嫌だと言っただろう。何度拒絶をしただろう。もう何度目の懇願だろう。
向こうは俺の意見を丸で無視してそのくせ自分の意見を押し付ける。脅し混じりに。
痛くて辛くて気持ち悪い。負の感情しか湧いてこない。こんなことをする必要が有るのだろうか。問いたいのに怖くて訊けない自分が情けなかった。
「痛っ…せんせ、ぇ」
「直ぐに良くなる」
「も、やだ…っ、やめ、て」
「今止めたら辛いのは源田だぞ?」
「ひぁ…っ!」
それでもいいから止めて欲しかった。けれども先生の動きは止まらない。寧ろ程度が増しているように感じた。
「っく、まぁ…さくっ…ま、ぁ」
頭の中ではずっと佐久間を呼び続けていた。それが声に出た時、先生の目つきが変わる。獣のような瞳は一層細く、鋭くなり俺を捉える。その瞳と視線が交わったら体がビクッと揺れて心臓が速くなった。単純に、恐怖の念で締め付けられている気がする。
そんな時だった。
「おい」
いつの間にか先生の背後に立っていた佐久間が低い声を出す。その目は先生のそれよりももっと怖かった。けれども何故か安心する。佐久間が居る、ただそれだけのことなのに。
其れから暫くして、俺と佐久間は職員室を後にした。一人分の足音しか廊下に響かないのは俺が上履きを履いていないからだ。佐久間の歩く音だけが人気の無い寂しい廊下に反響する。
お互い無言のままである空気が重い。
「ごめんなさい」
「何が」
「また佐久間に迷惑を掛けてしまった」
「別に」
「ごめ、ん…」
ポタ、と一滴の水が廊下に落ちた。それを合図にポタポタと次から次へと落ちていく。俺の足は佐久間の三歩後ろで止まってしまった。
「ごめっ…佐久間っ、ごめんっ!」
「おい」
「ごめ…なさ、ごめん…っさ、い…ご、め…なさ、い」
「源田!」
背中に痛みが走ったのは直ぐだった。朝だからか照明の点いてない廊下は薄暗い。壁に取り付けてある掲示板に、俺も掲示されている紙のように張り付けられた。足に力が入らずしまいにはぺたんとその場に座ってしまったが、佐久間は視線を逸らすこと無くずっと俺を見ている。
佐久間の両手が俺の顔を挟むようにして後ろの壁に付いている。俺が少し見上げる形になっているがこの光景、どこかで見たことがあった。ああ、そうだ。最近もスタジアムのベンチでこんなことをされたな。そう、あの時は確か……
「…っン」
ゆっくり近付いてきた佐久間の唇に俺から吸い付いた。あの時は佐久間からで、直ぐに離れていったのが凄く寂しかったんだ。だから今度はそうならないように逆の事をした。直ぐに離れていかないように佐久間のユニフォームをしっかりと掴む。だから、直ぐに離れようとした佐久間を引き止めることが出来た。
ふ、と佐久間の力が抜けた気がしたのも束の間、顎を片手で上に持ち上げられた。一気に息苦しくなる。こればかりは予想外で今度は俺から離れようと試みるもびくともしない。酸素不足で苦しい。空気を取り込もうと唇を開けた刹那口内に異物が侵入して来た。
「ふ、…んンっ」
飲み込めなかった唾液が口端から滴り落ちる。舌と舌が絡まっている時、俺は何を考えていたのだろう。ただ、頭がふわふわして、近くに佐久間を感じて。
唇が離れる。以前のような寂しさは感じなかったが代わりに息苦しさが支配した。肩で息をしている時、佐久間が抱き締めてきた。
「お前バカだろ」
「な、んだ。いきなり」
「あんなことされたら歯止めが効かねーだろバカ」
「だって。いっつも佐久間は短いから……寂しかったんだ」
俺も腕を佐久間の背中に回す。暗いし佐久間の顔は俺の横にあるから良く見えないけれど、感じる鼓動は俺と同じくらい速かった。
そう言えば、先程のを「ディープ」と言うのだったっけか。いつぞやかの記憶を思い出して記憶同士を照らし合わせる。
「佐久間とのディープは二回目だな」と言ったら、また「バカ」と罵倒されてしまった。でもより強く抱き締めてくれたから何も言わずに俺も抱き締め返した。
*****
オ チ ナ イ !
これは、まだ、関係がなあなあ。
結構途中端折ってありますが、これはまた別に記述したいと思ってます。きっとR指定になるので。
201205.加筆修正
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