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 皆帆くんは僕の「理解に苦しみますね」という言葉を待っているとしか思えない。


 当初、ギャラクシーノーツ号の窓に広がる光景が本当に宇宙だなんて信じられなかった。しかし、宇宙人とサッカーをしてしまった後からは、目の前で起こる現実離れした出来事に、これはもう理屈ではないのだから、理解という手順を飛ばして受け入れていかないと頭がいくつあっても足りないと気づいた。理解せず受け入れるだなんて、これまでの僕にはあってはならないことだった。小さい頃から、どんなことでも全て効率よく答えを導き出さねばならないと教えられていた。僕は息をするように物事の答えを導き出して、世界はあまり難しくできていないのだと確認していたのに、どうやらそれは僕の勘違いだったみたいだ。家や塾に込もって勉強ばかりしていた僕の世界が宇宙の広さに敵うはずがないのだ。
 それから僕は自分の『当たり前』を捨て去ったつもりだったのに、それでもまだ驚かされてばかりいる。サッカーを始めてから僕の常識は覆されてばかりで、以前の環境に郷愁すら感じる。
 僕はさっき、窓の外を覗いて何気なく「あの星にも誰か住んでいるんですかねぇ」と言ってしまった。この状況に順応している証拠だ。それに気がついて、やはり僕はまだ納得がいかなかった。理解することを諦めきれていないのだ。
 ただでさえ納得できないことだらけだというのに、皆帆くんときたら、出会った頃から何かあると必ずと言っていいほど僕の心に引っ掛かることばかり言う。
 僕はため息を吐き、寝台車両に設けられた椅子に座る、対面の皆帆くんに向かって、久しぶりの理にかなったことを論じた。
「いいですか皆帆くん。地上で見る星というのは星そのものではなくて光ですよ。ここにいたって光であるものもありますが、肉眼で星を確認できているじゃないですか。それなのにそんな子供じみたことを信じるなんて」
 眼鏡をかけ直して窓を一瞥し、また皆帆くんを見る。皆帆くんは僕の意見を聞くと、お決まりのポーズでふっと息をついた。
「真名部くんは夢がないなぁ」
「皆帆くんが無駄にロマンチストなだけです」
「そうかな? でも真名部くんもこの話、聞いたことあるよね?」
「ありますけど……」
 どこで聞いたのかは覚えていないのに、知っている。あまりテレビは見ないので、小説で読んだか、人伝に聞いたに違いない。少なくとも僕の両親が言うわけがないのだから、保育園とか、そういう幼稚な考えが通用する場所で聞いたはずだ。
「すごいことだと思わない? だってそれはある意味みんなの常識になっているってことだよ」
「仮にその話が本当だとして、死んだ人間の魂が宇宙まで昇ってきて凝固し、目に見える塊になったものが星だとでも?」
「そうだったら面白いね」
「それこそ理解に苦しみます」
 本日二回目の台詞に、皆帆くんはにこりと笑った。やっぱり皆帆くんは僕を困らせたいだけだ。
 僕と皆帆くんでは解法や考え方がまるで違う。式に基づいて一つずつ組み立てていく僕とは逆で、皆帆くんは提示された問題を切り崩していくタイプだ。そのため様々な角度で答えを求められる利点があるが、噛み合わないと衝突を招く。そして、どうやら皆帆くんは僕と衝突をしたがっている。こうして討論が始まることも珍しくないが、それらの大半は皆帆くんから持ち掛けられるケースが多い。
「第一、これも有名な話ですが、地球に届く星の光は今のものではありません。詳しく説明しなくてもこれくらい知っているでしょう?」
「うん、知ってるよ」
「なら死んだ人間が星になったとしても、その光が生きている僕たちに届くはずがないんですよ」
 今回は僕の圧勝だった。僕たちがわざわざ話し合うテーマでもないのだから当たり前だ。これに反論できる理論などないだろう。現に皆帆くんは少し困った顔をしている。僕はつい得意気になって、机に頬杖をついて口角を上げた。
「確かにね」
 皆帆くんは脱力して背もたれに体重を預けた。それなのに皆帆くんの目は輝きを失っていない。
「でも僕は思うんだよ。光の速度よりも人を想う気持ちの方が速いってね」
「はあ」
「それに今届いている光が誰かの光だとしたら、僕らは誰かを想う人たちに見守られているってことになるよね」
「見ず知らずの誰かに見守られてどうするんですか」
 もし皆帆くんが言うように、亡くなった人の、誰かを想う気持ちというものが本当に存在していたとして、僕たちがそれを感じる瞬間はいつだろうか。まるで想像がつかない。おそらく僕にそんな瞬間が訪れることはないのだろう。では皆帆くんは、一体いつ想いを感じるのだろうか。
 僕は一つの仮定を導き出してしまった。もしかしたら皆帆くんは、想いを感じたいと願っているのではないか。きっと皆帆くんは見守られていたいのだ。彼が尊敬してやまない、亡くなったお父さんに。
「真名部くんは本当に頭が固いなぁ」
「喧嘩売ってるんですか?」
「そうじゃないけど、もう少し柔軟に考えていこうよ」
「僕の頭は柔らかい襞でいっぱいですよ」
「真名部くんらしい捻ったギャグだね。でもちょっと伝わりにくいところは減点だよ」
「ウケを狙ったわけじゃないですけど」
 呆れて眼鏡をかけ直す。今回の件に関して皆帆くんは一歩も引くつもりはないらしい。僕は皆帆くんを言い負かす手札をまだ何枚も持っている。それなのに、僕は手札を後ろ手に隠したままでいる。
 僕の仮定はおそらく正解だろう。そのせいか、僕はこれ以上皆帆くんに正論をぶつけたくなくなってしまった。信じるものは人それぞれなのだし、そっとしておいたほうがいいのかもしれない。何より、僕は皆帆くんの気持ちなど一握りもわからない。そんな人間が口出しするのもいかがなものか。成績ばかり見て他人と多くのコミュニケーションを取ってこなかった僕にでも、相手を思いやることくらいはできる。
 それにしたって、
「わざわざ僕に言うことだったんですかね」
「うん?」
「あ、いや……」
 思わず呟いてしまった言葉はしっかりと皆帆くんに届いていた。これこそ言わなくてもいいことで、配慮が足りなかった僕のミスだ。言葉を濁していると、皆帆くんは楽しそうな表情で僕を見た。
「僕はね、真名部くん。君と話し合うことが好きなんだ。だから僕の考えに対して真名部くんがどんなことを思うのか知りたかったってわけ」
「だからいつも何かと絡んでくるんですね」
「言い方が悪いよ」
「すみません。でも今日の皆帆くんは少し変ですよ。君らしくない」
 すると皆帆くんは珍しく面食らった顔をした。何か特別なことを言った覚えはない。そんな皆帆くんの様子に狼狽していると、固まっていた皆帆くんはようやく表情を動かした。
「僕らしくない?」
「は、はい」
「そっか」
「……どうかしましたか?」
 おそるおそる訊ねると、皆帆くんは大きい目をいつものように見開いて、手を顎に添えた。
「これまでずっと、この話を信じていることを僕らしいと思ってたから驚いちゃった」
「え?」
 こんな迷信を信じる皆帆くんが、皆帆くんらしいはずがない。少なくとも僕の知っている皆帆くんは、僅かな可能性を信じることが好きな人という印象だ。少数派に肩を持ちたがるのは、その方が面白いからだろう。しかし今回はそんな僅かな可能性すら存在しない。地球でこの話を信じている人はいるかもしれないが、皆帆くんみたいな人がその輪の中にいてはいけないのだ。
 皆帆くんは時々、全て悟ったような態度を取って、自分を一つ上の立場に置いて物事を見ている。確かに皆帆くんが言うことは正しいことが多いが、彼は決して大人ではなくて、僕から見ても子供っぽいなと思うところが多々ある。僕の違和感はこれだろう。僕は、皆帆くんが自分のことを大人だと思っていると感じている。しかしこれまで散々言ってきた迷信を信じているという行為は正に子供だ。僕は皆帆くんを子供だと思っていながら、結局は大人びていると認めている。だから今日の皆帆くんを変だと思ったのだ。対して皆帆くんは、僕の想像よりも自分を過大評価していなかった。
 僕は途端に恥ずかしくなり、皆帆くんの顔から視線を反らした。僕は自分が思っていた以上に皆帆くんのことを尊敬しているらしい。
 僕の様子に気づいているのかいないのか、皆帆くんは普段と何ら変わらない顔で話を続ける。
「真名部くん、僕の学校がどこだか覚えてる?」
「天河原中でしょう」
「ほら、僕らしいじゃないか」
 やけに上機嫌な皆帆くんの笑みは、学校とこれまでの話の関係性を物語っている。
「まさか皆帆くん、君は」
「天河原中は星を身近に感じられるいいところだよ」
 開いた口がふさがらないとはこのことだ。
 僕たちの世代は学校選びが非常に重要で、将来を見据えた選択を迫られている。それなのに皆帆くんは、将来ではなく自分の信念を取ったと言うのか。
「冗談でしょう……?」
「これはね」
「なっ! み、皆帆くん。たちの悪い冗談はよしてくださいよ」
「ごめんごめん」
 どっと力が抜けていく。皆帆くんのこういうところは苦手だ。茶目っ気があるのは結構だが、真剣な話をしている時に出さないでほしい。ああ、もしかして真剣な話だと思っているのは僕だけなのか。
「知ってる? 天河原中の人たちって何故か高いところが好きな人が多いんだよ」
「皆帆くんも好きなんですか?」
「うん、好きかな。そして僕は今、誰よりも高いところにいる」
