とある少女の怪異録 | ナノ

55

ちらちらと後方に視線を向けるナカムラさんの横顔は完璧に恋する乙女のそれだ。
これは……――面倒臭いことになったわ。
無類のイケメン好きのナカムラさんの事だからもしかしたらこうなるのではないかと若干危惧していたが、ナカムラさんにとったら赤子同然の――いや彼女にしてみれば中学生もお爺さんも赤ちゃんと同じようなものだけど、生後数日足らずの中学生に邪な感情は向かないだろうと高を括っていたけど、蓋を開けてみれば予想通り過ぎるほど予想通りの展開に溜息すら出ない。どうにも悪い予想というのは当たるようにできているらしい。
――だけど。
ナカムラさんと九尾、力の差はそこそこあるといっても、それはあくまで対等な立場である時の差であって、力が制限される人型と妖力全開のオリジナルだと分が悪過ぎる。例えるなら両手に鉄パイプを持つ相手にメリケンサック一つで挑むようなものだ。まあ急所にでも当たれば勝機はあるにはあるが、鉄パイプをブン回す相手をすり抜けて一発を決めるのは大分骨が折れる上、それなりに運も絡んでくる。
流石のナカムラさんも人型のままオリジナルの姿の九尾とやり合うのは無謀だという事くらい分かっているだろう、けど……いや駄目だ。
目の端でナカムラさんをチラと窺えば、ナカムラさんは九尾そっちのけで相変わらず緑間君、か青峰君に向けてピンク色の光線を発射し続けている。
どうしよう。全然分かってないわ、このヒト。
力技という手もなくはないけど、それだと後々面倒な事になるから極力使いたくない、がこのまま人型で挑むのはどう考えても自殺行為だ。
それがまた私とヨリの三人ならば話は別だけど、それだと桃井さんは助けられない。今回は桃井さんの生存が大前提の依頼なのだからそんなのは本末転倒もいい話だ。
――仕方ない。
正規ではないとしても、仕事として受けた以上円滑に遂行する為には多少の面倒は目を瞑るしかない。
未だ何の動きも見せない九尾から再度ナカムラさんへと今度は顔ごと視線を向け、ズボンの右前のポケットに手を突っ込もうとしたその時、急激な妖力の高まりを感じ咄嗟に九尾へと視線を戻したが最後、それは既に九尾の口元で形を成していた。

『……シイ』
「……え?」

ほんの少しの油断が命取りになると言ったのは果して誰だったか。
身に覚えのあり過ぎる禍々しいそれに目を見開き戦慄し、そして一瞬でも動作を止めてしまった所為でこぶし大だったそれが瞬く間に倍の倍以上の大きさとなってしまった、がそこでふと違和感を覚えた。
九尾と視線が合わない、というか九尾の視線がどうもおかしい。定まっていないというか、視線が一点に留まっていない。
――怒りで我を忘れている、か。
怒りで我を忘れた奴のとる行動ほど予測が難しいものはなく、対応が後手後手に回ってしまうことも暫し。だけど今回ばかりは後手に回ったが最後、それはこの世にさようならを意味する。
こっちに向かってくればナカムラさんが如何にかしてくれるが、ヤマダさん達に、と思った直後九尾の視線が一点に固定された。
足が己の意思とは関係なく動きだす。

『小賢シイ人間共ガァア――!!』
「オンキリキ、バサラウンハッタァ――!!」

毒々しい黒とも紫ともとれる膜に覆われ、濁りきった妖力が凝縮された球体状のそれが絶叫と共にヤマダさん達に向かって放たれたと同時に、いつの間にか取り出していたありったけの式札をヤマダさん達の方向に向かって思いきり投げつければその直後、凄まじい、雷が落ちたような爆音が鳴り響いた。
耳の奥がぐわんぐわんする。
そして間一髪間に合ったことにほっと胸を撫で下ろすが、休んでいる暇は一秒たりともないことは自分が一番よく分かっている。妖力の塊を一時的に防いだだけの、私がヤマダさん達の元に辿り着くまで、十秒もてば及第点の障壁なのだから。
足を必死に動かし、ピキ、パキとひび割れ始めた障壁を強固なものにしようと奮起する式達とヤマダさん達の間に身体を滑り込ませる。今すぐ座りたいと訴える下半身に鞭を打ち、すぐさま式達と共に新たな真言を障壁に重ねる。

「ナウマクサンマンダセンダマカロシャダソワタ……」

今は何とか食い止めてはいるが、徐々に障壁を剥がされている。それも此方がかけるよりも速い速度で。
パリン、パリン、と砕ける障壁に焦りが募る。
あんな妖力が凝縮されたものに飲み込まれでもしたらどうなるかなど考えるまでもない。
そんなの――肉体はおろか魂まで消し飛ばされ、本当の意味での“消滅”となってしまう。
――何やってんのよナカムラさん!

