とある少女の怪異録 | ナノ

67

母ちゃんとの約束を守り時間がない中、半ば流し込むように朝飯を食い、家を飛び出る。
ゆで卵の黄身が食道の途中に張り付いてるせいで喉が少しおかしい以外体調に問題はない。いくら時間がないからと言ってゆで卵を丸呑みするのは自殺行為だと学んだ。
――ゆで卵丸呑みは死ぬ。
かは、と軽く咳をし、練習前のアップがてら学校まで走ろうと地面を蹴る。
どれくらい体力が落ちているか動いてみるまで分からなかったが、案外問題なさそうで息の一つもまだ上がっていない。学校までもう少しというところで見知った桃色の髪が揺れているのが見えた。
声をかける前に駆ける足音が聞こえたのか、さつきが振り返った。そして何故かオレの姿をとらえたさつきの目がまん丸に見開かれた。

「え……え゛ッ、ちょっ大ちゃん何やってんの?!」
「は? 何って、練習出んに決まってんだろ」
「は、え、何言ってるの? 練習出るって大ちゃ……、青峰君つい何日か前に高熱で倒れたんだよね。しかも一日以上目を覚まさなかったっておばさんから聞いたよ。それでもう練習に参加するってどうなの、大丈夫なの」

大丈夫なのと聞きながら額に向かって伸ばしてくるさつきの手を振り払う。

「阿保か、大丈夫だから参加すんだろうが。オレ的には昨日には参加したかったんだけどよ、母ちゃんが駄目だっつうから仕方なく今日からになったんだよ」

それでも一悶着あったんだけどさ、と朝のやり取りを思い出しゲンナリとため息を吐きながら付け足せばさつきは「当り前じゃない」と母ちゃんと同じような剣幕で吠えた。
何も問題ない、体調は抜群むしろ溜まったりに溜まったエネルギーを発散したくて仕方ないと伝えるもさつきはどことなく煮え切らないというような表情を浮かべる。

「むー……、本当の本当に大丈夫なのね」
「もうこのやり取り飽きたんだけど」
「飽きるほどやってないってば!」
「ちょ、耳元で大声出すんじゃねえよ!」

鼓膜破れんだろ、と耳の穴に指を突っ込む。塞いだ耳の向こうではまださつきがあーだーこーだ言っていて、どうして女はこうも口煩いのかと思わずにいられない。そして今朝母ちゃんとしたやり取りを再度さつきとやっている内に学校についた。

「……もう分かったよ」
「そりゃよかった」
「でも! 練習中に無理だって判断したら絶対、何が何でも家に帰ってもらうからね!」
「へーへー」
「もうっ茶化さないでよ! 私は青峰君の身体ことを思って、」
「おめェはオレの母ちゃんか」

ぎゃんぎゃんうるさいさつきを残し部室に入る。
「うぃーす」と挨拶をしながら中に入れば、一斉に何十もの視線が飛んできてビクリときょどってしまった。練習開始にはまだ時間があるというのに部屋の中にはすでにほぼ全員と言っていいほどの人間が揃っていた。珍しいこともあんだな、と気を取り直し止めていた足を自分のロッカーに向けるも数歩も歩かないうちにガシリと肩を捉まれその場に縫い付けられた。
ンだよ、と頭だけ後ろへ回せばすぐ目の前に主将の顔があり、ギョッとし堪らず仰け反った。

「あ、ああ青峰! お前大丈夫なのか!? てか、練習出んのか?! 出れんのかよ!」
「ッ……、も、勿論そのつもりっすよっ。全然まったく問題ないっす」

両肩を捉まれたかと思えば前後にガクガク揺さぶられ、朝食べたものが胃の中で踊る。ちょ、たんま、と口を押えたのと揺さぶりが止まったのはほぼ同時で、主将の後ろから赤司が姿を現した。
「やっぱり具合悪いんじゃねえか!!」と叫ぶ主将に誰のせいだと内心ぼやく。
そして胃が落ち着いたところで、母ちゃん、さつきに続き本日三度目のやり取りが始まった。正直面倒くさい。ぶっちゃけうざい。でもそれは口が裂けても言えない。
主将にうざいなんて言った日には、頭にバスケットボール大のコブができること間違いなしだ。
主将との会話の所々で赤司だったり緑間だったりが口を挟んできては人の神経を逆なでする言葉を投げつけてきた。殴っていいかな殴っていいよなと拳を握ったが、その拳は勿論奴らにめり込むはずもなく代わりに主将に顔面を鷲掴まれた。顔がはじけそう。
体調は万全といってもオレまだ病み上がりなんだけど、と理不尽すぎる仕打ちに泣きそうになった。

