「――ヒィィイッ!!」

背後で引き攣った叫び声をあげた男の子の気持ちは良く分かる。私も同じ気持ちだ。
此処まで台詞と表情とが合わない人間は世界中どこを探してもいない。そんな顔で会えたね、など言われ得体の知れぬものが背筋を走った。
出来る事なら今すぐ背を向けこの場から立ち去りたいが、そうしたが最後どうなるかなど考えるまでもない。視線を逸らさぬままゆっくり後退する。

「あの後は暫く動けなくて、そのお陰で草食動物達がのさばって大変だったよ」
「…………」
「まあ一人残らず咬み殺したけどね」
「…………」
「でも僕が本当に咬み殺したかったのはただ一人……」

男はそこで言葉を切り、口元を大きく歪ませた。
微かに金属音が聞こえ、男の手元にはあの時見た棒状の武器が収まっている。
空気が変わったのを肌で感じる。

「――キミだけだよ」

低姿勢で突っ込んでくる男に向かって持っているトイレットペーパーを投げつける。
陽動にもならなかったトイレットペーパーは意図も容易く塀に叩きつけられ、地面に転がった。自分で投げておいてあれだが、穴が開いてないといいと願うばかりだ。心に何と言われるか分かったものじゃない。
目前まで迫る男の出方をギリギリまで待ち、あの時と同様顔面を狙ってきた男の腕を卵を割らないよう慎重に往なし、ガラ空きのボディーに蹴りを入れる。これが思いの外上手く入り、これならば暫く起き上がれないだろうと思った。でもただの勘違いだった。
腹部を庇いつつもゆっくり立ち上がる男には度肝を抜かれる。あの時も思ったが、この男はどういう身体の作りをしているんだ。

「これ」
「え?」

塀に張り付く様に立っている男の子に卵とケーキを渡す。
え、え、と戸惑うばかりで中々受け取らない男の子に痺れを切らし、半ば無理やり両方持たせる。ケーキに危害が及ぶのだけは、何としても避けたい。卵は序でだ。
視界の端で再び構えた男を捉え、正面に向き直る。

「さあーて、じっくり、お前の実力見させてもらうぞ暁……」

クツクツ笑い声をあげた赤ん坊に嫌な予感がした。
男が現れたのは偶然だと思っていた。でももしこの再開が作られた偶然、必然だとしたら。

「てめえ……」
「ふッ、よそ見してる暇はねえぞ」

ニヤリと嫌な笑みを浮かべ塀の上で足をぶらつかせる赤ん坊を睨みつけ、忠告通り近くまで迫る男に視線を戻し構える。
何が目的で男と鉢合わせたのか。男の子に私の喧嘩をみせたいのであれば、さっきの映像で十分な筈。実際に見せつけるメリットなどあるだろうか。赤ん坊の考えることはよく分からない。
――よく分からないが、赤ん坊の思い通りに事を運ばせるつもりはない。
ワンパターンな男の攻撃を避けては往なし、避けては往なす。

「僕、をッ……馬鹿にするのも、いい加減ッにしなよッ!!」

回し蹴りを屈んで回避し、反対にガラ空きの左足を払う。
生憎あの時の様に重傷を負う訳にはいかない理由がこっちにはある。来月にはカットモデルの約束、それに何よりこれ以上怪我を拵えて家に帰ろうものなら、雷以上のモノが心から落とされるのは目に見えている。想像しただけで恐ろしい。
一人ブルっていると、倒れ込んでいた男がヨロヨロ立ちあがり、また構えた。

「もういいや、分かった」
「……は?」

何かを自己完結したらしい男に眉を顰める。このまま引いてくれればいいとは切実に願うが、そう都合良く事が運ばないのは重々承知。
何を企んでいるのか、舌なめずりする男に身体が強張る。

「キミが本気でやらないって言うんだったら――本気にさせるまでだよッ!!」

言い終わった瞬間、男が握っている棒に無数の棘が生えた。危なすぎる。

「ええ、それってありなの……」
「僕がルールだよ」

マイルールを掲げた男が相も変らず、馬鹿みたいに正面から突っ込んでくる。ただ今までみたいに受け止めたり掴んだりできないのがネックだ。下手したら穴だらけになる。
というか相手が武器を使用している時点で、素手で応戦している私が圧倒的に不利だ。幸い掠り傷一つまだついていないが、今の状況じゃいつ滅多打ちにされるか分からない。
何か使えるものはないか。視線を巡らせてみるが、そんなものが道に転がっている筈もない。視界から外れた赤ん坊にもう一度視線を戻す。

