「ッふ……ふぁああ……」

先程から止まらない欠伸の嵐に、そろそろ顎の関節が外れないかと心配になってきた。
昨日は家に入るや否や、仁王立ちの心に出迎えられ嫌な予感がした。その予感は見事的中し、何故か睡眠学習がバレていた。
そうなったが最後終始その事をネチネチ説教され、その合間に桜に絡まれ、部屋に戻ったのは真夜中もいい時間だった。
夜とる筈の睡眠を学校で貪った所為か全く眠くなく、しょうがなくコントローラーを握った。思いの外熱中し、気がつけば空が白んでいた。
結果三時間しか眠らないまま登校を余儀なくされ、今に至る。何と言う悪循環。また欠伸が出た。
下駄箱で靴を履き替え、教室を目指す。教室は何階にだったか、ボンヤリする頭で記憶を手繰り寄せる。
若干に行き過ぎ、階段を戻ったが、無事に辿り着けた。後ろの扉を抜け、無事席に着く事ができた。
椅子を引きながらリュックを机の上に置き、椅子に座る。リュックに顔を押しつけ、また欠伸。
ブーブーと煩わしい振動が頬に伝わる。体を起こすのが億劫でそのまま放置すること数分、まだ止らない。
小さく舌打ちしリュックに手を突っ込み、ディスプレイを見る。案の定な人物からの着信だった。

[もしも……]
[暁、お前寝てんじゃないだろうな。真面目に授業受けなかったら、今日の晩御飯は覚悟しとけよ、ああ?]

自分の言いたい事だけ言うと、一方的に切られた。取りあえず携帯を仕舞う。
何言ってんだアイツ。真面目に受けるも何も、それをどうやって心が知るというのだろう。夕飯という言葉を盾に脅しているようにしか聞こえなかった。阿保らしい。
もう一度寝なおそうと頭をリュックに預けると、今度は側頭部に何か当たった。気のせいだと無視するとまた当たった。
何だよと、頭を起こす。東条君だった。
東条君はただ黙って、顎を杓った。

「…………」

視線を一人占めという言葉の意味が初めて分かった。クラスメイトの余す事の無い視線はこっちを向いている。
お互い終始無言で見つめ合う。挨拶をしなかったのが悪かったのか。

「おは」
「早川……、だよな?」
「は?」

前の席に座る何とか君に妙な事を聞かれた。あれ、もしかして教室間違ったかと咄嗟に思ったが、隣にいる東条君を横目で確認する。間違ってない。
ならば何だというのか。昨日の今日で私の存在など忘れ去られてしまったのだろうか。
それならそれで構わないが、せめて全身穴だらけになる程見ないで欲しい。

「え、いや、そういう意味じゃないからッ! 何か髪切った? 昨日と印象違うからアレって」
「ううん、そうそう! 何て言うか肉食系、みたいな? なッ?」

肉食系……。何が肉食系なんだ。肉ばっか食べて体臭きついぞ、って意味なのか。思わず腕の臭いをかいでしまった。
だが鼻先を擽るのは桜がセットした髪に馴染んだワックスの香りだ。
朝食を摂っている最中勝手に人の髪を弄り出した桜に勝手にさせといた結果がこれだ。別に害はないと放置していたが、もしかしてこの髪形が肉食系というものなのか。確かに昨日とは打って変わって前髪は特に短くなったが、劇的に変化はしてないと思う。顔のパーツは変わりないし。
何とか君は他の男子と目の前で談笑し、女子は顔を寄せあい囁き合っている。感じ悪い。ほっとくことにした。
そうこうしてるうちにベルが鳴り、先生が教室に入ってきた。全然眠れなかった。項垂れる。
先生の話を耳に入れながら、窓の外を眺める。今日も相変わらず暑い。

