とある少女の怪異録 | ナノ

57

「さつき!!」

ただまあこれは、起こるかもしれないという可能性の話であって何事もなく過ぎる可能性もなくはない。うん、なくは、ない。
そう己に言い聞かせ、それになによりまだ起こってもいない未来に目を向けるのはとても馬鹿馬鹿しいという考えに行き着き、事が起こってから考えても遅くはないという結論に達した所で青峰君に抱きしめられている、いや羽交い絞めにされている桃井さんの元に向かう。

「良かったなさつき! ほんと……」
「ん、え……な、に」
「本当に良かった……」

青峰君の所為で桃井さんの表情を窺い知ることはできないけど、桃井さんの声からしても彼女が目を白黒させている様は想像に難しくない。
それもそうだ。桃井さんには九尾に拉致られてからの記憶が殆ど無いのだから。
桃井さんからすれば、学校にいた筈が気がつけば日もとっぷり暮れた真っ暗の屋外で幼馴染に抱きしめられているという何が何だか全く分からない状況だろう。

「桃井さん気分はどう?」

感動の対面を邪魔して悪いけど、桃井さんの状態を確かめない訳にはいかない。見初められたのが下級霊や妖なら未だしも、九尾とあってはアフターケアーにも細心の注意が必要だ。
青峰君に羽交い絞めにされている桃井さんの顔を覗きこめば、ちょっとやそっとのことでは離れないだろうと思っていた青峰君が慌しく桃井さんから離れ、俊敏な動作で後ろに飛び退いた。そして意味も分からず抱きしめられていたかと思えば急に離れた青峰君に桃井さんはただただ目を丸くしていた。
私も驚いた。
別段離れなくとも桃井さんの顔色と首筋をみせてもらえれば良かったのだけど、と数歩離れた位置にいる青峰君に視線を向けるも、伝えようとした言葉は呑みこんだ。
暗さに目が慣れたといっても夜目はそこまで利く方ではない上に青峰君自身が黒いせいもあって確かな事は言えないけど――青峰君の顔が赤みを帯びている気がする。
うん。邪魔してごめんね。これが終わったら思う存分抱きしめて下さい。

「あ−っと、あ、そうそう、桃井さん、どこか痛いところとかない?」
「え、と、貴方は……」
「うん桃井さんは知らないと思うけど、私桃井さんの同級生なのよ」
「う、ん」
「それで急に言われても理解できないと思うけど、今まで桃井さんは狐……、幽霊にとり憑かれていたのね」
「……は、八神、お前何言って、」

だけど反応を示したのは目の前の桃井さんではなく、気づかなくてもいい所まで気づく緑間君で、小さく息を吐き首を回せば案の定緑間君は何言ってんだとばかりに眉間に皺を寄せ、怪訝そうな表情を浮かべていた。
桃井さんに事の詳細を事細かに伝えるつもりはないし、その必要もない。それに例え説明した所で理解はしてくれないだろう。短時間でも魂の半分を持っていかれた所為で意識がまだはっきりとはしていない筈だ。多分、今日話したことも明日には覚えていない。それかただの夢だと勘違いするか。
――それならそれで手間が省けて好都合だけど。
だからこれ以上無駄口は叩かないように、と緑間君を一瞥すれば、思いが通じたのか開いていた口が閉じられた。これ以上話の腰を折られない為に、念の為青峰君も、と首を反対方向に回せば青峰君は私の背後に視線を向けたまま表情を凍りつかせていた。うん問題なし。
桃井さんに向き直れば、桃井さんはよく分からないと言うように首を傾げていた。

「で、その幽霊を今祓ったんだけどね、どこか変なところ無い? 違和感とか?」
「ゆう、れい?」
「そう幽霊。それで身体は大丈夫?」
「……だい、じょう、ぶ」
「そっか」

問い掛けに少し考える素振りを見せたが、桃井さんは首を縦に振った。そして妖術で作られた世界で着ていた白無垢ではなく、連れ去られた時の服装――制服から覗く首筋からも許嫁の印が綺麗に消えている事を確認し、それは良かったと笑みを浮かべる。

「それじゃあ、目を瞑ってくれる?」
「……え?」
「おまじない、かけてあげる」

本来なら護符が一番だけど、素面でない桃井さんに持たせても意味がないし、一週間肌身離さず持っていてと伝えた所で明日にはきっと忘れてしまう。それなら若干不安は残るが身固め式をかけるしか選択の余地はなく、それに考えてみれば今回は相手が相手だっただけにただ膜を張る護符より身に浸透する身固め式の方が妥当だろう、と言ってみる。本音は呪符も護符も全て使いきってしまいすっからかんなのだ。
――まあ、抱きしめればそれだけ加護が強まるはずよね。
目を閉じてくれた桃井さんの額に指を置く。

「八神テメぇッ、何してん、」
「煩い近所迷惑」
「テンメぇ……」
『青峰様どうか凛様の、』
「ひい――!!」

瞬間ズダダという足音と情けない悲鳴が夜道に響き渡った。
散々行動を共にしていたというのに、未だヤマダさんに怯える青峰君に呆れる。チラと横目でヤマダさんの様子を窺えば、ヤマダさんは青峰君が逃げて行った方を哀しげな眼差しで見つめていた。
ヤマダさんは見た目こそアレ……、少々厳ついが、保有するどの式より心優しいのだ。
毎回外見で損をするヤマダさんが憐れ過ぎて泣けてくる。目頭を押さえ、今日はヤマダさんの心ゆくまでフルーリーを食べさせてあげようと決め、はたと気づいた。
いつもなら終わるや否や着物が汚れたなんだとぎゃんぎゃん騒がしい式がいつにも増して静かだ。
どうしたのだろうというより、何を企んでいるのだろうと視線を動かせば、ナカムラさんはいつの間にか緑間君の背中におんぶお化けよろしく、べったりと張り付いていた。
緑間君から助けてくれと縋るような視線が飛んできた気がしたが、多分気のせい。

