とある少女の怪異録 | ナノ

65

「な、な、何を言ってんだ!! こっちは安くもない金を払うんだぞ! それを死ぬことに同意しろだとッ、ふざけるな!!」
「…………」
「ああ゛もうッだから俺は反対したんだ!! あんた等みたいな胡散臭い連中に関わるなって!」

秘書の声だけが部屋に響いた。
部屋に入ってきた時から全身で全然信じてません的な空気をプンプン漂わせていたが、被っていた皮が完全に剥がれている。
そして今の今まで私に刺さっていた視線の数々は今や男に一点集中していて、こう言ってはあれだが秘書には感謝したい。
――まあ胡散臭い連中なんて言われたら、古参達が血管が切れる勢いで怒り狂うのも納得できる。
仕舞っていた式が顕現している人もいるし、男の一言で一瞬にして殺気が室内に充満した。
かく言うヨリも「凛様もう我慢なりません、一刻も早くあの人間を――殺りましょう」などと物騒な発言を繰り返している。「大丈夫です。一瞬で終わらせてみせます」と続けた。何が大丈夫なのかと問い詰めたい。どいつもこいつも血気盛ん過ぎてついていけない。
勿論私もイラつきはするが、それ相応の対価をもらえればどうぞご自由に、だ。イラつくが。

「……でしたらこの話、なかったことに致しましょう。どうぞお引き取りを」

やっと当主の口が開いたかと思えば、まるで音を立て燃え盛る炎にガソリンを注ぐような言葉を並べた。
――え、何言ってんこの人。

「なんだその物言いは! こっちは客だぞ!」
「客? はて、貴方は依頼者であって客ではないと認識しておりますが。……それにしても貴方は何か勘違いしているようだ」
「口答えするな! このことは先生に報告させてもら、」
「――全ての決定権は依頼者ではなく此方にあるのですよ」
「……は?」
「おや、まだ分かっていただけませんか。ですから依頼を受けるも受けないも決めるのは此方であって貴方方ではないと言っているんです」
「んなッ!!」

当主がお帰りはあちらですとばかりに襖に向かって手をかざすと秘書の顔は一瞬にして真っ赤に染まり、体を小刻みに震わせていた。
見るからに怒り心頭でわなわなしている秘書にどうするのこれ、と隣に座る父さんを見やろうとした直後ダンッと大きな音と共に畳が微かに揺れた。
なんだと正面に向き直れば秘書が立ち上がっていた。そしてドンドンと無駄に足音を立てながら出入り口に向かう秘書をここにいるほぼ全員が冷めた目で追っていると不意に秘書の足が止まり、なにやらゴソゴソし携帯を耳に当てた。
秘書は開口早々「お疲れ様です先生!」と襖に向かってペコペコしだしたかと思えば、子供が先生の依頼を受ける云々から始まり当主とのやり取りまでそっくりそのまま電話の向こうの先生とやらに早口で捲し立て、最後に「こんな胡散臭い連中になど先生を任せておけません!」と締めくくった。
二度目の胡散臭い連中発言に部屋の空気は最悪を極め、秘書の男には一刻も早くここから出て行ってほしい。
――まあこんな殺気立った空間の中、平然と電話できる秘書はある意味逞しいとは思うけど。
だがその願いとは裏腹に秘書の足は一向に動く気配がなく、というか秘書の声が段々と小さく、しどろこもどになってきた。しまいには無言で携帯を耳に当てるだけとなり、誰も一切口を利かない室内に電話の向こう側にいる先生の怒鳴り声がよく通る。
怒鳴り声が聞こえなくなると秘書はゴソゴソと携帯を仕舞い、クルリと此方に向き直ったかと思えば膝をつき徐に畳に額を擦り付けた。

「こ、此れまでのご無礼の数々心よりお詫び申し上げます。私が無学なばかりに皆様方に多大なるご迷惑、また不快感を懐かせてしまい誠に申し訳ございませんでした!」
「…………」
「は、恥を承知でお願い申し上げます。皆様の寛大なお心でどうか――どうか私共の依頼を受諾して頂けないでしょうか。何卒、何卒ッお願い致します!」

数分前まで胡散臭い連中とか言っていた人が額が畳にめり込む勢いで土下座をしている。額の下に添えられた手が震えていた。
大の大人が土下座をする姿は何度見ても慣れず、視線を彷徨わせる。ただそう思っているのは私だけなようで他の人達は当然だというように、それか下らないパフォーマンスを蔑むように秘書を睨みつけている。
そして頭の中では「額を畳に擦り付けて何の意味がありましょう、やはり死をもって償うべきかと」と指示があれば直ぐにでも葬り去りますよと言わんばかりにヨリが息巻いていた。思考がぶっ飛び過ぎててついていけない。
が、いくら畳に額がめり込むほど土下座をしたからといって当主が否と言えば否で、これを見てどんな判断を下すのかとチラと当主に視線を投げれば徐に当主が立ち上がった。

「……そこまで仰るのなら致し方ありませんな。なに、私共も鬼ではありませんのでね、その依頼謹んでお受けいたしましょう」

当主は「有難う御座います有難う御座います」と頭を下げ続ける秘書に歩み寄り、「頭をお上げ下さい」と秘書の背中に手を添えた。そして秘書が顔を上げると人のよさそうな笑みを浮かべた。
その笑顔を見た瞬間、ゾッとしたと同時に直感した。
当主はこうなると分かっていた。いやこうなるよう仕組んだのだ。私のような子供をお偉い先生の依頼に宛がえば異論が噴出するのは当然で、もう結構と断られるのも予想できたはず。
それを分かっていながら何故私を任命したのか、何故こんな面倒なやり取りをあえてしたのか。

