とある少女の怪異録 | ナノ

66

「――は、あ、はあ」

ひたすら走る。地面一面に広がる落ち葉の上を足がもげそうになるくらい全力で駆ける。
いつから走っているのか分からない。どこに向かって走っているのか分からない。何で走っているのかも分からない。
息は上がっぱなしで「はあはあ」と短い呼吸を繰り返す。
もう走りたくねえと足を止めたくて仕方がないのに、どうしてか足が止まらない。
いや違う。止まりたいのに、足を止めたら駄目だと聞こえるんだ。
走る走る。
ここはどこだよ。逃げろ。オレは何で必死に走ってんだ。止まりたい。
走れ走れ。
――足が、もげそうだ。
上へ下へ山の中を駆ける。もう限界だ。止まりたい。止まって呼吸をしたい。酸素を目一杯吸いたい。だけど立ち止まっては捕まると誰かが囁く。
走る走る。
逃げなきゃ駄目だ。逃げなきゃ。もっと遠くだ。なんでオレが。嫌だ嫌だ嫌だ……。

「はあ、はあ、はあ」
『……え……くの?』
「――ッ!」

微かに聞こえた声に緊張がほとばしるも違うと両手で固く耳をふさぐ。
違う、空耳だ。オレは何も聞こえてない。オレは逃げてきたんだ。アイツがいるわけねえ。
そう思いたいのにその聞こえないはずの声に誘われるように、振り返りたくない自分の意志に反して頭が勝手に後ろを向きそして――遠くに何か見えた。

「ひっ――!!」

なんで。だってあれは夢で。ただの勘違いで。オレは何も見てない。なにも、誰にも会ってない。だから声なんか聞こえない。何もいない。走れ走れ。前を向き走るスピードを上げる。

『ドコ……の、ダ……ん』

声が聞こえるたび馬鹿みたいに後ろを振り返る。前だけ見ていたいのに何かを確認するかのように頭が勝手に回る。
豆粒大だったソレは振り返るたびに姿形がはっきり見えてきて、オレの走る速度は遅くなるどころか増しているはずなのにソレは確実に近づいていた。

「何でだよッ!!」

涙目になりながら叫び声を上げる。
ちくしょう。捕まってたまるか。逃げきる――絶対逃げ切ってやるっ。
地面を蹴り上げ、道なき道をひた走る。
そして、進行方向に何か見えてきた。

「な……ん、で」

近づき、愕然とした。
木々が生い茂る山の中で不自然にぽっかりと空間ができあがり、注連縄に囲われた一角があった。真ん中には変わらず小さい神社が建っている。
また。なんで。来たくなかった、どうして。

『ドコイくの、ダイ……ん』

呆然と立ち尽くしているともう何度目かも分からないその声にやっぱり頭は後ろを振り返り、すぐそこにいたソレに目を見開いた。
恐怖で喉が潰れ、声が出ない。
――あ、逃げ、ねえと。
止めていた足をズッと後ろへ動かすと同時に回れ右をしそして、目が合った。
目の前に赤があった。なんで。後ろいた。後ろにいたのに前を向き目が合った。
赤色が嬉しそうに弧を描いた。


「ぎゃぁぁぁぁあ゛あああ――!!」

叫び声をあげると同時にドンッと音が聞こえ何故か背中に痛みが走った。
かっぴろげた目に映るのは勝手知ったる自分の部屋の白い天井だった。
はあ、はあとまるで今まで全力疾走でもしていたかのように息が上がっている。視界の端にはベッドが映り、そこではじめて自分がベッドから転がり落ちたのと気づいた。
バタバタと足音が近づいきた。

「ちょっと大輝ッ大丈夫……、って何やってんのよアンタは」
「落ちた」
「それは見ればわかるわよ」

ベッドから落ちた体勢のまま母ちゃんの顔を見上げれば、焦った表情が一転呆れたものに変わった。
上体を起こし床に座り、欠伸をしながら大きく伸びをする。

「ねえ大輝、本当に大丈夫なの」
「んが……、はあなにが?」
「なにがって、身体に決まってんでしょうが。もう一日休んだらどうなのよ」
「えー、ンでだよ。もう四日もバスケしてねえし、無理」

