とある少女の怪異録 | ナノ

56

『妖弧ノ面汚シメガ、人間ノ狗ニナド成リ下ガリオッテ』
『……なんやて?』
『鎖ニ繋ガレタ貴様ナド恐ルルニ足リン……』

言い終えるや否や、九尾は鞭を振るうように器用に九本の尻尾をブン回してはブロック塀や家々をなぎ倒し、それを見事な跳躍で回避したナカムラさんは着地した先の屋根をそれはもうグシャグシャに踏みつけていた。そしてバキだがゴシャだが、日常ではまず聞かない破壊音と若干の揺れを感じ視線を九尾に戻せば、九尾の足元のアスファルトが見事にひび割れていた。

『――捻リ潰シテクレルワ!!』

いやひび割れどころか粉々に砕けたアスファルトに此処が別の空間であったことに心の底から感謝したのは言うまでない。勿論仕事をする際は警察沙汰や周りに迷惑がかからないよう細心の注意は払うし、事前にそれなりの計画は立てるが、というか今日のように物理的に周りに影響を及ぼすことなど今まで数える程度しかないのだけれど。だから攻撃も体格も何もかもが規格外の奴とやるのは七面倒臭いという言葉以外出てこない。そして相手が強大であればある程想定外なことも起こる確率も高いわけで、とヤマダさんの背後で震えているだろう足手まとい二人を思い浮かべたが、今回の想定外は九尾が作り出したものではないと気づいた。

『凛様!!』

破壊音や建物が崩れる音が引っ切り無しに聞こえ、この辺りが更地になるのも時間の問題だと他人事のように思ったのがいけなかったのか、当たればタダでは済まないだろう妖術が狙いは私だと言わんばかりにピンポイントで飛んできた。
流石に臨戦態勢を崩すヘマはしておらず受け流そうと素早く印を結んだが、印を発動するより早く視界の端から現れたヨリが術を退けていた。
――というか今のって。

『ナカムラ貴様ッ凛様に向かって一体どういうつもりだ!!』

見間違いでなければ飛んできた妖術は此方に背を向けている九尾が放ったものではなく味方である筈のナカムラさんから放たれたもので――危うく身内に召される所だったわ。
私を狙ったとは思わないが、うかうかしていると九尾に殺られる前に味方に殺られるかもしれない。
もう少し周りに気を配って欲しいと注意したいのは山々だが、オリジナルの姿になれと強要した手前注意し辛いものがある。
――まあ私があーだこーだ言わなくとも、ヨリが代わりにがーがー口煩く言ってくれるからいいんだけどね。
現在進行形でがーがー吼えているヨリに、どうか矛先がこっちに向かわないようにと内なる手を合わせつつ、どうやって桃井さんの元まで行こうか脳味噌を絞る。

『死ネ死ネ死ネェエエェ、コノ狗ッコロガァアア――!!』
『は、さっきから黙って聞いとりゃ狗狗って何勘違いしとんねん。阿保ちゃうか』

場にそぐわないほど淡々としているナカムラさんの声にゾクリと背筋に悪寒が走った。

『ウチが飼われとるんとちゃいますう、ウチが飼ってやっとるんですう』

そうだった。怒りの表れ方はそれぞれで、表面上なんの変化もみられないからといってイコール憤慨していないという意味にはならない。
ナカムラさんは苛立ちが募れば募るほど逆に静かになるタイプだったと思い出した。やけに口数が少ないかと思えば、どうやらさっきの九尾の狗発言ですでに腸が煮えくりかえっていたようで、そして二回目の狗発言で完全に入ってしまったらしい。
それによくよくナカムラさんを見てみれば、怒りからか全身の毛が逆立ち、触り心地が良さそうなほどもっふもふしていた。

『何、ジャト』
『せやから勘違いしてんとちゃうぞ、このボケナスが――!!』

ナカムラさんの雄叫びが響き、そしてナカムラさん渾身の頭突きが九尾の顎に見事クリーンヒットした。ガツンッととんでもない打撃音が木霊し、流石の九尾も急所への一撃は堪えたようで、よろめいた。ナカムラさんはその隙を見逃さず、情け無用とばかりに攻撃の手を休めることなく九尾を叩きのめす。
妖弧の体内がどうなっているのかは知らないが、何かが折れる音やら潰れる音が断続的に聞こえ、抵抗という抵抗もないまま一方的に九尾を攻めつづけるナカムラさんに終焉は直ぐそこだと分かる。
ナカムラさんが九尾を相手にしている間に桃井さんの元に行こうと思っていたが、これならば九尾が完全に動けない状態になるまで待ってから助けに行っても問題無いだろう。というか今、ナカムラさんの近くを通るのは命を捨てに行くようなもので、怒りでいつも以上に周りが見えていないナカムラさんのことだ、下手しなくても巻き添えをくらってしまう。
九尾共々ボコボコにされる未来を想像し震え、なんとき無しにナカムラさんの先に目を向け、思考が停止した。
――う、そ、い、ない……?
いる筈の、さっきまでいた筈の桃井さんの姿が狐共々消えていた。いや違う。さっきっていつだ。私はいつから桃井さんを見ていなかった。ちょっと、待って。

