とある少女の怪異録 | ナノ

60

「……あ……あ」

どす黒く、痛んだローブを身に纏い、身の丈程ありそうな大鎌は鈍い光を放ち、そしてフードから覗くのは血の通った人間の顔ではなく、理科室で見たことのある骨格の標本そのままの白骨。鎌を握る手も、腕も、足も視えるとこ全てが――骨。
映像や本でしか見ることのない、いやこの世にいる筈のないそれがいた。

「あ? 緑間どうかしたのか?」
「緑間? おい大丈夫か?」

そこにいるのは紛れもなく死の象徴――死神だった。
怖いという感情を思い出し、二酸化炭素が気管を逆流し、恐怖で潰れた喉からひゅ、ひゅと空気だけがもれる。
何で死神。オレだけが。何故。死ぬ、のか。何で、視えない。オレしか。誰も。何で、なんでなんでナン、デだ……?
そしてただ浮いていたそれが音もなく空を移動し、赤司の真後ろで動きをピタリと止めたかと思えば大鎌を振り上げていた。

「……え?」

どうして、が頭の中を埋め尽くす。逃げろではなく、どうして、が。何故赤司に向かって鎌を振り上げているのか分からない。どうして死神は赤司を、何故。違う。逃げろ赤司。なんで。赤司。
――声が。
だけど言葉になるより早く鎌は振り下ろされ、そして大鎌が音もなく赤司の身体を貫いた。その瞬間赤司は声を上げるでもなく、況してや苦しむでもなく、まるで電池が切れた人形のようにただバタリとその場に倒れ込んでいた。

「あ、あ、あああ赤司ぃいーーッ!!!!」
「緑間!? ――って赤司!?」

覆いかぶさるように赤司に縋りつく。
赤司が。赤司が。何故。どうして。死……、いや、違う。駄目だ。どうしてこんなことに。そうじゃない。なんで。

「はっ、はっ、は、」

上手く呼吸が出来ない。
四肢を投げ出し地面に横たわる赤司の肩を揺らすも閉じられた瞼はピクリとも動かない。顔も、身体もどこも彼処も動かない。
肩から手を離し、小刻みに震える指を赤みが残る頬に伸ばす。指先に触れる赤司の肌はまだ温かかった。まだ……。

「ぅ、わ゛ぁあああ゛ぁああ゛あ――ッ!!」

赤司の身体を掻き抱く。
どうして。嘘だ。どうして赤司が。何故。嘘だうそだうそだ。こんなの認めない。なんで赤司が。嘘だう そ だ。

「お、おい、どうしたんだ、よ。つか赤司大丈夫なのか」

違う。こんなにも温かいではないか。なんで。赤司は。そんなわけない。信じない。
肩を掴まれ反射的に顔を上げれば、驚いたように目を見開いた青峰とその背後で赤司にやったように大鎌を振り上げる死神の姿が視界に入り、頭で考えるより早く身体が、手が青峰を突き飛ばしていた。そしてカンマ置かずに顔面すれすれに鎌が降ってきた。

「ぃ、ってえ――な!! ンなにすんだよ!」
『もーしごとのじゃましないでくださいよー』

青峰のがなり声に被さる様にして小さい子供特有のソプラノボイスが鼓膜を震わす。だけどこの場にその声を出すような子供はおらず、じゃあ誰がと考えるも、頭の中ではすでに声の持ち主が分かっていた。
気づきたくなどなかった。

『こんどはおとなしくしててくださいねー、っと』

恐る恐る顔を上げ、見上げれば死神はぼやきながら再度鎌を振り上げ、青峰に標準を合わせていた。

「止めろ――!!」

突き飛ばされた事に文句を言い続ける青峰の手首を鷲掴み、地面を蹴る。
青峰だけは。もう嫌だ。見たくない。駄目だ。赤司が。なんで。
頭の中はぐちゃぐちゃで、真っすぐ考えられない。だけどこの場に留まってはいけない、それだけは分かっていた。
悪態をつく青峰の声が聞こえる。大丈夫。生きている。
――八神ッ。
オレの手を振り解こうともがく青峰に比例するように鷲掴んでいる手に力が籠る。
絶対連れていく。八神の元に――絶対連れて行ってやるのだよ青峰ッ。
体育館を横切り、靴など脱いでる暇はなくそのまま土足で校舎に駆け込む。直ぐに階段を駆け上がり、特別棟を、第二図書室を目指す。廊下を一直線に走りながら微かな願いを込めちらと背後へ視線を向け、絶望する。青峰の数メートル後方に黒い影が視え、微かに声も聞こえる。