立ち上がり、腰に手を当てながら見上げてくる母ちゃんを見下ろす。

「無理ってあのねえ、アンタ丸一日以上目も覚めないで眠り続けていたのよ、分かってるの」
「わあってるよ」
「分かってないわよ! 約束破って夜になって山から帰ってきたかと思ったらそのまま倒れて、しかも高熱出し、て」

いつものマシンガン説教が始まるかと構えるも母ちゃんは両手で顔を抑えたかと思えば肩を震わせ始めた。

「え、ちょ、な、泣く、え」
「そのまま意識は戻らないし、もうお母さんはどうしようかと思っ、て……」
「で、でもオレマジで大丈夫だ、し」
「大丈夫なのは見ればわかるわよ! それでも親は自分の子供の心配をするのが仕事なの!!」

この馬鹿息子が、と言いたげに伏せてい顔を上げた母ちゃんの目は少し赤くて、見たことない母ちゃんのその姿に「あー」とか「うー」とかしか出てこない。
だけど母ちゃんが思うほどオレの身体はヤワじゃない。強がりでも何でもなく全開だ。
正直山から帰ってきたあたりから記憶はなく、気がついたら布団の上で日にちが二日進んでいた。なんと気なしに起き上れば、嬉しいのか悲しいのか怒っているのか、よくわからない表情をした母ちゃん達が傍らに並んで座っていた。
よかったよかったとしきりに繰り返す母ちゃんと父ちゃんに目を白黒させていると、乱暴に肩を掴まれたかと思えば爺ちゃんが見たこともない剣幕で何があった、何を見た、何をしたと次々捲し立てられた。
爺ちゃんはオレが約束を破りあそこに行ったことを確信しているような口ぶりで、そんな爺ちゃんの姿に何も言えず布団の中で手を握りしめひたすら布団を見続けた。
あそこに入ったことが知れたらとんでもないことが起こる気がして、取り返しのつかないことが起こる気がした。何も言わないオレに爺ちゃんはひたすら質問し続けた。それでも何も答えず無言を貫くオレに父ちゃんが爺ちゃんをまあまあと宥めた。目を覚ましたばかりで疲れているんだと爺ちゃんに言い聞かせていた。
爺ちゃんも次第に落ち着きを取り戻したのか「スマン」と小さな声で謝ると立ち上がり背を向けた。部屋から出ていく前に約束のことを再度聞かれ、あれだけ何度もした約束を破ってしまった自分が恥ずかしくて、でも行ったと答えるのはどうしてもできなくてオレはただ首を横に振るしかできなかった。その返事に爺ちゃんはどこかホッとしたような声で「そうか」と呟き部屋を出て行った。オレは嘘をついた。
そしてその日のうちに自宅に戻ってきた。
帰ってきた日は勿論、大事を取って次の日も休んだ。四日もバスケをしないなんて生まれて初めてで、むしろよくここまで我慢したと褒められてもいいくらいだ。いや我慢したというよりさせられたというほうが正しいけど。
まあ何度か練習に行こうと脱走を試みたはいいが、部屋から少し出ただけで一階から母ちゃんがすっ飛んでくるもんだから結果的に部屋に缶詰め状態だった。
部屋にカメラがないか真剣に探したのはまた別の話だ。

「ねえ、せめて今日一日休んだらどうなの。日曜日だし、月曜から出たほうがキリがいいじゃないの」
「はあ?! キリがいいとか悪いとかの問題じゃねえよ! 一日でも練習は欠かさねえ方がいいに決まってんじゃん」
「でもねえ」
「大丈夫だって! むしろ昨日から出るつもりだったのを今日まで延ばしたんだからなんの心配もねえって」