 皆帆くんは席を立つと、窓に張りついて遠くを見つめた。宇宙は暗く、星は絶え間なく煌々と輝いている。
 こちらから少しだけ見える皆帆くんの顔は笑っているものの、僕にはそれがただの笑みに見えない。
「やっぱり宇宙はすごい。眩しいくらいに光って……。あ、せっかくここまで来たんだし、生でアンドロメダ銀河とか見てみたいな。お願いしたら傍を通ってくれると思う?」
「無理でしょう」
「やっぱりそうか」
 皆帆くんの饒舌はいつものことだが、今日は特別だ。喋っていることが自分のことだけのせいか、やけに幼く見えて仕方がない。僕が聞いていなくても一人で楽しそうに話している皆帆くんの姿は新鮮で、彼の新たな一面を発見できて嬉しくなる。
「真名部くん」
「はい、何ですか皆帆くん」
 今日はもうお子さまと化した皆帆くんに付き合ってあげようと、わざと全身で受け止めたような喋り方をした。皆帆くんが見つめる方向を変えたため、こちらからは表情が窺えない。僕の名前を呼んだきり黙ったままの皆帆くんが再び口を開くのを待っていると、少ししてから落ち着いた声が聞こえてきた。
「今だけお願いなんだけど」
「お願い?」
「そう。今だけ僕の信じているものに頷いてほしいんだ」
「意見を言い合うのが好きだって言ってたじゃないですか」
「そうだね」
「まあ、いいですけど」
 振り返った皆帆くんはありがとうと力なく笑った。さっきまで楽しそうにしていたのに、何故こんな表情をするのだろう。発言だってそうだ。皆帆くんが他人の意見を無理矢理自分に合わせようとするなんて、彼のやり方にしては荒すぎる。
「星が、思ったより近いんだよね」
「そうですね。肉眼ではっきりと」
 立ち上がって皆帆くんの隣に並び、窓の外の星を見た。
 最初は本物だと信じていなかった宇宙が、壁一枚隔てたところにある。それは僕にとって納得がいかないことだった。皆帆くんは、目の前にある宇宙を初めて見た時、どんな気持ちだったのだろう。その時、僕は今みたいに皆帆くんの隣にいたはずなのに、彼がどんな表情をしていたかなど、もう思い出せない。
「皆帆くん。君は寂しいんですね」
 皆帆くんは今、誰よりも傍にいてほしかったお父さんに近づいている。そのせいで心のどこかに仕舞っていた寂しさが溢れてしまったのだと考えられる。
「真名部くんの言う通り、僕は……」
 今日の僕も僕らしくない。何故か皆帆くんみたいに、理論よりも推理に傾いた考え方をしてしまう。それでも僕は皆帆くんの寂しさに気づいてしまった。僕がしてあげられることなど何もないのに、他人が容易に触れてはいけない場所を見つけてしまった。
 皆帆くんは目を細めると、ゆるゆると笑顔を形成しようとして、失敗した。今にも泣き出しそうな皆帆くんは、僕の視線を気にしているのか、はにかんで俯くと、表情のわりにはしっかりした声で、はっきりと言う。
「僕は、寂しかったんだね」
「皆帆くん……」
「もう随分昔のことだし、受け入れて乗り越えたけど、まだまだだ」
「そんなこと、」
「真名部くん、ありがとう」
 今度こそ皆帆くんは笑顔を作った。嬉しさと寂しさが綯い交ぜになったその表情は、気持ちがいいくらいに僕の心にすとんと落ちる。
「宇宙に来てから不思議と懐かしい気持ちでいっぱいなんだ。父さんといた時みたいな、確実に何かを得ているって実感はないんだけど……。でも星の光を見てると元気が出る。だから何と言われても、僕は自分の信じたいことを信じるよ」
 ころころと変わる皆帆くんの表情は見ていて心地好かった。僕に久しぶりの『理解』をくれて、もやもやした思いを晴らしてくれたからかもしれない。
 宇宙にとって自分が塵よりも小さな存在だと、気づかない方が幸せだった。これまで深く悩んでいたことがちっぽけなことだと認めたくはない。僕は広い空間に投げ出されて不安で堪らなかった。孤独が際立つせいか、一人きりであると実感してしまった。しかし皆帆くんは宇宙空間を楽しんでいた。それは皆帆くんにとって、宇宙が孤独な場所ではないからだ。その姿を見て僕は、自分の不安を和らげることに成功していたのだ。
 皆帆くんは僕にないものをたくさん持っている。けれど僕だって負けていられない。
「皆帆くんは強いですね」
「そう?」
「はい。だからこそ、僕は君の考えに同意はしません」
 対等に張り合いたい、ライバルとして、仲間として。そのために妥協は一切しない。
「星は人ではありませんから」
 少し上を向いて言えば、皆帆くんはくしゃりと笑い、「じゃあ、また話し合わないとね」と声を弾ませて言った。




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