とある少女の怪異録 | ナノ

53

ンだよ、コ、レ。さっきの白い化け物といい、ホント何なんだ、よ。夢、だろ。てか、ンで八神の奴がいんだよ。オレたしかに、確かに八神から、白い化け物から逃げたよな。背中を向けたよ、な。それがなんで。ン、で。おかしいだろおい。誰か。
震える手で頭を抱える。
違う。こんなことあるわけがない。あっていいはずがないんだよ。……そうだ、夢だ。コレはオレが見てる夢だ。そうに違いねえ。オレはまだ家にいて、ベッドの上で寝こけているだけだ。だってそうだろ、狐が二足歩行することも、白い化け物も現実に存在する筈ねえんだからよ。コレはオレが作り出した夢の世界だ。緑間も八神も、全部全部夢だ。これからさつきを助けに行くってぇのに緊張感ねえなハハ、ハ。――だから早く、夢なら早く覚めろ。早く目を覚ませっ。

「皆さん今晩は」
『……ニンゲンフゼイが――ナニヨウだ』

はッなんて夢だよ。動物が、狐が人間の言葉を話す訳ないだろ。どんだけ下らない夢見てんだよ。オレはこんなファンタジーな思考回路は持ち合わせてねえってーの。早く覚めろ。こんな事、現実にあるわけねえ、ある筈がねえんだよ! だから早く、覚めてくれ、よ。さつきを。早く。覚めろ、覚めろ、覚めろ覚めろ覚めろ覚めろ――!!
頭を掻き毟る。

「おい青峰、大丈夫か」
「夢だ夢だ、これは夢だ。これはオレが見ている夢だ。だから早く、夢だ、コレは夢だ現実じゃない。早く目を。狐なんかいない。白い化け物もいない。早くさつきを。夢だ夢だ……」
「お、い青峰?」
「……がいだ。誰か、頼むよ、誰か――夢だって言ってくれ」

足から力が抜け、頭を抱えたままその場に座り込む。そしてただ只管に夢だと、早く目を覚ませと己に言い聞かせていた。
こんな現実を直視するなんて――オレには無理だ。

「青峰――!!」

だけどそんな事を許さないとばかりに頭を抱えていた両手を強引に剥がされ、ついで両肩を強い力で鷲掴まれた。

「お前は何しに此処へ来た!」

その問い掛けに肩を揺らし、垂らしていた頭をゆっくり持ち上げる。
なに、しに。オレは、オレ、は……。

「桃井を一人にしない為ではないのか」
「…………」
「確かにお前は、いやオレ達は一度逃げた。だけど桃井を助けたいという気持ちに嘘はない、そうだろ青峰」
「…………」
「答えろ青峰――!!」

緑間の言葉が鼓膜を突き破り、そして頭の一番奥まで突き刺さった。
そうだ。
緑間を仰ぎ見、瞬きすることなく見下ろしてくる瞳を真っすぐ見かえす。
そうだ誓った。さつきを助けるって。目をそらすな。一人にしないって――誓ったじゃねえかよ。クソっ。なに腑抜けたことやってんだオレは。みろ。助ける。助けてやる。だから、だから――。
足が竦むほど、冷や汗が止まらないほど怖いのは変わらない、だが覚悟は決まった。

「待ってろよ――さつき」

足に力を入れ、立ち上がりそして、道路を埋め尽くすほどの狐の集団に視線を向ける、が見れば見るほど異様としか言えないそれらに堪らず喉を鳴らす。
――こ、こ怖ぇえよ……。
どこの世界に二足歩行の狐がいんだよ。人間が着るような着物を身につける狐がいんだよ。どこの世界に――歪んだ笑顔らしき表情を浮かべる狐がいんだよ。
というかそもそも普通の狐に表情なんてものがあるのかという話で。
やはりこれは夢かもしれないと、再び思考が強制的にシャットダウンしそうになった所で目の前で足を止めてから微動だにしなかった狐の集団が一斉に動き始めた。そして川を形成するが如く二つに割れたかと思えばその割れた先に頭のてっぺんから足首まで白に覆われた何かが、誰かがぽつりと佇んでいた。
そう誰かが。