『もうまってくださいよー。しごとしないとおこられるのはぼくなんですよー。とまってくださーい』
「ひ――ッ!!」

――なんでッ、一体何なのだよ!!
荒々しい足音と、上がる息づかいと、場に似つかわしくない声が廊下に響く。
八神なら如何にかしてくれる。青峰を――救ってくれる。
もっと早く。足を動かせ。もっと。もっと。
更に階段を上り、角を右に曲がれば図書室は直ぐそこだ。そして今まさに中に入らんとドアに手を伸ばす八神がいた。
喉の奥から声を絞り出す。

「八神――!!」

廊下に八神の名が木霊し、八神がゆっくり此方に顔を向け、これで助かったと胸を撫で下ろす。だけど迷惑そうに歪んでいた表情が此方を向いた瞬間何故か呆れを含んだものへと変わっていた。

「……え」

上手く表情が作れない。
おかしい。これを見て、オレ達を追いかけるモノを見て何故そんな表情を浮かべている。浮かべられるのだよ。大変だと、慌てる所だぞ、なあ八神。
自分が今どんな顔をしているのか分からない。

「八神っ、たす、」
「緑間君さ……、いや青峰君キミ馬鹿でしょ?」

助けてと伸ばした手が、必死に動かしていた足が止まる。

「折角見逃してあげたのにね、なにしてんのよ――ねえモリちゃん」

モリ、ちゃん……?
八神はやれやれと言いたげに左右に振っていた首を止め、オレを、オレの後ろを見てニヤリとこの場にそぐわない笑顔を浮かべた。心臓が凍りつく。
――八神、お前は一体何を言っているの、だ、よ。

「は、げほッ、緑間、お前一体何のつもり、だよ」
「八神、おま、え、何言って、どうして、」

どうして笑っている。どうして話している。どうして――親しげな、ん……だ?

「モリちゃん、久しぶり。元気してた?」
『ひさしぶり、じゃないですよーもう。やくそくのふるーりーいつたべさせてくれるんですかー? ぼくたべるのすっごくたのしみにしてたんですよー』
「あー、そう、だっけ? ゴメン、すっかり忘れてたわその約束」
『もうしっかりしてくださいよー』
「分かってる。今度こそ御馳走するからね、で仕事は? しないの?」
『もちろんするにきまってるじゃないですかー。でもそのひとがじゃまするんですよーもー』

『どうにかしてくださいよー』と死神が八神に訴え、そして八神の目がオレに戻ってきた。八神の隣にはやはりぼんやりと人の形が視える。

『というかぼくのことみえるにんげんなんてひさしぶりにあいましたー』
「やっぱり、か。うーん」
「八神、おま、え」
「おい緑間。八神の奴一人で何言ってんだ? 頭大丈夫か、なあ」

身体が震える。恐怖などではない、底からわき上がるこれは――怒りだった。
赤司が大鎌に貫かれたのも、青峰が大鎌に貫かれそうになったのも、オレ達が追いかけられたのも全部八神の所為で、八神が全ての元凶だった。如何してなんの関係もない赤司があんな目に遭わなければいけなかった――どうして!!
八神の首に手が伸びる。

「ふざけるなッ貴様――!!」
「なに? 何で緑間君が怒るの? 何で私が責められないといけないの? おかしいよね」

胸倉を掴み、近距離で凄んでいるというのに八神の表情はピクリとも動かない。

「お、おい緑間どうしたんだよ、なにやって、」
「なにがおかしいというのだよ! おかしいのは貴様だろうが!!」
「どうして? だって緑間君サインしたよね?」
「サ、イン……?」
「そうサイン、誓約を守りますっていうサイン、したよね?」

淡々と言葉を紡ぐ八神に、もう無理だと思った。八神という人間を受け入れるのはもう――無理だ。

「それに書いてあったでしょ、誓約を破った暁には背後に注意してねって」
「だ、が」
「だがも何もないから。私言ったよね、発動したら止められないよって」

勿論誓約書に書かれていることは頭に入っている。
八神の事だ、破ればそれ相応の罰を受けるという事は容易に想像できた。だが誓約を破った代償が『死』というのは余りにも大き過ぎる。そんなのは絶対に間違っている。