「お前が何を考えてんのか知んねえが、困ってる様だな、――なあ暁」

これ見よがしに持っている鉄パイプを撫でる赤ん坊を一睨みし、風を切る音がすぐ傍で聞こえ反射的に身体を逸らし、男に蹴りを入れる。

「お前の返答次第でこれを貸してやってもいいぞ」
「――オイッリボーン、何言ってんだよ!! ヒバリさん相手に素手じゃ絶対無理だって!!」

塀の陰から顔だけ出す男の子が視界の端に映る。

「煩せえぞツナ。本当なら、お前を間にぶっこむ所だぞ」
「ヒィィイイ!!」

相手の攻撃を受け流すだけで結構体力を消耗する事が始めて分かった。これなら普通にやった方が体力的には優しかったが、そう思った所で今日の目的は喧嘩をすることではない。
中々隙を見せない男に気だけが急ぐが焦りは禁物だ。焦って目測を誤れば、今までの努力が水の泡になる。
それに幾ら喧嘩に自信があると言っても、いずれ男には体力の限界が訪れる。
グッと堪え、その時を窺う。

「暁、お前がファミリーに入るって言うんだったら……」
「断る」
「ふッ、……ンならこの状況どう打開すんだ?」

蹴りを腕で受け止め後ろへ押しのける。男は体勢を崩しつつも腕一本で身体を支え、更に足蹴りを仕掛けてくる。蹴りの勢いを利用し簡単に受け流す。
倒れ込んだ男を見下ろす。そして再び立ちあがり、向かってくる男を真っ向から迎えうつ。

「――ンなの、素手に、決まってんッ、だろッ!!」

今の今まで受け身ばかりだった私が正面から来たことに微かに目を見開いた男に口元に弧を描く。
一瞬生まれた隙を見逃さず、甘皮一枚持ってかれるのも厭わず腕を伸ばし、男の顎に一突お見舞いする。

「な、に、……これ……」

衝撃の反動で後退した男が呻く。
普通なら一発で気を失う打撃を足元をふら付かせつつも立っていられる男の気力は計り知れない。ただ身体は悲鳴を上げているらしく、膝に手を置き、肩で息をしている。

「お、ッと」

突発的に動いていた。
操り糸が切れた人形のように倒れそうになった男を支える。
殴り殺されそうになった相手に何をやっているのか自分に呆れるが、多分悪い奴じゃないと思う。ただ異常なまでに喧嘩好きなのがアレだが。
服を掴む手に力が入り男を見下ろせば、意識を失っているかと思いきや、目蓋が薄く開かれた。

「……キ、ミ……」
「もうこういうのは止めてね」

男の目を掌で覆い、暫くそうしていると寝息らしき音が聞こえ、男を地面に横たえ立ちあがる。

「金輪際目の前に現れないで」
「それは無理だ」

後ろを振り返る。
赤ん坊の数メートル後ろに男の子の姿もある。

「アサリだか何だか知らないけど、そんなもんに入る気はないから」
「俺は言った筈だぞ、返事はsiかハイしか受けつけないぞ、ってな」
「私の答えはnoかいいえしかないよ」

これ以上赤ん坊と話した所で平行線を辿ったまま、落ちがない。
赤ん坊の横を通り過ぎ、道端に放置されたままのトイレットペーパーを拾い、男の子に近づく。

「持っててくれて有難う」
「う、ううん……」

男の子からしっかり受け取り、じゃあね、と一言伝え、男の子に背中を向ける。

「俺は、手段を選ばねえぞ」
「あっそ」
「お前を絶対ファミリーに入れてやるぞ」
「あっそ」
「――絶対だ」

赤ん坊の眼光の鋭さに見下ろしている側にも関わらず、まるで見下ろされている様な錯覚に陥る。怯みそうになるが、何とか赤ん坊の横を通り過ぎることができた。もう嫌だ。
真っ直ぐ前を見たまま歩く。ふとある事に気付いた。
――男がいない。
まさかと思い、振り返って確認するが何処にも男の姿は見当たらない。
一呼吸置き、止っていた足を動かす。
神社に文句を言ってもいいだろうか。



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