「さつ、き?」
『なりません青峰様ッ!』

引き寄せられるように一歩二歩三歩と進んだ所で二の腕を掴まれ、グイっと強い力で元の場所に引き戻された。
あれはさつきだ。無事だった。生きていた。よかった。今行く、迎えに行くからなッ。
だが目の前の白と二の腕から肩に回された緑間の手が邪魔で身動きが取れない。

「放せっよ緑間! さつきを助けんだよ!」
「落ち着け! お前には無理だ!!」
「煩せ、」
『随分騒ガシイノウ――ノウ人間ヤ』

声が鼓膜を震わした瞬間、体に途轍もなく重たい鎖が巻きついたような錯覚に陥った。
今まで聞いたこともないような地の底からわき上がるような低い唸り声に全身の毛が総毛立ち、再び腰が抜ける。そして近くからドサっという物音が聞こえた。
震える両手で上半身を支えるのがやっとで、この場から逃げるという選択肢すらもなくなるほど恐怖で頭の中が真っ白になった。だけど白い化け物の身体越しにチラチラ見えるソレから目が逸らせない。

「たかが人間相手に大人げないとは思いませんか」
『……何?』
「余裕ないですね、って言ったんですよ九 尾 殿」
『ダマれニンゲン!! キュウビサマになんというブレイなっ。そのクビカっキってくれるわ!』

洩れそうになる悲鳴を手で押し留める。
怖い怖いこわい怖いこわい。嫌だ。逃げたい。この場に居たくない。逃げるな。殺される。目を開けろ。死にたくない。さつきが。怖い。助けたい。

「おやおや、まさかの図星ですか? ふふ、それはそれは失礼致しました」
『キサマッどこまでキュウビサマをグロウするつもりだ!!』
「まさかそのようなつもりは毛頭ございません。それに私は喧嘩しに来た訳ではないんですよ。ただね、話し合いをしたいと思いまして」

この場に居たくない、だけどこの場に留まりたかった。
頭と身体が別々の行動を取ろうとする。頭の中はぐちゃぐちゃで、自分がしたいことが分からない。何をしたいのか――分からない。
感情が暴走し、自分の意志と関係無く涙が流れる。

「――桃井さつきさん、返してくれませんか」
『……何、ジャト?』

だけど八神の科白がばらばらだった頭、体、心を一つに繋ぎとめた。
違う。何をしたいかなんて一つだけだ。オレのすべきことなど初めから一つしかない。
流れっぱなしだった涙を拭う。

「桃井さんさえ返していただけるのであれば今までの事、目を瞑りますよ」

オレがこんなんでどうする。さつきはもっと怖い思いをしている筈だ。オレが逃げるわけにはいかない。決めたんだ。さつきを助けるって。さつきを生きて連れ戻す、って。しっかりしろ。
――逃げんじゃねえぞ、青峰大輝!!
目を見開き、勢いよく立ち上がる。そしてさつきを誘拐したと思われる奴をこの目に焼き付ける為、視界を遮るようにそびえ立つ白い化け物の背後から横に一歩退く。
だが目の前に広がる光景にすぐさま目どころか顔ごと逸らしたくなったのは言うまでもない。数え切れないほどの狐の大群が、今にも襲ってきそうな程目をぎらつかせてこっちを見ていた。
震える足に喝を入れる。
そしてその集団から一歩前に出た所に顔を伏せた状態で人間が立っていた。いや立っているのが本当に人間かは分からないが、ただ姿形は人間そのものだ。
そいつは小刻みに肩を揺らし低い、籠ったような笑い声を断続的に上げている。
ゾクリと悪寒が走る。

