相変わらず補習行けと口煩く催促してくる東条をいつもの様に適当にやり過ごし、ホームルーム終了と同時に席を立つ。
ただいつもと違ったのは東条が実力行使に出てきた。がしッと二の腕を掴まれ、四の五を言わず教室から引きずり出されそうになるが勿論そうされまいと抵抗する。ただ男と女では力の差は明らかで、本気で離すまいとする男の力にはどうやっても勝てない。
クラスメイトも浅倉もただ黙って見ているだけで何かしてくる気配は無い。大声で友達だと宣言する位なら助けろよ浅倉め、とジト目で浅倉を見た。
徐々に近づく扉に、この際投げ飛ばしてでもこの場を抜け出すかな、と考えたその時、視界に進路を妨害する様に仁王立つ二本の脚が入った。なんともナイスなタイミングで現れたその人に感謝の気持ちでいっぱいになりながら顔を上げれば、そこには絶望しかなかった。

「よう、今暇?」

虫唾が走る様な笑顔を浮かべ、軽い口調で言い放った楓に眼元がヒクついた。
静まり返る室内を尻目に、我が物顔で教室に入り込む楓から目をそらす。その台詞が自分に向かってではないことを切に願ったが、近くで止まった気配にゲンナリした。

「……何?」
「おいおい、教師に向かってそれはないだろ、ん? 早川?」

私が嫌いだと言う事を知っていてワザとらしく笑顔を深める楓に毛細血管がぶちぎれそうになった。

「はい、どういった要件でしょうか――藤宮先生?」

固まった表情筋を無理矢理動かした。

この時教室内は一気に氷点下まで温度が下がり、ダイヤモンドダストが舞っていました、と青い顔の友人Aが証言した。

「お前、補習出てないんだってな」
「……それが藤宮先生に関係が?」
「別にお前が補習に出ようが出まいが俺にはどっちでもいいし、出ないで二学期の成績が強制的に1になろうが心底どうでもいい」
「…………」
「それに心の雷が落ちようが、夕食が豆づくしになろうが、寧ろ俺はヒイヒイ言って食うお前の顔が拝みたい」
「…………」
「そういうことだから俺の楽しみの為に補習受けないでおけよ」

言うだけ言って出ていく楓の背中を目で追った。
何だ、それ。じゃあ、東条が口煩く言っていた理由って……。

「……補習は今日までだからな」
「東条……あの、さ……」
「俺も初めに理由教えていれば良かった、悪かったな早川」
「いや、そうじゃなくて」
「腕痛かったか……」
「――だからッ!!」

人の話を聞かない東条に大声を出していた。

「謝らせてよ」
「え……」
「毎日毎日無駄なやり取りをやらせて御免なさい」
「…………」
「ハッキリ言って煩い位にしか思ってなかった。でもそういう理由があったからこそ東条があそこまでしたんだと思うと頭が上がらない――有難う」

目を丸くする東条に頭を下げる。
唯のクラスメイトの為にあそこまで必死になる東条を思い返し、東条に対する見方が少し変わった。私が思っていたよりずっといい奴なのかもしれない。
頭を上げ、席に戻りリュックを肩にかける。――一組は確か右端の教室だよな。
まだ訪れたことのない教室の位置を浮かべ、東条の横を通り過ぎる。

「――己惚れんな」
「え」

耳のすぐ横で発せられた台詞に顔を向ければ、思ったより至近距離に東条の顔があって心臓が跳ねた。

「俺はただ補習を受ければそれなりの成績を貰えるのにそれをしない早川にムカついただけだから」
「うん」
「……だから別に早川の為を思ってとかじゃない」
「うん、分かった。それでも私は感謝するよ」
「俺はッ」

東条はまだ何か言いたそうに口を動かしているけど、どうにも時間がない。今更勝手だと思うけど、早く補習に行かないと。
一方的に言葉を切り、また明日、とだけおざなりに残し教室を後にする。


思っていたよりずっと早く校門をくぐれた。というかホームルームが終わってから一時間経っていない。
補習というから、書き取り百回でもやらされるのかと内心びくびくしつつ一組に行けば、何てことなかった。
間違った問題のどこがいけないのか、次同じような問題が出た時はこういう所に気をつけた方が良いとか。自分以外補習を受ける生徒がいないからかもしれないけど、口頭の説明だけだった。
私はハイハイ聞いているだけ。もっとも先生も回答欄ミスに気づいていたみたいだけど、それはどうにも出来なかったらしい。次テストの時は落ち着いて受けてね、と言われてしまった。
時間の半分を先生との世間話で潰し、結局補習って……、という疑問だけを残し学校を後にした。
こんなことならもっと早く補習に行っていれば良かった。
――そうすれば楓にあんなこと。自業自得だと分かっている。それでももっと別の言い方ってものがあったんじゃないのか。仮にも一教師が成績表に1があっても良いなんて言うか普通。それに豆食ってヒイヒイいう私が見たいとか。

「……あっぶねぇ――」

楓なんかに死んでも感謝などしたくもないが、今回ばかりは助かった。そうでなければ豆食ってヒイヒイが現実になる所だった。
危ない危ない。肝を冷やしながら財布から鍵を取り出し、扉の前に翳す。
一度だけ鳴った電子音に首を捻った。よく見れば緑のライトが点灯している。
――桜帰ってきてんのか。
夕方にならないと帰宅しない妹が珍しく早い事に驚きながら、誤って施錠した玄関にまたカードを翳し、ロックを解除する。

「ただい……」
「ちゃおッ」

廊下の真ん中にいるモノを認識した瞬間開きかけのドアを閉めた。回れ右をし、門まで戻る。
もしかしたら自分は他人の家に帰ってきたのかもしれない。最近は頭で考えなくても身体が勝手に家に向かうから考えもしなかった。私とした事が恥ずかしい。
……いや、でも鍵の開閉は出来た、はず。
一旦敷地の外に出て、改めて家を見る。
――うん、間違えなく自分の家だ。ネームプレートにも早川って書いてある。
ならさっき見たアレはなんだ。目の錯覚か。

「暁ちゃん、何やってるの? 入らないの?」

桜が不思議な物でもみる様な表情で玄関から顔を覗かせた。
「うん」だか「ああ」だか自分でもよく分からない返事を返し、中に入る。
なんかアレはあれだ。幻覚だ。そういう事にしよう。そして寝よう。今決めた。

「急に閉めるから何事かと思ったぞ」
「…………」
「それとも、俺と再会できて恥ずかしかったのか――暁」

どうぞ、誰か説明して下さい。
何故我が家に、他人も同然の人間――それも赤ん坊、がいるのでしょうか。

「桜、俺は今秋季限定プレミアムモンブランが食べたい」
「よしきたッ」

そして人の妹を顎で使っています。
おかしい。何で普通に会話を交わしてんだ、この二人。二足歩行で悠長に言葉を話す赤ん坊を前に、桜はなんで平然としていられるんだ。
それにいなくなったかと思えば財布を握り上から下りてきた。いってきますの台詞を最後に背後で玄関が静かに閉まった。

「エスプレッソが飲みたい」
「帰れ」

この赤ん坊、図々しいにも程がある。



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