微かなカオリ | ナノ

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 「失礼しまーす」

 放課後も会議だなんだと忙しい部屋の主はまだきっと来ていないだろうから、返事を待たずにその数学科準備室の戸を開けた。そこにはいつもの香りが漂っていて安心する。タバコと、コーヒーと、先生の匂い。

 オレと先生の所謂「お付合い」が始まったのは3ヶ月前。出会ったのは今年の春だ。今までの先生が産休に入ったので、代わりに土方先生がオレのクラスの数学を担当することになった。授業をサボったり居眠りするオレは最初から怒られてばっかりで、ムカつくからこっちも負けずに言い返す。そのうち数学の授業中に少なくても1回は口喧嘩するのが恒例みたいになってた。

 初めはこいつマジで気に入らねーって思ったけど、そのうちに先生が実はものすごく生徒想いなくせに口が悪くて口べたで不器用なんだって分かり始めて、いつの頃からか意識するようになってた。意識してそれから好きだって自覚してからも、毎日先生にちょっかい出して戯れるだけで満足してるつもりだったのに、事あるごとに“受験”だとか“高校生活最後の”とか周りが騒ぐから、嫌でも来年には卒業するという事実が突き付けられて。卒業したらもうこうやって先生に会えなくなるんだと思ったら急に怖くなって、ちょうど夏休みの前に思い切って告白した。初めははぐらかされたけどそれでもめげずに迫って、そりゃもう本当に頑張ってアタックして、告白から2ヶ月後、ようやく先生の首を縦に振らせた。
 でも。先生はまだオレに一度も好きだなんて言わないし、そういう態度すら取らない。

 先生はオレのことちゃんと好きなんだろうか。
 必死で縋ってくる教え子を無碍にできなくて仕方なく付き合ってるんじゃないか。
 ああ見えて先生はすごく優しい人だから。本当の気持ちを知るのが怖い。 
 だって、この部屋で先生と過ごす時間が幸せすぎて。それを失うことだけはしたくないんだ。
 オレといる時はタバコの本数を減らす先生、なんだかんだ言いながらここの小さな冷蔵庫にいちご牛乳をストックしてくれてる先生、掠め取る様にキスをすると耳の先まで真っ赤になる先生。
 全部、全部、大好きなんだ。
 ねぇ、先生はオレのこと、どう思ってる?
 
 ぼんやりとそんなことを頭に巡らせながら、いつもの定位置であるくたびれたソファーの端っこに座って部屋の主を待つ。暖房と強すぎない冬の夕陽が部屋と体を暖めてくれたから、ほんの少しだけ眠気が襲ってきてぽすんとそこへ横になった。軽く瞼を閉じ肺いっぱいにこの部屋の香りを吸い込む。

「すまん、遅くなっ...」

 慌てて戸を開けて入った部屋では、教え子がソファーでうたた寝をしていた。教え子であり、恋人でもある坂田が。

 今年の春、2年目の新米教師である俺は初めて高3の授業を受け持つことになり正直かなり緊張していた。受け持ったクラスにいた坂田は授業はサボるし、今日は真面目に聞いてるかと思えばこっそり居眠りしてるようなヤツで怒鳴ってばかりだったが、いちいち言い返してくる奴との言い合いで上手い具合に肩の力が抜けたのか、いつの間にか授業をスムーズに進められるようになっていた。それからも何でもないことで突っかかってくる坂田とは毎日のように喧嘩のような言い争いをしていたが、授業中ふと気付くともの言いたげな目で俺を見ているアイツが気になって、いつしか俺も目で追うようになっていた。
 坂田に告白されたのは、夏休みに入る直前の酷く暑い日だった。驚いたけど、嬉しくなかったと言えば嘘になる。でも、俺と坂田は教師と生徒。初めは教師らしく軽くあしらっていたのだが、夏休み中も夏休みが終わってからも理由をつけては何度もこの部屋に通って、何度も何度も真剣に「好きだ」と告げてくる坂田に絆されて、9月も半ばを過ぎたある日、ついに俺は首を縦に振った。

 吸い寄せられるようにソファーで眠る坂田の傍らに腰を下ろす。ずっと前からゆっくり触れてみたかったんだ、このキレイな銀色の髪に。フワフワしてて、キラキラしてて、まるでお前自身のようで。あちこちに散らばる毛先を一束指に絡ませてみる。お前は「天パじゃなければオレの人生もうちょっと違ってたんですぅー」なんてバカなこと言うけど、俺は案外お前の髪嫌いじゃないんだ。

 くるくるとその毛先を指でいじりながら、寝顔を見る。普段から憎まれ口ばっかりで悪ガキそのものだが、こうして見るとやっぱりまだ子供だ。子供だからこそ、あそこまで真っすぐにぶつかってきてくれたんだろうと思う。社会に出て、良くも悪くも分別がついた自分には絶対にあんな真似できない。「先生のこと、オレ、本気で好きだから」あの夏の日、ここでオレの目を瞬ぎもせずに見据えながらそう言ったコイツの顔がふと頭を過った。
 でも。それに対して自分はまだどこか一線を置いてしまう。大人ぶって冷静なフリをしているが、本当は、怖いんだ。

 お前の言う「好き」って思春期特有の大人に対する憧れってやつじゃないのか。今はこの“学校”っていう狭い世界がお前の全てだけど、世の中は広いしもっと楽しい物事に溢れている。卒業したら俺のことなんてキレイさっぱり忘れちまうんじゃないか。
 俺はそれを面と向かっては決して聞けない。聞いてしまったら、箍が一気に外れてしまいそうで。
 
 卒業してからもその先もずっと一緒にいたい、心の底ではそう思ってる。でも坂田の俺を好きだという感情が一過性のものだったら――。坂田の本心を確かめ、俺が本音を告げることで、コイツを縛っちまうんじゃないか。お前は適当でちゃらんぽらんで決して真面目な生徒とは言えないけど、困ってる奴をさりげなく助けてやったり、頼ってくる奴には口では嫌々言いながらも手を差し伸べるとても優しいやつだって俺は知っているから。

 まだたった3ヶ月だけど、お前を知れば知るほど惹かれていく。俺を見つけると途端にキラキラと輝かせるその瞳、仕事で凹んでいるとそれとなく元気づけるような言葉をぼそっと呟く横顔、不意を突いてキスしてきた時に漂う微かな甘い香り、帰り道、人気がないのを確認してからそっと繋いでくる少し冷たい手。
 俺もお前のこと、本当は、大好きなんだ。
 
 坂田の髪を弄びながら顔を見つめていると、やっぱりどうしようもなく愛おしいと改めて思った。あと3ヶ月と少しでコイツも卒業。来週末から始まる冬休みが終われば、3年生はじきに自由登校になる。最近ふとした瞬間に不安そうな表情を浮かべるのにも俺は気付いていて、それでも見てみぬフリをしていた。

 ――そろそろ俺も狡い大人を卒業して、腹を括るべきなのかもしれない。コイツと2人で過ごすこの宝物みたいな時間を失うくらいなら。そんなこと、想像するだけで心臓を手でぎゅっと掴まれたように苦しくなる。

 次に坂田から好きだと言われたら、俺も、と返そう。手を繋がれたら、しっかり握り返そう。今までは仕方なく応じてやってるような態度しか取れなかったけど、好きだなんて言えなかったけど。コイツがこれまで勇気を出してくれた分、俺だって。
 でも、その前に。ちょっとだけ素直になる練習をさせてくれ、とこっそり額に口付けようと顔を寄せると、突然瞼をぱちりと開けた坂田と目が合う。その瞳はあの日と同じく酷く煌めいていて。


「せんせ、大好きだよ」


 練習のつもりが本番になっちまった。
 苦笑いしながら「俺も、好きだ」と返し、初めて自分から坂田の唇にキスをした。



クソ暑い夏にクリスマス間近の話を書くという暴挙。次のページに坂田くん視点のおまけSSがあります。宜しければどぞー。
2011/08/25

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