「あ、早川さん、ちょっといい?」

ぼんやりしているといつの間にか話は終わっていた。先生に呼ばれるまま前に行き、廊下に出る。

「昨日は大分疲れていたみたいね」
「え、……あ、はい」
「ふふ、気疲れかしら」
「…………」

ただのゲームのしすぎで寝不足なだけですとは口が裂けても言えない。

「でも、居眠りは良くないわね。今日は、大丈夫?」
「……はい」
「そう。でももし気分が悪くなったらちゃんと言うのよ? 保健室に行ってもいいし」
「はい」
「ふふ良い返事ね、これでお説教はおしまいよ。それじゃあ、今から一緒に職員室に来てもらえる?」

今のは説教だったのか。心の説教とは大分違うそれに、若干眼を丸くした。
言われるまま先生の後につき、職員室へ向かう。途中途中で教室で感じたような視線を感じた。

「早速モテモテなようね、早川さん」
「モテ……、え……?」

モテモテと言うより動物園で檻の中にいる動物の様な心境だ。人の視線は好きじゃない。
教科書を受け取り、職員室を後にした。腕に感じる数十冊の重みも然る事ながら、またあの視線を受けながら歩くのは苦痛以外の何物でもない。
必要最低限教室から出ないようにしよう、心に誓う。
教室に無事着き、貰った教科書を机に置く。これをどうしようか、考える。
机の中に全て入りそうもないし、ロッカーと二箇所に分けて入れることにした。今日の時間割を確認し、使う物だけ机の中へ、その他はロッカーへ詰め込んだ。
一限目はまた数学か、と数学の教科書を手に取り、ふと思い出した。手にしたそれを、隣の東条君に差し出す。

「これ、約束の……」
「…………」
「本当にゴメン、……はい」

受け取ることも何か言う事も無さそうな東条君に、机の上に勝手に置く。
代わりにリュックに入れっぱなしの教科書を取り出す。昨日に増して撚れかたが酷いが、使えない事も無ない。

「昨日」
「ん?」

何か言った? と東条君を見返す。眼が合う。

「何でそう誤解される恰好してくるわけ? ワザとなのか」
「……誤解……、……ああ」

何を言っているのか一瞬理解できなかったが、昨日の事なのだろうと理解する。

「昨日も言ったけど、男に見られたいとか全くないから」
「…………」
「髪切っただけでそう言われるのは心外だ」
「……そうかよ」

そこでチャイムと同時に先生が教室に入ってきて、会話は途切れた。
何故東条君がそこまで私に固執するのか分からない。東条君に何かしたのだろうかと昨日を思い返し、思い当たる節が多々あり考えるのを止めた。
何かもう、面倒臭い。
それから順調に授業を受け、心に言われたからではないが居眠りはしなかった。英語の授業は若干退屈で目蓋が落ちそうになったが、嫌味っぽい女教師が鼻につき眠気は飛んだ。所々文法間違いやスペルミスが目立ち笑いそうなった。
そして今、昼食前の最後の授業に向かう脚はとんでもなく重い。このまま回れ右をし逃げ出したいが、何故か隣にいる浅倉がそうさせない。
浅倉の興味の無い話を聞き流しながら、頭を占めるのは次の授業だった。
勉強で困ったことは今まで一度も無い。一度説明を受ければ、教科書を読めば内容が頭に入った。こんな出来のいい頭に産んでくれて有難う。
そういう答えが出る、或いはあるものはいい、問題はないもの。音楽、料理、裁縫、物作り、そして美術。実技はからっきしだった。成績の落差はとんでもない。もう諦めた。

「ほら、ここが美術室だぞ」
「…………」

美術室と書かれたプレートが心底恐ろしかった。

「念の為言っとくけど、この授業で寝るなんて恐ろしいこと絶対するなよ?」
「……なんで」
「美術の先生が魔王クラスに怖いから」

こっちはそんな教師より、美術そのモノが魔王クラスだ。あー、やだやだ。
如何にその教師が冷酷で非情で悪魔的なのかを力説する浅倉を横目に、魔境へ足を踏み入れた。

「――ようこそ美術室へ、転入生、早川暁」

ニヤリと不快な笑みを浮かべたそいつに全身の血が脚に落ちた気がした。



モテ期

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