「で、俺の携帯は壊れたってわけか」
大学構内の喫茶店で、夏季限定メニューの氷いちごをつつきながら、太一は不満そうに言った。
「困るよなあ。あと二年は使う予定だったんだぜ」
ため息をつき、それからもう一度スプーンをのばそうとするので、ヤマトはテーブルの下でその足を思いっきり踏んだ。太一は声を上げて飛び上がる。
「いってぇ! おい、ヤマト!」
「お前、他に言うこと無いのか?」
「は? なにがだよ」
「俺たちに助けて貰った礼は無いのかって言ってるんだ!」
右足を曲げてさすりつつ、太一は情けない声で抗議した。
「だってお前携帯壊したじゃんよ。な、光子郎」
「光子郎、お前もなんか言ってやれ!」
アイスコーヒーを飲んでいた光子郎は、ストローから口を外して太一を一瞥した。
「そういう人ですよね。太一さんって」
「……わーかった! わかったよ。助けてくれて感謝してます、本当にありがとうございました!」
正面の二人に冷たい目で睨まれ、太一は観念したらしく深々と頭を下げた。


ディアボロモンとのゲームから数日が経っていた。通常の生活に戻った三人は、終わりにさしかかった夏季休暇の合間をぬって、大学に課題のレポートを片付けにきている。
集まったついでに、と太一はこの前の騒動の話を聞きたがった。すでに事情を伝えてはいたが、いまだに半信半疑な表情で二人に質問をぶつけている。
「だってさあ、俺からしたら普通にベッドに入った後の記憶しかないんだよ。それで、起きたらなんかヤマトが怒ってるし、携帯は壊れてるし、俺はキッチンで寝てるし?」
あの日、太一が目を覚まして初めに目にしたのは、鬼のような形相で自分の携帯を破壊するヤマトの姿だ。いつも頼りになる後輩はヤマトを止めることもなく、目を開けた太一を確認するなり台所の床にへなへなとへたり込んだ。
「ひとんちの台所で男二人が半泣きになって、何? 俺、殺されたの? 今から死体隠すところ? って感じじゃん」
「だから、さっき話しただろ。ディアボロモンがお前の偽物を作って、俺達にゲームの相手をさせてたんだって」
先程から何度も同じ話をしているヤマトに、太一はおそるおそる尋ねる。
「なあ。ほんとに俺の携帯でなにか変なことして、証拠隠滅とかしてないよな?」
「いい加減にしないと本気で殴るぞ」
まだ何か言いたそうな顔をしていたが、ヤマトが睨みつけると諦めたらしく肩を竦めた。
「わかったよ。でも、ちょっと見てみたかったなぁ」
「見てみたかった?」
「その、ディアボロモンが演じてたっていう俺の偽物だよ。光子郎とヤマトが騙されたなんて、よっぽど出来が良かったんだろ?」
そいつが講義受けてくれればいいのに、と、スプーンを操りながらのんきな言い草だ。その姿にヤマトはあの液晶画面が重なって見える。
「たしかにな。やることなくて退屈だとか、俺がブラコンだとか、あと、オムライス食べたいとか」
「マジかよ、光子郎にも?」
「……はい、いろいろ」
光子郎はなにかを話しかけて口ごもる。ヤマトも偽の太一に向かってうっかり弱音を吐いたことを思い出し、少し赤くなった。
「ああ、お前そのものだったよ! 声も口調も、性格もな」
吹っ切れたように言い切るヤマトに、太一もようやく気味の悪そうな表情になる。
「それってやっぱり、ディアボロモンが盗聴かなんかして俺の特徴を盗んでたのか?」
「おそらく、そうでしょうね。声は合成、外見はCGでどうとでもなりますし。性格に関しては演技か、もしかすると太一さんの考え方を真似た擬似AIを作っていたのかも」
「へえー」
「僕もCGは見慣れてますけど、本当にすごいクォリティでした。太一さんの言うとおり、少し惜しかったかもしれませんね」
光子郎は、携帯を壊してしまったのを後悔しているらしい。敵が作ったものとはいえ、ディアボロモンが使った太一のアバターは表情豊かだった。ハリウッドにでも提供すれば特殊映像の進歩に貢献できたかもしれない。
「俺達ってけっこう付き合い長いのに、見抜けないもんだな」
「仕方ないだろ、お前が人質に取られたと思い込んでたんだ。お前だって、俺の立場だったら騙されてたと思うぞ」
「まぁ、デジモン関係なら何が起きたっておかしくないもんな」
「そこをつかれたとも言えますよね」
「つかれたって、何が?」
太一が首を傾げた。光子郎は、はい、と言葉を続ける。