「八神――!!」

名前を呼ばれると同時にまさか、と振り返れば緑間君が指差す方向に、鳥居のすぐ近くに桃井さんがいた。

「拙いッ」

驚愕に目を見開き、地面を蹴る。
九尾は始めからこれが狙いだった。自らに注意を引きつけ、桃井さんを中に連れ込む気だったのだ。
――まんまと掌で踊らされたッ。
馬鹿か私は。なにが九尾が動けなくなるまで待って助けに行くよ。何より優先しなければいけないのは、やらなければいけなかったのは桃井さんを助ける事だったではないのか。
駄目だ。気ばかりが焦り、足が思うように動いてくれない。
式札を取り出す為ポケットに突っ込んだ指はただ空気を掴んだだけで、そういえば、ヤマダさん達を守るために全て使ってしまったのだと思い出し、舌打ちする。一枚でも余らせておけばよかったと悔やむが所詮後の祭りだ。
走りながら印を組むのは容易ではなく、手元が落ち着かず上手く印が当たらない。私より早く向かって行ったヤマダさんもヨリも狐一匹ずつに足止めをくらっている。
桃井さんの直ぐ目の前に鳥居が迫る。
駄目だ、間に合わない。違う、考えるな。間に合え。走れ。もっと早く。足が。

「桃井さ、」
「さつき行くんじゃねえ――!!」

縺れそうになる足を必死に動かし、だけど桃井さんと鳥居の距離はもう何メートルもなく、私と桃井さんの距離は十メートル以上もあって、届かないと分かっていながら馬鹿みたいに手を伸ばしたその時、青峰君の悲痛な叫び声が夜道に響き渡った。そしてまるでその声に反応したかのように止ることの無かった桃井さんの足がピタリと動きを止めた。
正気であるはずがないにもかかわらず足を止めた桃井さんに驚きを隠せないが、なんにせよ生まれたチャンスは絶対掴む。だが桃井さんと共にいる狐が黙って突っ立っているわけもなく、二匹の内の右腕がない狐が桃井さんに左手を伸ばしていた。無理矢理にでも中に連れ込むつもりだ。
だけど狐の手が桃井さんに触れた瞬間、バチッと静電気のような音と共にその手が弾かれた。

「……え」

一体なにが、どうして。
あまりに一瞬の出来事で、見間違いかとさえ思ってしまったが、もう一方の狐が同じように桃井さんに触れようと伸ばした手がやはり静電気の音と共に弾かれていた。
それは明らかに。

「退魔法――」

――何で桃井さんがそんなもの都合良く纏っているのよ。
一体誰が。いや今はそんな事を考えるより桃井さんを保護する方が先だと、減速しないまま桃井さん達に近づき、弾かれてもなお手を伸ばし続ける狐達に向かって九字を切り、消滅する狐の間から桃井さんに手を伸ばす。

「桃井さん、迎えに来たよ」

拒絶されることなく桃井さんの肩に触れられてホッと息を漏らす。
だけど桃井さんは私の言葉に反応することはなく、虚ろな目で空を見ているだけだった。
背後で此方に近づく足音がした。

「さつき!!」

先程は青峰君の声に反応したというのに、今度はピクリとも反応を示さない。
何も言わない桃井さんに痺れを切らしたのか、青峰君が桃井さんの肩を掴み前後に揺らし始めた。即座に青峰君の手を叩き落とす。

「いッてぇーな!! なにす、」
「桃井は一体どうしたというのだよ。明らか普通ではないぞ」
『狐との繋がりを絶たねばこの人間は、』
「……うん分かってる」

返事をしながら桃井さんの白無垢の合わせを横に引っ張る。
外野がギャーギャー煩いが気にせずそのまま首筋に視線を向ければ、そこにはくっきりと許嫁の印が刻まれていた。
なんのリアクションもなく平然と狐達に囲まれている姿を見て、もしかしてと嫌な予感が脳裏を過っていたが、事態は思っていたより大分深刻だった。
――まさかすでに魂の半分を持っていかれているなんて、ヨリが言うように九尾との縁が切れない事には桃井さんは正気に戻らない。
が物は試しだ。印に指を添え、詠唱する。

