「――僕の町でナニ問題起こしてくれてるの?」

薄暗い路地の中程に男が立っていた。落ち着いた口調とは裏腹に妖しく光るその眼差は新たな面倒事を予感させる。

最悪だ。チラと教師をしてるとは聞いた覚えがあったが「楓が教師? 似合わねえ」と笑ったあの日。まさか楓が自分の通い始めた学校で教師をしているなど、微塵も思っていなかった。しかも美術教師など、嫌がらせ以外の何物でもない。母さんもそれを知ってて通う事を承諾したのだと思うとやるせない。心にバレたのも楓がチクッた所為だと気づいた。
被害妄想も大概だが、早速年季の入った嫌がらせ紛いな課題を言い渡され憤りを感じたのは言うまでも無い。一番後ろの作業机を陣取り、なるべく楓が視界に入らないよう務めたが、その楓が態々近くを通りケチをつけてくるから頭に来る。終業のベルが鳴ったと同時に一番に美術室を飛び出し、階段を上へ上へと駆けのぼり着いた先は立ち入り禁止と書かれたドアの前だった。開くかなと試しに押してみると、扉が開き外に出た。
柵まで脚を進めれば、そこが屋上と分かった。思いがけない発見をし大荒れだった心中が少し和らいだ。
太陽が降り注ぎ日向は暑かったが、日陰に入れば多少汗ばむ事はあれどいられない程ではなかった。そのまま日陰に寝っ転がり、不貞寝をした。
そしてベルの音で目を覚まし、教室へ帰れば数人のクラスメイトが談笑しているだけで大半は鞄ごといなくなっていた。
取りあえず食べ損ねたお弁当を食べながら、如何に楓と顔を合わせず学校生活を送るか考えたが、それは必須教科に美術が入っている時点で不可能という結論が出た。こんな事になるんだったら、氷帝に行くんだったと後悔の念が押し寄せた。
階段を下りながらこれからを思うと溜息のし過ぎで酸欠になりそうだった。

「よお、暁」

早速会ってしまった自分の運の悪さに絶望した。思いっきり最悪と顔に書いたにもかかわらず、胸糞悪い笑顔で話しかけてくる楓は本当に意地が悪いと思った。

「職員室で噂になってるぜ。転入早々朝から爆睡した揚句、それを反省することも無くまたサボった問題児ってな」
「…………」
「ホントお前って話題に事欠かないよな、マジウケる」
「……ちッ」

舌打ちだけで済まし、楓の横を通り過ぎた。楓の笑い声が高らかに聞こえ、苛立ち紛れに下駄箱の扉を思いきり閉めた。物に当たるのは良くなかったと少し反省した。
直帰しようと思っていたが楓の所為で目的地を変更せざるをえなかった。所詮自棄食いと言うやつだった。行き場の無い苛立ちは甘いものを食べて収めた。
四つ程を消化し、気分も落ち着いた所で家路についた。お持ち帰りに何個か包んでもらい、家での楽しみもでき既に楓のことなど頭の片隅にも残っていなかった。
来た時とはうって変わり足取り軽やかに帰路を急いでいた時だった。前方から来た通行人と肩がぶつかり持っていたケーキを落としてしまった。
声にならない叫びが身体を突き抜けたが、垂直に落ちたそれを見下ろし安堵のため息を漏らした。多少崩れているかもしれないが、逆さまに落ちなくて本当に良かったと腕を伸ばした所、一本の脚が箱を踏みつぶしやがった。