「今回の事件は不自然なことだらけでした。ディアボロモンは太一さんの膨大なデータを何処に隠しているのか。ゲートを使わずにどうやって太一さんをアップロードしたか。……そういった点を、『デジモンだから』で、スルーしてしまったんです」
「そうなんだ。俺も、どうして太一をすぐに消去しないんだって、考えたけど答えが出なかった。でもアイツ、『しない』んじゃなくて『出来なかった』んだ。そもそも誘拐なんかしてないんだから」
二人で納得しているヤマトと光子郎の前で、太一が頬杖をついた。
「人のこと消去するとかしないとか、軽々しく言うなよな」
「実際にどうなるかわからなかったんだ、最悪のパターンは考えるだろ」
「とか言って、もし俺が消えてたら、お前ら泣くくせに」
「何いってるんですか」
光子郎はあくまで素気無い。ヤマトは、彼がディアボロモンに時間制限を迫られていたときの表情を思い出したが、自分も墓穴を掘ることになるので触れなかった。
「なあ光子郎。そんなことより、もっと気になることがあるだろ」
「何ですか?」
「まだあるのかよ?」
「うるさい。……まず、ディアボロモンはどうやって太一をキッチンの床下収納庫に入れたのか、だ」
表情を険しくするヤマトに、光子郎も頷く。
「はい、確かにそれは僕も気になってました。たしか、太一さんは事件の前の夜はいつもどおりに自室で寝て、目覚めたときには床下収納にいたんですよね?」
「ああ、もちろん」
「じゃあ、自分がどうやって移動させられたかはわからないと」
「まあな。でもそんなの、人間側でディアボロモン側の協力者が居たとかじゃないか?」
「いや、そんな奴が家に忍び込んで、キッチンでゴソゴソやってたらヒカリちゃんが気づくだろ」
「太一さんちのマンションの監視カメラにも、特に住人以外の出入りは無かったんですよね」
事も無げにいう光子郎に、二人は深く掘り下げるのをやめた。
「じゃ、ディアボロモンがネット経由で電化製品動かせるから、それで」
「お前んち、人を持ち上げて動かせる家電があるのか?」
「うーん、あとは……」
「太一、お前夢遊病だったりしないよな」
「んなわけないじゃん」
太一は呆れた顔で返した。
「だけど、そうとでも考えないと説明がつかないだろ。それとも、実はディアボロモンはクラモンを大発生させた時みたいな手を使って、自由に現実世界を行き来してるのか?」
だとしたら事は深刻だ。考えこむ二人に、光子郎が手を上げる。
「それについて、太一さんに聞きたいことがあって」
「なんだ?」
「あの事件の前、太一さんは睡眠導入アプリを使っていたんじゃないですか?」
「睡眠、導入?」
聞きなれない言葉に、太一の目が丸くなる。
「なんだそれ?」
「読んで字のごとくで、なかなか寝付けない人が早く眠りたいときに使うんです。そのアプリを起ち上げると、眠気を誘う音楽が流れたり、ぼんやりした光が液晶に映し出されたりして、それを眺めてるといつの間にか眠っている、という。アプリ市場では、結構メジャーですよ」
「へえ、音楽ってのは、ヒーリングミュージックか」
ヤマトも聴いたことがある。潮騒や川のせせらぎなどの自然音や、穏やかな和音で構成された音楽だ。
「ああ、それなら。クラモンが『よく眠れるから』って変な曲を流してたぜ」
事も無げに言う太一に、光子郎は「やっぱり」と小さく呟いた。
「これで、太一さんが床下収納で眠っていた謎が解けました」
「どういうことだ?」
「催眠術ですよ」
「催眠術ぅ!?」
大声を上げて太一が椅子から身を乗り出した。人が少ない時間帯でよかった、と思いながら、ヤマトも光子郎に聞き返す。
「催眠術って、あの催眠術だよな?」
「そうです。ヤマトさん、僕たちはあのゲームの中で、不用意に眠ってしまったことがありましたよね?」
「ああ」
ネット上の空間でディアボロモンと戦闘した後だった。携帯画面の中の太一と話すうちに強い眠気が襲ってきて、引きずり込まれるように寝入ってしまった。
「時間制限があったのに、10時間も無駄にしたんだよな」
「おそらく、あの時に僕らにも催眠をかけていたんですよ。眠る前の記憶がぼんやりあるんですが、太一さんの姿が点滅したり、ランプが様々な色に切り替わったりと、今思えば全て催眠術の手法でした」
「ちょっと待ってくれ」と太一が遮る。
「そういうので眠っちまうのはなんとなくわかるよ。でも、自分から床下収納に入ったりなんか出来るか?」
「普通は無理でしょうね。ただ、太一さんはクラモンの作った曲を毎日寝る前に聞いていました。音には人の意識をトランス状態にもっていくようなものもあるんです。毎日少しずつ暗示をかけていたんでしょう」