「オレの話聞いてたか、ああ゛?」
「ふぃっしゅ」
「まあ、てめえの体調くらいてめえが一番分かってるだろうし、問題ないから練習に参加すんだよな」
「ふぃっしゅ」

「レギュラーが体調管理くらい出来ないわけないよな」とニコリとヤンキーも素足で逃げ出す様な笑顔――笑顔?を浮かべた主将に頭がとれそうなほど首を縦に振った。
主将はそれを見届けると手から力を抜き、顔面から手を放してくれた。顔に指の跡がついている気がしてならない。

「あはは、峰ちんの顔おもしろーい」
「ぶふ、紫原君キミ直球過ぎますよふふ」
「えーなんでー? だってホントのことじゃん」
「ふん、自業自得なのだ、よ……、ふ、くッ」
「緑間テメぇ笑ってんじゃねえよ」
「何故オレにだけ指摘するのだよ!」

そんなやり取りをしていると「早く準備しろ」と尻に強烈な蹴りが入り、ジンジンビリビリと尻がもげるような痛みがケツを中心に広がり堪らず誰かのロッカーに寄りかかり痛みが引くのを待つ。

「さっさと着替えて体育館こい」
「う、うっす」

さっさと着替えられなくした元凶が何を言うのかと。勿論口にはしない。
痛む尻を撫でながら落ちていたバッグを拾い、自分のロッカーに向かう。
扉を開けバッグを突っ込み、中からシャツを取り出し手早く着替えを済ます。
最後の一人になった部室を後にし、体育館へ向かう。

「久々のお爺さん家はどうでしたか」
「ぅおッ――!!」

自分一人かと思えば、いつの間にかテツが隣を歩いていて、急に話しかけられ驚きすぎて口から心臓が出そうになった。
テツは部室から一緒だったと言った。
存在感なさすぎるにもほどがあんだろ。

「それで、どうでしたか」
「どうって、別に……てか遊びに行ったわけじゃねえし」
「そうなんですか。久々のお爺ちゃん家だから山で遊び倒してやるって行く前に言っていたので、てっきり野山を駆けまわってきたのかと思いましたが考えてみれば法事ですもんね。いくら青峰君でも、そんな時に山で遊びませんよね」

「というかこんな時期に山でなにするつもりだったんですか」と続けたテツの科白に不意に赤い目がフラッシュバックした。
――違う。考えんな。
頭を左右に振り、頭の中から追い出す。
あれは夢だ。大丈夫まだ捕まってない。なんでもない。

「……ねくん」
「…………」
「青峰君!」
「うわっ」

テツの声が急に大きく聞こえたかと思えば、眉間にたっぷり皺を寄せたテツが顔を覗き込んでいた。

「青峰君、キミ本当に大丈夫なんですか」
「テ、ツまでなに言ってんだよ。てかお前ら揃いも揃って心配し過ぎなんだよ」
「そうでしょうか」
「そうだよ、つかそういうお前はどうなんだよ。顔色悪ぃんじゃね」
「……え」

これ以上詮索されないように、閉めたふたを開けられないように自分から話題を遠ざけようとなんとなく思ったことを口にする。が、そこまで深刻に指摘したわけではなく、あれなんかいつもより影薄くね、程度のものだ。
だけどテツの反応は予想だにしないもので、まるで今朝の自分を見ているようだった。
聞かれたくない部分を指摘された、そんなリアクションをするテツに目を瞬かせる。

「え、マジで具合わりぃの?」
「ちっ、違います! 悪くないです!!」
「テ、テツ?」
「なんでもないんです大丈夫です違うんですあれはなんでもないんです気のせいなんですだってあれはただの、」
「テツ!」
「……あ、青、峰君」

らしくない大声で否定したかと思えば、何かをブツブツ呟き始めたテツにギョッとした。
なんだ。どうしたんだ。テツにもなにかあったの、か。
――にも?
違う。浮かびそうになった赤色を押しとどめる。
それよりテツだ。
さっきまで分かるか分からない程度だった顔色がこの一瞬で格段に悪化していた。顔からは血の気が引き、病人のように青白い色をしている。
オレを見上げるテツの顔が苦しそうに歪んでいる気がした。

「テツ、なんかあった、」
「ないです!」
「…………」
「あ、いや、……すみません大声なんか出して。でも本当になんでもないんです」

テツはオレ以上に嘘が下手だと思った。
誰が見ても、オレでさえテツが何かを隠しているのは容易に分かった。だけど本人が何もないと言っているのに――例えそれが嘘だと見抜いていたとしても、これ以上何が言える。オレには無理だ。
今のオレはテツの隠していることを無理やり聞き出せるほど気持ちに余裕がない。

「ただちょっと夢見が悪いだけで」
「……ゆ、め?」
「はい、ここ一週間ほどですけど」
「そ、っか……」

それから体育館につくまでオレ達の間に会話はなかった。

夢は夢だ。現実じゃない。あれは夢だった。何もなかったんだよ。忘れろ、忘れろよ――大輝。


だがもし、あれに掴まったら――どうな、る……?


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