問題ねえ、とブンブン腕を振り回し元気ですアピールをする。
そう何日も休んでたらマジで体が鈍るし、ゲーム感も鈍る。
――まあ鈍るっつっても身体が温まる頃には何ら問題ない程度だけどな。
今日は止められようが絶対行く。バスケがしたくてしたくて仕方がない。
母ちゃんのため息が聞こえた。

「全くアンタって子は……」
「…………」
「これだけは約束してちょうだい。気分が悪くなったら直ぐに練習を止めて帰ってくるのよ」
「おうとも!」

直ぐによ直ぐに、と何度も強調する母ちゃんに拳を振り上げる。
その時視界の端に見えた時計の針が家を出なければいけない十分前を指していることに気づき、慌ててきているものを脱ぎジャージに着替える。
母ちゃんがまだ何か言っていて、適当にハイハイ返事をする。

「朝ごはん食べていきなさいよ」
「えー、時間ねえーし」
「食べないんだったら一歩たりとも家から出し、」
「食う!」

ご飯を食べている場合ではないが、食べなかったら家から出してもらえない、確実に。母ちゃんはやると言ったらやる女だ。
バッグに手あたり次第必要なものを詰め込む。さつきがみたらあーだこーだ文句を言われそうな汚さだ。いなくてよかった。
替えの着替えを突っ込んだところで名前を呼ばれ、生返事を返す。

「本当に入ってないのよね」

バックに手を突っ込んだまま不自然に動きを止めてしまった。

「へ、え」
「大輝、アンタ本当にあそこに入っていないのよね?」
「な、に言ってんだよ。入ってねえって言ってんじゃん」

なんでそんなこと聞くんだよ。爺ちゃん家でも聞かなかったのに、なんで今聞くんだよ。母ちゃんはあそこが何なんのか知ってんか。
震えそうになる唇を固く横に結ぶ。
うまく嘘をつける自信がない。
駄目だ顔があげらんねえ。

「てか支度してんだから出てけ、」
「――もう一度、私の目を見て言いなさい」
「は、んで」
「――目を見なさい!」

怒鳴り声に肩が跳ねる。
こんなあからさまに反応を見せておいてこれじゃ行きましたと言っているようなもんで、でもあそこに入ったと、あそこで見たことを話すことはできない。だってあれは夢なんだ。何もいなかったではないか。誰もいなかった。一時の、恐ろしい夢だ。
――夢じゃなきゃいけねえんだ。
言葉にしたら現実として認めることになる。駄目だ。夢なんだ。あれは、違う、考えるな。
固くつぶった瞼を開き、細く息を吐き顔を上げる。

「……行ってねえ」
「……………」
「オレはそんな場所には――絶対行ってない」

母ちゃんの目を見たまま力強く答える。
嘘を見抜くようにじっと目を見てくる母ちゃんの視線から逃れたい、目を逸らしたいくてしょうがない。だがここで視線を逸らしたら最後、嘘だと認めることになる。嘘をつくのは苦手で、昔からついた嘘はことごとく見破られてきたが、この嘘は見破られるわけにはいかない。
あんな思い出しただけで震えるような恐怖が本当にあったと――絶対認めねえ!
中は見せないと母ちゃんの目を見ていると、程なくして母ちゃんの口からため息がこぼれた。

「はー、分かったわよ。アンタは行ってない、これでいいのね」
「おう」

本当に母ちゃんがオレの言葉を信じたのか分からないが、取り合えず今が凌げればいい。そして明日、明後日、そうやって時間が経てばなにもなくなる。なかったことになる。
必要なもの全部を詰め終え、ファスナーを閉めながらそろそろ時間やべえかな、と時計を見上げ目を見開く。

「げッ!! やっべッ」
「あ、ちょっと大輝! ちゃんとご飯食べてくのよ」
「わあってるよ」

バッグを引っ掴み部屋を飛び出し、階段を駆け下りる。

「大輝……、嘘じゃないって、入っていないって――信じてもいいのよね」

母ちゃんの呟きがオレの耳に届くことはなかった。


back
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -