8月10日
今日は珍しく一日中オフだ。どういうわけか、昨日、佐久間が
『偶には休息も必要だろ。絶対必要だろ。っつーか重要だろってことで明日の部活はなーし!』
と声高々に言ったので、オフになった。
帝国のオフは気紛れに訪れる。それもこれも佐久間の気分次第なのだが、流石は参謀と言った所か、その不定期なオフも部員のフィジカルな問題だったりメンタルな問題を危惧してのものだった。何だかんだでちゃんと周りを見ているのだから佐久間は凄い。
特にやることが無い俺は寮の自室でゴロゴロしたり、ストレッチしたり、鏡の前で一喜一憂したり、忙しいと言えば忙しいが端から見るとただの暇人だ。否、実際暇なのだ。
今日は絶好のサッカー日和と言っても過言ではないくらいの快晴で、空は澄んだ青色が辺り一面に広げている。(まあ、スタジアムで練習している俺達には晴れも雨も関係無いが)
ベランダで風に揺れている洗濯物も直ぐに乾くだろう。
夕飯の買い出しにでも行こうか。でも、夕方まで待った方がタイムセールで安くなる。しかし夕方までにはまだまだ時間があった。
「よしっ」
部屋着から適当な服に着替えて出掛ける準備をする。同じ寮生活の奴らはもしかしたらまだ寝ているかも知れないので声は掛けないでおこう。午前9時台と言えば既に部活を始めている時間帯だが、今日は休みなのだから寝ている者が多いと思う。
俺は寮を出ると、(この体になってから一人で乗るバスにはあまりいい思い出が無いと言うのもあって)トレーニングがてら稲妻町に向かって走り出した。当然、事前の準備運動は忘れない。
稲妻町に入り、暫くすると河川敷でサッカーをしている人の姿が見えた。急に立ち止まるのは良くないので、徐々にペースダウンしてから最終的には歩く程にまで落とす。
階段を下りて近付いて行くと、見知ったユニフォーム姿が目にとまる。
「……円堂?」
ボソッと呟いた筈なのだが、一際目立つユニフォーム姿の円堂が此方に気付き、サッカーを中断させた。良く見ると、相手は小さい子どもばかりだ。
「源田!どうしたんだよ?」
「今日は部活が休みになって……」
「そっか!あ、紹介するよ。こいつらは稲妻KFCの連中なんだ!」
円堂が子ども達に手招きをして呼び寄せる。余程懐いているのか、さっきまでボールを追い掛けていた子達が円堂の周りに集まってきた。
「円堂ちゃん、この人だあれ?」
「彼女だあ!」
「俺の姉ちゃんよりおっぱいでけぇ!」
流石子どもと言うべきかその発想には驚かされる。そもそもこの中で俺が男だと言うことは円堂しか知らないのだから仕方が無いのだが。
「ち、違うって!源田は……っ」
「源田ちゃんもサッカーやるの?」
顔が赤くなってわあわあと一人慌てる円堂
を余所に、ピンク色のピッグテールの女の子が目の前に来て頭一つ分も二つ分もある身長の俺を見上げて言った。その目はただただ純粋で、きらきらと輝いていた。
「ああ、円堂と同じGKだよ」
「本当?!でも雷門じゃあ見かけないね」
「源田はあの帝国のGKなんだ!」
「ええ?!」
「あ、や、そのGKの…し、親戚っ!……かなぁ」
これ以上(しかも今日会ったばかりの子たちに)俺が元々男で、訳あって女の子になっていることを知られたくなかった。一々説明するのが面倒臭いから、と言えばそうなのだが、根本的な理由はもっと別の所にあった気がする。頭の隅に佐久間の顔がチラついた。
「源田ちゃんも一緒にやろう!」
引っ張る腕の力はつい最近体験した腕の五分の一にも満たなかったが、女の子にしては力強いと思う。無計画のジョギングはそこで幕を降ろした。
円堂がGKのチームと俺がGKのチームに分かれて子ども達のボールを受け止める。多少なりとも手は抜いていたにしても、完全に舐めきっていたわけではない。俺も円堂も彼女達に対して向き合う気持ちは真剣そのものだった。
それからポジションを交代したり、シュートやドリブル、トラップとGK云々について等、教えられることは全て教えたつもりだ。
夢中になってボールを追い掛けて、追い掛けて、追い掛けて……。久しぶりにシュートを決めた時は凄く新鮮で、気持ち良かった。佐久間もこんな気持ちなのかな、なんて思ったり。
気付けば日が落ち始めていて、俺も円堂も肩で息をしていた。子ども達は俺たちよりももっと負荷が掛かっていたに違いない。
「大丈夫か?」
「平気っ!」
親指をビシッと天に向けて真っ直ぐ立てる。女の子なのに凛々しくて、格好よかった。
何か飲み物を買って来てやると言えば、今までバテていたのがまるで嘘のように、みんな元気になった。子どもは現金な奴が多い。全員の注文を聞いて、最後に円堂にも訊く。
「えっ、そんなの悪いって!」
「何でもいいのか?ならお汁粉でも買ってこようか?」
「普通のっ!普通のスポーツドリンクで!!」
「ふふっ、了解した」
少し強引過ぎただろうかとも思ったが、こうでもしないとずっと遠慮していそうだったから仕方が無い。円堂もついて来ようとしたがそれを断った。だって、円堂まで来たら誰が子ども達を見ているんだ?
