そろそろ九月も終わりが見え、教室に流れ込む風が前ほど暑くない。昼はまだ半袖で過ごさないと汗ばむが、朝晩は何か羽織らないと肌寒い位だ。
身体の至る所にあった傷も大分癒え、痛みも全くない。所々痣やら瘡蓋が取れた跡がケロイドの様に残っている程度だ。
一番良かったのは眼帯が外れた事だった。普段は意識していなかったが、右が使えないと言うのは思っていたより不自由だった。
昼食後の授業ほど眠気を誘うものはなく、しかも子守り歌の様な和歌がいっそう拍車をかけている。日本語すら危ういのに古典など宇宙語の域だ。
勿論サボろうと思い屋上へ向かいはしたが、その途中で嫌な奴と遭遇しそうになり、渋々教室に戻ってきた。
――ああ、眠い。欠伸を噛みしめ、窓の外に目を向ける。
そうしているといつの間にか授業は終わり、固まった体をほぐす様小さく伸びをする。
次は移動するのか、面倒だなと思いながら机から音楽の教科書を途中まで取り出した所で、確か今日はビデオ観賞だと前回の授業で言っていた事を思い出した。ならば出なくても問題ない筈だと思い立ち、取り出しかけた教科書を中に戻す。

「オイ早川、一緒に行こうぜ」

自分の上に影がさし、顔を上げれば浅倉が前に立っていた。ほっとけと言っても聞く気がない浅倉の恒例行事だった。
あの日何日か振りに学校に行けば、予想していた通り眼と言う眼が自分に集まり気分は最悪を極めた。しかも直接話しかければいいモノを、あっちでこそこそ、そっちでこそこそとお前等小声でないと話せない病気かと思う程それはもう酷かった。
教室では、まあ教室に限らずだが殺人犯でもみる様な眼で見られ、傍を通っただけで大袈裟に怯えられ、声でもかけようものなら顔面真っ青にさせ子兎の様に全身プルプルする始末。生徒と同じように露骨に避ける教師もいたが担任を始め殆どの先生は普通に接してくれ、それだけは良かったと言える。楓はその状況をおかしそうな面持ちで傍観し、かと思えば無駄に人が多い廊下で声をかけてきた。面倒臭い、果てしなく面倒臭かった。
だから必要最低限関わりを持たない事にした。一週間は同じような状況が続いたが、段々と私の存在をないものにする事に成功したらしいクラスメイトは至って平穏な学校生活を送っていた。ただ一人浅倉を除いて。
周りが避けに避けまくっていると言うのに浅倉は転入初日と全く変わらない顔で私に話しかける。どうでもいい日常の事から勉強の事、部活の事まで。始めこそ一人にしてと伝えていたが、全く従う様子の無い浅倉を早々に放置した。それがいけなかったと後に後悔した。
人の後を金魚のフンの様についてくる浅倉を居ないモノの様に振舞い、移動教室の途中でトイレに入った時の事だ。
いつものように赤い扉を手前に引き中に入ろうとした所、鬼気迫る勢いで浅倉にそれを阻止された。なんだよ、と邪魔された事に文句を言えば、お前が何してんだと逆に文句を言われた。そんなやり取りを廊下でしていれば自ずと人の注目は集まり、またあのヒソヒソ話が始まった。
いい加減にしろよ、と浅倉の手を振り払いトイレに入ろうとしたところ浅倉はとんでもない事を言った。しかも廊下に響き渡る様な大声で。
男なんだから女子トイレは入れない、と。どうしてくれようかと思った、この男。
まさか東条君に指摘された事がこんなところで問題になるなど考えてもみなかった。
出そうになった溜息を呑みこみ、これは己の所為と自分を納得させ、浅倉の誤解を解いた。するとご丁寧に大声で、女、と叫びそこにいた生徒達に教えていた。あたふたする浅倉をその場に残し、其処を後にしたのは言うまでも無い。人気の無い廊下にあるトイレで用を足した。
そしてその事をその場に居なかった東条君の知ることとなり、ほら見た事かと言う様な顔をされた。何も言い返せなかった。
ある意味東条君も気にしない人間に入るのか、時々話しかけてくる。浅倉が嫌な奴だとは言わないが、淡々とした態度の東条君の方が疲れない。

「ほらッ、早くいかないと遅れちまう」

そういうと浅倉は人の机から勝手に教科書を取り出し、持っていた自分の教科書と共に脇に抱えた。遠慮はどこいった。
浅倉に捕まる前に教室を出れば良かったと、後悔し渋々音楽室へ向かう。
夢の世界に片足突っ込んだまま終了のベルだけはハッキリと聞こえた。この後の予定を思い出し、溜息が出る。

「なあ早川、今日遊んで帰らねえ?」

ホームルームも終わり、帰る仕度をしていると浅倉が振り返った。

「何か顧問が急に出られないとかで部活休みなんだよ。暇だしゲーセンでもいかね?」

ゲーセンと言う甘い誘惑に行くと頷きそうになったが、間を置き無理とだけ言う。
浅倉がゲームの話をした時にポロっと話題に乗ってしまい、自分がそれなりにゲーマーであるのが知れてしまうという失態を犯した。

「あのさ、いい加減にして」

何かと言うとゲーセンやら誘ってくる浅倉に我慢できなかった。
始めこそ勝手にやってろと思っていたが、最近はまるで友達だと錯覚する様な言動が多くなった浅倉に嫌気がさしていた。どうして周りの奴みたくほっておいてくれないのか、溜りに溜まった不満が零れる。

「何が目的で私に話しかけるのか知らないけど、こっちは迷惑なんだよ」
「…………」
「他の奴らみたく、もうほっとけよ」

ざわめきが一瞬のうちに静まり返る教室を気にすることなく支度の続きをする。
何かあれば簡単に離れるくせに、友達面する奴が心底嫌いだ。

「お前……、――馬鹿?」
「……は?」

顔を伏せていた浅倉が真っすぐこちらを見た。

「目的? そんなの早川と仲良くなりたいからだろ。迷惑? そんなの知るか」
「…………」
「何がそんな怖いのか知らないけど、俺を見縊んな。俺のいい所はお節介な所だからな!」

そう言って笑った浅倉に眼を見開いた。
何故コイツがそんな事、と疑問だけがグルグル回る。

「俺と早川は絶対友達になるって断言してやるぜッ!!」

浅倉の笑顔は私には眩しすぎる。無言でリュックを背負い、教室を出た。
そのまま昇降口を抜け、校門を抜け、駅まで走った。
学校から走ってきた所為か、体力が落ちている所為か肩で息をし、落ち着いた所で電車に乗る。
流れる景色をぼんやり見ながら、脳裏を過るのは浅倉の台詞だった。コツンと窓に額をつけ、眼を閉じる。
降りた場所が階段から遠かったのを除けば、スムーズに目的の駅まで来れた。
ちらほら居る人の間を縫い、階段に差し掛かりそれ程長くない階段の一段目に脚を伸ばす。

「ッ……」
「あ、ゴメンなさい」

階段を下りてきた人のバックが肩に当たり若干痛かったが、大丈夫ですと顔を上げる。

「ホント、ゴメンね」
「いえ、こっちこそ邪魔でごめ」
「――幸村! 何をやっている!」
「あ、――今行くよ」

その人は申し訳なさそうな顔でもう一度ゴメンねと言い、小走りで横を通り過ぎた。
後ろを振り返り、その人の後姿を見る。仲間なのか、同じ制服を着た人達がその人を囲んでいた。笑い声がここまで聞こえてくる、そんな雰囲気の集団に羨ましいと思っている自分がいる事など――認めない。



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