「依頼を遂行する術者はそこにいる八神凛で異論はないですね」
「……お願い、致します」
「八神の陰陽師はどれも一流、どうかご安心ください」
「は、い」
「それではどうぞ先生に……――宜しくお伝え下さいませ」

いっそう笑みを深めた当主に八神の闇を見た気がした。
私も人のことをあーだこーだ言えるほど全うな道を歩いているわけではないし、更に言うなら私も倫理的にそれなりに外れた行為をしているとは思うけど、それでもこれはやりすぎでしょう。
こんな――小芝居打って依頼料を跳ね上げる行為は。
まあ私もその八神の一員なのだから同罪といわれれば同罪だけど。
そして二人は二言三言言葉を交わし、秘書と八神の窓口役だけが退室した。

「――して凛、異論はないな」
「……ありません」

二人が退出してすぐ当主が口を開いた。
異論もなにも端から拒否権など私にはない。例えあったとしても私の意志を汲みとってくれないのは百も承知だ。

「異論があるものはいるか、いるなら聞くが」
「…………」
「沈黙は異論はなしと受け取る。……凛、速やかに依頼に取り掛かれ、必要とあらば八神の名を使え」
「はい」
「今回の補佐にはお前の父をつける、その方が何かと都合がいいだろう」

隣の父さんを見やれば、同じタイミングでこっちを見た父さんと目が合い、父さんは大丈夫というように小さく頷いた。
補佐役が父親と言われ、重かった気がいくらか軽くなった。

「期待している」
「……御意」

ほどなくして息が詰まりそうな集まりが終わった。
何か言いたげな、一言嫌味でも言わないと気が収まらないというような視線を向けてくる古参達から足早に離れ、顔見知りの術者と簡単な挨拶を交わし部屋を出る。こんな空気の悪いとこ一秒でも長居したくない。
勝手知ったる建物の中を玄関に向かって黙々と歩く。
――というか解決策が一向に思い浮かばない。
こういうものは直接本人から話を聞くのがセオリーで――場合によっては直接会えない時もあるが、下手したら話など聞かなくとも当人を見ればどういったものか分かるケースもある。だけど今回来たのは代理人。怪異の詳細を説明してはいたがピンとくる前例は思い浮かばないし、正直ちょっと考え過ぎではと思ったものの当主が断らなかったことからも何かが憑いてる或いは引き込まれている、もしくは――唾を付けられた、か。勿論そのどれでもない可能性も大いにある。
――でもまあ秘書の話を聞く限り今日明日で事態が急展開する可能性は低い、かな。
これからのことを父さんと術を解き一緒になって歩くヨリと話し合っていると、後方から段々と近づいてくる足音になんとも嫌な気配を感じた。

「分家の分際で調子に乗るな。身を弁えろ」

その予感は見事的中。
案の定、巷ではできた嫡男様と噂の総さんが追い越しながら嫌味を吐いたかと思えば、追い越しざまに殺気を含ませた睨みを向けてきた。総さんはそのまま足を止めることなく住まいがある方へと廊下の角を曲がって行った。
父さんは苦笑いを浮かべ、ヨリに関してはもう何も言うまい。
文句があるなら自分の父親に言って欲しい。
すると総さんが曲がっていった廊下の角から当主の奥さんで総さんの母親の千草さんが姿を現した。千草さんはどこか申し訳なさそうに眉を垂らしていて、総さんの声が聞こえたのは明白だった。
私が悪いわけではないのに何故か居た堪れない。

「凛さん、あの、ごめんなさいね」
「……いえ」
「ただね、あの子も悪気があって言ったわけではないことは分かってほしいの」

悪意百パーセントでしたけど貴方の耳はどうなっているんですか、とツッコミたい気持ちを抑えつつ、ヨリが余計なことを口走らないよう目配りする。

「貴方があまりに優秀すぎるからあの子も焦っているのね。それに当主も、更には前当主までもが貴方に目をかけているのが尚更にあの子を追いつめているの」
「……………」
「勿論貴方の所為と言ってるわけでは決してないわ、信じてちょうだい。ただ次期当主という重圧に苦しむあの子を少しだけでも理解してほしいの」

お願い、と垂れていた眉を更に垂らしながらこっちを見つめる千草さんにうっと気圧しされる。
この人自身悪い人ではないし、むしろ人が良すぎるぐらいいい人だがこと息子に関したら親バカもいいところで、それはここに住んでいた三年間嫌というほど分かっている。しかも無意識に嫌味というか棘を刺してくるから余計にタチが悪い。
ただまあここで「貴方の自慢の息子さん性格歪んでますよ」なんて口にするわけにもいかず、曖昧に笑って流した。そして千草さんはこの時になって初めてこの場に私以外にも人がいることに気づいたのか、慌てて父さんに挨拶した。

「こんなところで引き留めてしまってごめんなさいね」
「いえ」
「本当なら家の方でお茶をしたいところだけど、用事が立て込んでいてね」
「いえお構いなく」

時間があるときにでもお茶しましょう、とお約束の言葉を最後に千草さんと別れた。
なんか疲れた。彼女と話すと妙に緊張してしまう。
とりあえず今日は休む。すり減った分の精神を回復する必要がある。
行動は明日からだ。

「――凛さん」

呼ばれるまま後ろを振り返れば、廊下の先で千草さんが足を止めていた。

「お仕事――頑張ってね」
「……有難うございます」

微笑む千草さんに小さく会釈し、少し遠くなった父さんの背中を追う。


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