『クククク、ク、ハア゛ッ――ハハハハハハハ!!』

並んで立っていた筈の白い化け物がまるでオレ達を守るように一歩前に出、腰に刺さっている刀に手を伸ばしていた。
――いや実際守られているの、か。
確かさっきオレと緑間を守るとか何とか言っていた気がする。もしかしたらコイツ、本当はいい奴なんじゃ、と目の前の白に恐怖とは真逆の感情を抱き始めた直後含み笑いだったものが腹の底から出したような笑い声に変わった。そして白い化け物の背中越しにそいつの顔が見え、ひゅと喉から空気がもれる。
見た目は自分と同じ人間そのものだ。頭も体も手も足も、全てが人間だと物語っている、にも拘らず――オレの目には全く別の生き物に映った。いや違う。生き物どころかこの世のものじゃない。
人間という着ぐるみを被った化け物だと本能が叫んでいた。
響き渡る笑い声とは不釣り合いな程、夜道に浮かぶ金色の瞳は全く笑っていない。
喉の底から叫び出したい衝動に駆られるが、喉が痙攣し声が出せない。そして気を抜けば一瞬で抜けると断言できる腰を震える足で支えるのが今できる限界だ。
そう限界なのだ。オレはこの場に立っているだけで限界なんだ。それなのになんで――八神は平然と立って、平然と会話ができんだよッ。
明確過ぎるほどの殺意を向けられているにも関わらず、八神の体は、足はピクリとも震えていない。上から吊られているかのように真っすぐ立っている。
こんな状況で動揺すら見せない八神に恐怖にも似た感情がわき上がる。
普通じゃない。八神は――おかしい。

『戯ケ』
「何故ですか? 九尾殿にとっても、勿論こちらにとっても決して悪い話ではないはずです。その子さえ返していただけるのであれば穏便に済ませるって言っているんですよ?」
『黙レ――!!』
「ひぃ」

押しとどめられなかった悲鳴が指の隙間から漏れる。
咄嗟に後ずされば肩に何かぶつかり、小さい悲鳴を上げる。だがそれが緑間だと気づき、頭で考えるより先に咄嗟に緑間の背後に体を隠した。

「おい何をやっているのだよ青峰!」
「ア、アアイツヤベぇって! マジどうなってんだよッ。何なんだよ、アイツ。八神おかしいって!」
「青峰!!」

肩を掴まれ、前に引きずり出そうと引っ張られるが全筋力を使い今の場所を死守する。オレには刺激が強過ぎる。

『人間風情ガワシニ令スルトハ千年早イワ!』
「命令じゃなくてお願いですけどね。それにその方が――お互いの為だと思いますけど」

苛立ちを露わにする低い声とは裏腹に八神の声は変わらず冷静そのものだった。
八神の声に耳を傾ける。

「貴方もたかが人間の子供一人の為に大事な大事な狐達を失いたくはない、」
『ナラヌ!』
「…………」
『ナラヌナラヌ!! サツキハワシノ物ジャ! ワシノ許嫁ジャ! 貴様ニモ、誰ニモヤリハセヌゾ!!』

空気を震わせるほどの絶叫が轟いた。そして縋りつく緑間の身体もオレも震えた。
だけどしっかりと耳に届いた化け物の科白は到底容認できない。
さつきはお前のものじゃない。誰のものでもない。
さつきは――さつきのものなんだよ!

「それは……、こちらの要求は飲めないということですか?」
『笑止! 何人タリトモワシノ邪魔ヲスルコトハ許サヌ!』
「……そうですか」

勿論声には出さないが。声が出ないのではなく、あえて出さないだけだ。
そして気が抜けた隙をつかれ、緑間に引きずり出された。必要以上に強い力で掴まれた肩からよからぬ音が聞こえ、痛さのあまり抗議の声を上げようとした時、不意に八神の動きが目の端に映り、そっちの方に意識が移る。

「まあ、始めから話し合いでどうこうなるとは思ってなかったけどね」
『……ワシト、殺ルキカ』
「だってそれでしか桃井さんを助けられる方法はないもの――そうでしょ?」

八神の右手に長方形の白いものが握られている。

『ククク人間風情ガ――喰イ殺シテクレルワ!!』
「はは冗談は顔だけにして、」

殺すとまで言われているにもかかわらず意に介すことなく笑い声を上げる八神に目を剥き、そして次の瞬間八神の隣に、今まで誰もいなかったはずの場所に誰かが立っていた。

「ねえ――ナカムラさん」
『ほな始めよか』

白く長い髪を揺らすその人に目が釘付けになった。


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