ヤマトは、話を聞くうちに薄ら寒い気分になる。
「それじゃ、奴は太一にもっとヤバい命令を出すことも出来たのか」
既に思い当たっていたらしく、光子郎は複雑そうな表情になった。
「そこはなんとも……ただ、あまり難解だったり、本人の意思に反するものはかかりにくいようです」
「そういえばお前、変にアイツのことかわいがってたよな?」
「それも催眠術の効果だって? どうだかな」
太一は肩をすくめた。
「しっかし、毎日って。あいつ、そのゲームのために相当時間をかけてたんだな」
「日程も計算したんでしょうね。家族がいなくなる日を見計らって、ヒカリさんに発見させる……」
「手がこんでるよなあ」
呆れたように言う太一に、ヤマトは「全くだ」と頷く。
「それにしても……、それほどの手間と時間をかけて、ディアボロモンは一体何のためにこんな真似をしたんだ?」
ヤマトにとって、最大の疑問がそれだった。あのディアボロモンが綿密に事を運んだというのに、ここまで軽微な被害で済んだのは不自然すぎる。太一に催眠術を掛けることができたとすれば、なおさらだ。
「何度考えても答えが出ない。何か、奴にとってのメリットがあったのか?」
「それが、あれから調査したんですが、デジタルワールドの方にはなにも影響がありませんでした。現実世界のほうにも、特には。もし、僕らの推測通りディアボロモンが催眠術を使えるなら、もっと大勢を巻き込んだ事件にも出来たはずですけど」
「まったくだ。なのにやったことといえば、コイツを床下に閉じ込めて、俺たちをからかっただけだろ?」
「それだってすごく迷惑ですけどね。でも、意図がつかめないのには同意です」
「そうか? お前ら、深く考えすぎじゃねーの?」
太一が、かき氷をしゃくしゃく壊しながら言う。
「太一さん?」
「どういうことだよ?」
「思うにさ、『遊びたかった』んじゃないか、アイツ。ヤマトとゲームしたのも、俺の誘拐未遂も、デジモンでの戦いも、ぜーんぶ」
「ええっ」
光子郎が困惑した声を上げた。太一はニヤリとして続ける。
「案外、単純な理由なんじゃないかって思うぜ。俺が飼ってた時も、アソンデアソンデってうるさかったし、遊んでやると喜んでたしさ。いやーそれがまた可愛くて」
「可愛いって……前から思ってたけど、お前って結構趣味悪いな。そういうところがヒカリちゃんの兄貴らしいよ」
「はあ? なんでヒカリが出てくるんだよ?」
「厄介すぎる……」
ヤマトと太一は、光子郎が呟くのに言い合いを止める。一歳年下の後輩は困り切った顔で二人を見上げた。
「遊びたいって、そんなのアリですか。そんな動機じゃ、今後の予防の手立てが無いですよ。目的がはっきりしてればこちらも対策しやすいのに」
「おいおい光子郎、ただの俺の想像だぞ?」
「でも、なんだか当たってそうで」
「たしかに」
暗い顔の二人を安心させるように、いつの間にかかき氷を食べ終わった太一が伸びをしながら言う。
「まあ、だとしても、いきなり核ミサイルを発射しないだけ成長したじゃん。本当の"遊び”ってものがわかってきたのかもな……そんなことより!」
かと思えば、テーブルから勢いよく身を乗り出した。
「俺携帯壊れちまったから、二人とも買うの付き合ってくれよー」
「いいですけど、今度こそちゃんとセキュリティソフト入れてくださいよ」
「うっ、だって高くねぇ? あれ」
「あと、フリーズしたり再起動したからって叩かないでください。精密機器なんですから!」
「おい、もしかして光子郎が壊すな壊すなってうるさかったのは……」
「太一さんのトラウマです。以前、ひどい目に合いましたから」
「へぇ、やっぱりな」
「ちょっと待てって、あれは、そもそも光子郎が麦茶を飲みすぎたのが原因で……」

喫茶店の支払いは太一がおごることになった。
携帯は、光子郎の知り合いの電器店が安く譲ってくれるという話だ。
先に店に行くという二人に置いて行かれ、慌てて会計を済ませた太一は、貰ったレシートを急いで財布に突っ込んだ。店名やメニューに加えて、末尾に書かれていた言葉に目を通さずに。

『CONGRATULATIONS!
FIRST STAGE CLEARED.
...GO TO THE NEXT STAGE!』


2015 8 1


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