「ちッ……っ」

もし仮に対象がヤマダさんだけだったらこんな事にはならなかった。ヤマダさんならば私がこうやって身を挺して守るまでもなくヤマダさん自身で容易に回避できるのだ。
だけどヤマダさんの背後にはひっつき虫の如く足手まとい二人が張りついていて、そして今までの言動からしてヤマダさんがその二人を残し自分だけ回避するとは到底考えられない。そして障壁も結界も専門分野ではないヤマダさんが二人を守るために出来る事はただ一つ――己の身を犠牲にすることだけだ。そうすれば投げた式札と同じように多少時間稼ぎにはなる、とヤマダさんは考える筈。
夜叉ともあろう悪鬼が情けない。ヤマダには出会った頃の凶悪さを思い出し、最後の晩さん会だとばかりに人肉を食い散らかす位の心意気はみせて欲しかった。
――まあ私もヤマダさんどうこう言える立場ではないけどね。
依頼遂行のためならば式の一体や二体消えてもいいと考えるのが普通なのだ。それこそ式は道具なのだから、と。勿論私自身式は道具以外の何物でもないと思っているし、必要ならばまだ息のある狐を何匹か使役する事くらい容易い。
だけど己の思うがままに操れるといっても術者と式には相性というものがある。相性が良ければ能力以上の力を引き出せるし、悪くてもそれなりには使えるが本来ある能力を引き出すのは難しく、一戦でバイバイなどザラだ。それは今まで幾度となく経験してきた。
そこをいくとヤマダさんや、今いる式達はとんでもなく相性がいい部類に入る。その中でもヤマダさんは私の言う事を素直に聞いてくれる、口答えしない唯一の式なのだ――いやヤマモトさんもまともと言えばまともだけど、スズキが絡むと厄介だからね……。
その唯一の良心、ヤマダさんを緑間君と青峰君の所為で失うのは惜しすぎるし、己の身を危険に晒してでもヤマダさんには守る価値がある。
ただそれだけだ。決して緑間君と青峰君の為ではない。
――そもそも依頼料に緑間君達は入ってないわけだし。
緑間君達さえいなければ事は円滑に運んだのに、と唱えていた真言に恨み節を混ぜ合わせていたのも束の間、不意に白に視界を覆われたかと思えば黒々とした妖力の塊が瞬く間に拡散された。
張っていた気がふっと抜け、両膝に手を置く。

『凛様ぁああ――――!!』
「遅い、よ、ナカムラさん」
『間に合ったんやからええやろ』

もし訳無さの欠片もない返事にガクリと肩を落とす。
――それはそうなんだけどね、うん。
だけどあと五秒でも遅かったら確実に終わっていた――私他二名と一体の生が。
何故来るがギリギリになったかは追求しないが、まあ間に合って何よりだ。
わーわーぎゃーぎゃー煩いヨリに構うだけの気力はまだ回復しておらず、ゆっくり深呼吸を繰り返し途切れた精神を統一する。

「八神、あ、あり、がと」
「緑間君何勘違いしているの」
「……は」

ふーと最後に一番深く息を吐き、よしと姿勢を正した所で背後から勘違いも甚だしい科白が聞こえ、振り返る。
二人は思った通りヤマダさんの背中に守られる様に、守ってもらうのが当たり前だと言わんばかりに立っていた。
それがとても不愉快で、この二人は本当にヤマダさんが身を挺してまで守る価値のある人間だったのかと疑問を懐かずにはいられなかった。
二人が此処に来なければこんなことには、ヤマダさんが危険にさらされる事はなかった。

「私はキミ達を守った訳じゃない、私が守ったのは――ヤマダさんだけ」
「え」
「だからキミ達はついでよ。ヤマダさんの近くにいたから守る形になっただけで、もしキミ達がヤマダさんから離れた場所にいたのならば見向きもしなかった」
「…………」
「オマケ、っていえば――分かる?」

意味が分からないと見開かれていた緑間君の目が徐々に細くなり、刺すような視線を向けてくる。
それこそ意味が分からない。彼は一体何を期待していたのだろうか。

「私言ったよね、キミ達の命の責任まで負わないからって」
「だがッ」
「それに学校でも再三忠告したよね、死ぬからねって。それを無視してここに来たのは他でもないキミ達自身で、それでいざ死ぬかもしれないから助けてって、それって凄く勝手だと思わないかな」
「ッ」
「分かったらこれ以上無駄口を叩くのは止めて――不愉快でしょうがない」

緑間君は胸の内で何を思って唇を固く噛みしめているのだろうか。
これ以上言葉を交わす必要はないだろうと、前に向き直る。
言い過ぎた感は否めないし、酷い言葉を吐いた自覚もある、が緑間君は――青峰君もだけど、自分の選んだ選択がどれだけ浅はかで無謀で軽率なものだったのか知ってもらわないと困る。
また同じような事が起こっては迷惑だ、と考えたが、運が良ければまたはないのだと気づいた。
そしていつの間に静かになっていたヨリと視線を交わし、いつでも動けるように構えつつ前の動向を見守る。


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