「――……御息を以て吹けば穢れは在らじ。残らじ。阿那清々し、阿那清々し」

唱え終え、印の有無を確認するも印は変わらず主張し続けており、細く息を吐き桃井さんの顔を覗き込む。
青峰君達はいつの間にか静かになっていた。

「駄目、か」
『ですが凛様、手段はまだ残されております』
「……分かってるわ」

やはり直接的に九尾との縁を切るしかないようだが、てっきりナカムラさんに虫の息にまでさせられているかと思ったがまさかまだ動ける元気が残っていたとわね、と闇に浮かぶ金色の瞳を見つめ返す。

『サセヌゾッ、サツキ、サツキ――!!』
『ホンマしつこいわ自分』
『小賢シイ人間風情ガ、殺シテクレルワ!!』
『あ、やってもうた』

「あ、やってもうた」じゃないでしょ!とツッコミを入れたくなったのはきっと私だけではない。
きっちり仕留めてとお願いしたのに何やってくれてんの、とこちらに元気よく、でもないがそれなりの足取りで向かってくる九尾に強く思った。しかもナカムラさんは悪びれる様子もなく「勘忍してやー」ヒラヒラーと九本の尻尾を優雅に振っている。
説教は元よりご褒美のフルーリーを半分にすることを即座に決め、指を組む。

『ナカムラァっ何をやって、』
「二人ともさっさと足止めしろ!!」

この期に及んで職務放棄は許さないと、ナカムラさんを睨みつければ、はいはい分かりましたよと言いたげな傲慢な態度で、それでも瞬時に九尾の背後を取ってくれた。
――九尾がこうも易々背中を取られるなんて、ね。ナカムラさんも何だかんだ貢献してくれたと褒めるべきかしらね。
ヨリとナカムラさん、前と後ろから九尾の動きを封じてもらっている間に不動金縛りを唱える。

「――……マカロシャダソワタヤウンタラタカンマン」

唱え終えたと同時に合図を出さなくとも示し合わせたかのように瞬時に退いた二人を流石と称賛しつつ、印を飛ばす。

『小賢シイ、小賢シイゾ人間ガ!! 食イ殺シテヤル、ソノ首今スグ咬ミ切ッテヤルワ!!』
「あっそ」

出来るものならやってみれば、と口以外はピタリと動きを止めた九尾を見上げる。
血走った目と視線が交差する。

「話し合いに応じなかったアンタが悪いのよ」
『黙レ』
「アンタが間違った選択をした所為で、」
『黙レ!!』
「人間の女の子たった一人の為にアンタの仲間、ぜーんぶいなくなったのよ」
『煩イト言ッテオロウガ!!』
「…………」
『ワシニハサツキガ、サツキダケガ居レバヨイノジャ!! アヤツ等モソレヲ望ンデオルワ――!!』
「ノウマクサラバタタギャテイビャクサラバ……」

これ以上話しても時間の無駄だと悟り、真言を唱え始める。

「――……ギャキサラバビギナンウンタラタカンマン!」
『サツキサツキ、サツキ――――!!』

唱えながら左手は剣印を結び、右手は振りかぶる。
誰を好きになろうと、それは個人の、九尾の自由だと思う――但し私の関知しない所では、の話しだけど。
精々己の不運を呪いながら消えるといい。
輪廻を巡り、そして。

「次生まれ変わる時はもっと、利巧な狐になることだね――!!」

振り上げた右手を勢いよく振り降ろし、握っていたペーパーナイフを眉間めがけ投げつける。
瞬間大妖怪の断末魔が辺り一帯に轟き、ビリビリと空気を震わし、何処からともなくガラスが割れるような音が聞こえた。
消える絶望、死ぬ恐怖、そして――桃井さんと離れ離れになってしまう哀しみ。様々な感情を吐きだし続ける九尾を黙って見上げる。
ただ守り神として存在していれば、人間さえ、桃井さんさえ愛さなければ消えることはなかったというのに――馬鹿な狐。

『…………――サツ、キ』

重力に引き寄せられるようにペーパーナイフが地面に落ちる。
それに九尾が消滅するという事はこの辺りの均衡が崩れるという意味だ。ただ時間が経てば自ずと別の九尾、あるいは同等の妖が締め上げるとは思う、がそうすんなり元締めが決まるとは思えない。
作られた世界が消えていく。
――尻ぬぐいなんて絶対にごめんだわ。
今日あった事は自分の胸にだけ留めておくことにし、地面に落ちているペーパーナイフに手を伸ばす。


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