「そ、だとしても何故、どうして赤司までも奪われなければいけなかった!」
「……赤司?」
「罰を受けるのはオレと青峰で十分だろ!!」

八神は眉間に皺を寄せ、赤司と呟いたっきり黙りこくったが、ものの数秒で眉間の皺を解き表情を戻した。

「ああ、それはしょうがないね。だってその赤司って子聞いたのよね――私の詳細」
「それだけでッ」
「そうそれだけよ。だけどたったそれだけのことを守れなかったのはどっちかしら?」

ぐッと言葉が詰まる。
八神はやれやれと、呆れたように首を左右に振った。

「後出しで悪いとは思うけど制裁を受けるのは何も誓約書にサインした人間だけじゃないの――その場にいた、聞いた人間全員が対象なのよ」

なんでそれだけで。たったそれだけで。なんで――どうしてだ、八神。

「それに私を責める前に友達の口の軽さを恨んで下さいな。私はただ誓約に則って行動しているだけで、一つも間違ったことはしていないもの。だから制裁は受けてね――ね、モリちゃん」
『はーい』
「ま、て」

八神の合図に死神がスルスルと青峰の傍に寄っていく。
駄目だ。止めろ。違う。駄目だだめだだめだ――。

「止めろぉおおおお――!!」

伸ばした手は虚しく空を切り、目の前で大鎌が青峰に振り落とされた。
赤司と同じように四肢を投げ出し、倒れた青峰に目頭が熱くなる。体から力が抜け、その場に膝をつく。涙が頬を伝う。

「な、ぜだ、ど、して……」
「だから誓約を破った代償よ」

涙で視界がぼやけ、床が歪んで見える。
いくらなんでも酷過ぎる。何故命を奪われなければいけない。たかが秘密を漏らした位で、何故。命を奪ってでも守りたい秘密などありはしない。あってはならない。許さない。

「……ろ、し」
「ん?」

言ってはダメだと頭の片隅に微かに残っている冷静な自分が呟く、だけど。
言ってしまえ。八神はオレの言葉など何とも思わないのだよ。
――そうだ。

「……ごろ……し」
「…………」

八神は何を言っても何も思わない人間だ。八神は何とも思わない。オレの言葉は届かない。八神はなにもーーオモワナイ。
言え。

「この、人殺、し」

歯を食いしばり、流れる涙を拭う。
許さない。なんで。絶対。
言え、いえ、いえいえ――言ってしまえ。
……でも本当は。

「お前はッ――人殺しだ!!」

八神の顔を仰ぎ見たまま吐き捨てた。八神の表情が微かに変わった気がした。きっと気のせいだ。
瞬間頭の奥でブチブチと何かがちぎれる音がしたかと思えば、どうしてか身体に力が入らず、そのまま廊下にうつ伏せに倒れ込んでいた。
何かを考えるより早く思考を黒く塗りつぶされ、意識が薄らいでいく。頭も指も手も腕も足も、身体が動かない。嫌だ。これが死ぬということなの、か。何でオレが。まだ逝きたくない。イヤだ。誰か。
いつだか死ぬ間際には生前の事が走馬灯のように脳裏を駆け巡ると聞いた事があるがそんなのは嘘だ。死ぬという恐怖しか頭の中には存在しない。
死にたくない。死にたくない。しにたくない。シニタクナイ。
視界が薄暗い。もうなにも。誰か。
――八神。
自分を殺した張本人に助けを求めるなどどうかしている。分かっている。八神は顔色一つ変えず人を殺せる人間で、倫理観も道徳心も全く無くて、悪魔のような、そこにいる死神のような人間で、金にしか目が無くて、人を傷つける言葉を平気で吐く人間で、八神頼む。ちがう。分かってない。なんで。たすけて。おねがいだ。いきたい。
最後の力を振り絞り、落ちそうになる瞼に力を込め、頭を動かす。首から下はもう動かない。
だけど焦点が上手く合わず、視界がぼやける。それでも眼球を動かし、どうにか八神の顔に視線をもっていくも、顔半分の所で振り絞った力が底を尽き、瞼が落ちる。
それは。どうして。ほんとうはしんじてたんだ。どうして。
――もう、ねむい。
そして、噛みしめられた唇の意味を考える前に全てが黒く塗りつぶされた。



「――……さい」


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