河川敷から走るとすぐにコンビニが見えた。入ると無理矢理テンションを上げる店員の声が聞こえる。事務的な遣り取りに耳を傾けつつも反応はしない。まあ、反応しようにもどのような反応が適切なのか分からないのが正直な所だが。
「あ。これ……」
佐久間が好きなやつだ。そう言葉にしようとして止めた。さっきから何でも佐久間を引き合いに出そうとする自分に気付いたからだ。
手に持った商品を棚に戻す。そう言えば、今日は一回も佐久間に会ってない。佐久間と喋ってもいないし、佐久間の声も聞いてない。いつも見てた背中も今日は無くて。ただ、其れだけのことなのに、それに気付いたら急に胸が苦しくなった。
(……佐久間)
頼まれた品を乱雑に籠に入れてレジに持って行く。心臓が五月蝿い。走ったから?それだけじゃない気がする。
「あ、それだけ別にしてもらってもいいですか?」
レジをしている男の店員の視線だとか、声だとか、情報として一切入って来なかった。あれだけ見られるのが嫌だったのに。それよりも、もっと嫌な事が分かったから。
重さの違う二つの袋を提げて走った。再び河川敷に戻ると半ば押し付けるような感じで円堂にそれを渡す。その際、何か言っていたが俺の耳には届いていなかった。
石の階段を一段飛ばしで駆け上がる。数えるくらいしか通ったことの無い道を無我夢中で走る。以前来た時は隣に佐久間が居た。だから、どうして今居ないのかと疑問に思う。答えは簡単なのに。分かっているのに。
息を整える余裕も無いくらい、今の俺は焦っていた。ある一件の家に着くとインターホンを鳴らす。スピーカーからは聞こえず直接肉声として耳に入ってきた声は紛れもない、俺が今日一番聞きたかったそれだった。
「佐…久間っ」
「は?え?源田??」
帝国の制服でもユニフォームでもない、普段着を身に着けた佐久間は、出て来た時こそ気怠そうだったものの俺を目に留めてから声のトーンが変わった。それは、驚きによるものだろうがそれだけで嬉しく感じる。
佐久間の姿を見たら、声を聞いたら、気が緩んだのか全身の力が抜けた。膝から崩れ落ちるようにして座り込んだ俺に佐久間が駆け寄る。あまりにも本気で心配している顔だったから思わず笑ってしまった。
「何笑ってんだよ」
「いや、…ははっ。何だか……っふふ」
「気持ち悪いな」
「ごめっ、でも…安心したんだ」
悪態をつきながらもちゃんと支えてくれる。目の前には佐久間が居て、聞こえるのは佐久間の声で、触れた所から感じる熱は佐久間のもので、俺を落ち着かせる匂いも佐久間のものだ。
「佐久間っ…さく、まぁ」
「ちょっ、おまっ」
何泣いてんだよ、と焦った佐久間に言われて初めて自分が泣いていることに気付いた。汗臭い体を優しく抱き締めてくれる。俺も縋りつくように腕を回した。
会いたかったんだ、お前に。
聞きたかったんだ、声を。
不安だったんだ、ずっと。
いつから、ずっとお前を探していたんだろう。
*****
この終わり方はなんなんだろう。
源田さん、円堂には改めてメールで謝罪したそうですよ。
201205.加筆修正
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