『凛様、ナカムラがまた』
「ヨリ、この世には気にしたら負けという言葉があるのよ」
『ですが』
「なにもナカムラさんだってとって食おうなんて考えていないわよ」

心の中で多分と付け加え、だから大丈夫とナカムラさんに向けていた視線を桃井さんに戻す。
目を瞑ったまま微動だにしない桃井さんの額に指を置き直し、桃井さんの呼吸に合わせる。

「天を我が父と為し、地を我が母と……」

毛布に包まれているように身体がじんわり温かくなってきたところで桃井さんの背中に腕を回し、がっちりホールドする。
桃井さんは驚いたようにビクリと一瞬身体を震わせたがそれだけで、黙って身をゆだねてくれた。
内に溜っていた温もりが密着している部分から桃井さんに流れ込んでいく。

「……――に朱雀、後ろに玄武。前後扶翼す。急々如律令」

最後の一滴まで残さず桃井さんに渡るように力いっぱいぎゅっと抱きしめる。
唱え終えると同時にいつの間にか背中に回っていた桃井さんの腕が力無くだらんと落ちたのを察し、お疲れ様、と意識の落ちた桃井さんの耳元で囁く。
そして桃井さんの引き取りをお願いしようと口を開く間もなく、野生の癇なのか桃井さんの異変を察知した青峰君が眉間に皺を寄せズンズンと近づいてきて、まるで触んなとでもいうように私の腕から桃井さんをもぎ取った。

「八神お前ッ、さつきに何したんだよ!」
「何って、ちょっとしたおまじないだけど」
「じゃあ何でさつきは倒れてんだよ、ああ゛!? 嘘ついてん、」
「疲れて寝てるだけよ」

ほら、と桃井さんに視線を落とす仕草をすれば、青峰君は嘘ついてんじゃねえぞとばかりの視線を投げつけてきたものの、気になるのかチラと桃井さんに視線を落とした。そして青峰君が口を閉じたお陰で辺りは静かになり、すーすーという気持ち良さそうな寝息が拾えた。
勿論それは青峰君の耳にも届いたようで、青峰君はばつが悪そうに目を逸らした。
心配なのは分かるが、青峰君はもう少し冷静になるよう努力した方がいい。何でもかんでも怒鳴れば物事が解決するなんて大間違いもいいところだ。
やれやれと首を緩く振っていると不意に足元に紙が落ちている事に気づいた。上体を屈め、手を伸ばす。
一枚も残ってないと思っていたが、何処かに紛れてたのかな、とどことなく歪で、小汚い長方形の紙を拾い上げ、裏表と確認し目を見開く。

「なに、これ」

間違っている箇所は多々あるが護符に間違いない――それも持ち主を災いから守るものだわ。
一瞬にして思い出されるのは、狐の手が桃井さんに触れるや否や弾かれたあの場面だ。
ただ単にこの場に落ちていただけと言うのも考えられるが、私もそこまで阿保の子ではないし、護符なんていう代物が道端に落ちているなどそうそうあるはずがない。
所々黒ずみ、明らか使用済みのそれに、もしかしなくともこれが桃井さんを守ったものなのかと思わざるを得ないが、此方に関して何の知識もないだろう桃井さんがこんなものを所持しているなど普通に考えてあり得ない。恐らく桃井さんの意思で持っていたものではないだろう。
だとすると考えられる理由はただ一つ。
――誰かが渡したもの。
それしかない。偶々持っていたものと考えるには不自然すぎる。
どこの一般人が日常的に護符など所持しているという話で、いや防犯のため持っている人間もいるだろうが桃井さんに限って、というかただの学生が護符と言うものを知っているとは思えない。
そしてその誰かに視線を向けるより早く、予想外の所から声が上がり思わず素っ頓狂な声が出た

「あ、それオレが書いたやつじゃん」
「は?」
「今朝さつきに渡したんだよ」
「え……、――え?」

誇らしげに胸を張る青峰君と手元の護符を交互に見た後、青峰君の顔をまじまじと凝視する。
てっきり緑間君が作ったものだと思っていたが、まさかの青峰君作で驚きを隠せない。そして何故青峰君がこんなタイムリーな護符を持たせたのか、というか一体どこから得た知識なのかとふと疑問に思ったが、A子の件もあるし大方ネットか本かで見たのだろう。秘術の類でもないし、表に出回っていてもおかしくはない。
――多分緑間君も一枚噛んでいるんだろうけど。
護符を握る手に力が籠る。
もしも青峰君が作らなかったら。もしも桃井さんに渡さなかったら。もしも私が僅かな情報を話さなかったら。もしも緑間君が神社の場所を間違えていたら――もしも青峰君がこの場にいなかったら。
不完全な、間違いだらけの護符が何故作用したのかは定かではないけど、きっとその間違いを補うだけの念というものが込められていたのだと思う。

青峰君の桃井さんの無事を祈るという、強い念が。


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