「あー、ぶつけられた肩がめちゃくちゃ痛てーわ」
「…………」
「ぜってえ折れてるわコレ、マジどうしてくれんの」

私のケーキ。

「なあ、無視してんなって」
「……ケーキ……」
「あん? あんだって?」

私の……ケーキ、が。

「げっ! ンだよ、これ!」
「ぎゃはは!! きたねえッ」
「てんめえッ!」

男は一度ならず二度も踏みつけ、もう原形など留めていなかった。
放心状態の私を腕が取れるのではと言う力で引っ張り、流されるままどこか知らない所に連れて行かれた。

「てめえの所為で汚れた靴の落とし前はきっちりつけさせてやんよ」

男の靴につく白い物だけが、私が買った物がケーキだという証だった。
下衆い笑みを浮かべる男共に引いた苛立ち、いやムカつきが湧き上がった。コロス。

「シカトしてんぅがッ……、グヘっ」

手始めにケーキを踏みつけた男を蹴り飛ばし、倒れた所を鳩尾に二度目の蹴りを入れた。泡を吹いて気絶した男を見下ろしていると、大人しかった他の奴が騒ぎだし息つく間もなく第二ラウンドが開始された。
ものの数十分で片がつき、呻き声が上がる死屍累々の私物を漁る。落とし前はきっちりつけてもらう。バックポケットに財布を発見し、ケーキ代を拝借した。全額抜き取らなかった私は偉い。
相手が弱すぎて準備運動にもならなかったが、久々の実戦は正直きつかった。偶には道場にでも行くかな、と近場の道場を探そうと心に決め、その場を後にしようとした所の冒頭だ。

「ねえ、無視……しないで、よッ」

眼の錯覚か、一瞬にして目の前に迫ってきた男に反応が遅れ、眼を見開いた時には横っ面を殴られていた。その衝撃に脳が揺れ吐き気がするが、横目に男が次をしかけようとしているのが垣間見え、振り落とされる拳を逆に受け止める。眼を見開いた男を投げ飛ばした。
音を立て倒れ込む男から距離を取り、息を整える。ほんの数十秒の出来事な筈だが、体力の消耗が半端ない。先程の男共とは明らかレベルが違い、下手すれば打撲だけでは済まないかもと、投げ飛ばされた事などモロともしないかの様に起き上がった男を見て思った。

「へー、思っていたよりやるね」
「は?」
「咬み殺しがいがあるねって、言った、のッ」

まるでこれから狩りでも始めようと言わんばかりの眼の鋭さに全身総毛立った。拙い。この眼は駄目だ。
それからは必死だった。如何に己の怪我を最小限に抑え、この場から逃げるか。少しでも気を抜けば身体に鈍痛が走った。
しかも相手は仕込み武器まで取り出し、明らか私の方が分が悪かった。それでも何とか致命傷になりそうなところは避け、相手にもそれなりにダメージを追わせることができた。
始めてどれほど経ったのか、分からなかった。身体中に激痛が走り、視界が赤く染まる。目の前の男も立っているのがやっとの状態なのか、足元がふらついている。
それでもこちらに向かってくる男は余程の負けず嫌いなのか、それともただの戦闘狂なのか。多分後者だろう。
体勢を整え、男の動きを見極める。
歩くのがやっとのおぼつかない脚では攻撃はできない、右腕は程良く潰したから使えない、ならば選択肢はただ一つだった。振り落とされる左腕を宙で受け止めたジ・エンドとなる筈だった。動かせないと油断していた右手に胸倉を掴まれ、引き寄せられる。唯でさえ気だるい身体は男の予期せぬ行動で動かない。

「ぅ、あ……ぃ、たッ……い」

衝撃に目を瞑れば、到底予想できない箇所からの痛みに咽喉が震えた。全体力を使い男を突き飛ばす。食いちぎられるかと思った首筋に手を当てれば、掌が血で濡れた。何だッこの男、バンパイアなのか。信じられないものを見る眼で男を見下ろした。

「キ、ミ……は……」
「な、に……」
「キミ、は僕だけ、の……獲物、だよ……」

それだけ言うと男はパタリと動きを止めた。気を失ったらしい。
じゃあ何だ。コレはマーキングって意味なのか。気になる相手には噛みつくとか、私は相当ヤバい奴を相手していた事になる。
眼を見て拙いと思った時に、逃げれば良かった。本日二度目の遅すぎる後悔をした瞬間だった。
そもそも何故私とそこに横たわる男はこんな下らない事を始めたのか。経緯が全く思い出せない。
血の流し過ぎと痛みとが相俟って意識が混濁する。今すぐにでも気を失いそうだったが、家に帰らねばという思いが私を突き動かした。
どうやって家まで辿り着いたのか自分でもよく分からず、朦朧とする意識の中最後に見たのは心の般若の様な表情だった。そういえば寄り道して帰ると伝えてなかった。


「――……面白い奴だな、ファミリーに加えたいぞ」



飛んで火にいるナントカ

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