とある少女の怪異録 | ナノ

52

「や、めろ」
「この際だからはっきり言わせてもらうけどさ、キミ達のそれは優しさでも、ましてや思いやりでもなんでもないからね」
「ち、が、オレ達は、さつきのため、にっ」
「さつきの為、さつきの為って馬鹿の一つ覚えみたいに言ってるけどさ、なにをもって桃井さんの為って言ってるの? もしこの場にいる事が桃井さんの為だと思っているのなら、そんなの思いあがりもいい所だよ」
「で、も、さつきの為に、なに、か」
「何か? 何かって何? なにも出来なかったから図書室に来たのよね? それで何かしたいって、言ってる事とやってる事が矛盾してると思わない?」

駄目だ。違う。オレ達は正しいのだ。止めろ。桃井の為なんだ。言うな。
呼吸が浅くなる。
オレ達は……、オレの選択は間違ってなど――。

「キミ達は所詮自分の行動に酔ってるだけなのよ」
「違う――ッ!!」
「自己満足って言葉、知って……ッ」

振り上げた手を振り降ろすのに迷いはなかった。
頬の感触が残る掌を握りしめ、俯く八神を見下ろす。

「八神、お前は言っていい事と悪い事の区別もつかないのか」
「…………」
「青峰がどれだけ桃井を心配しているのか、何故分かろうとしない。お前に青峰のその気持ちを否定する権利など一つもない!!」

俯いたまま反応を示さない八神に苛立ちが抑え切れず、八神の肩を鷲掴めば、間髪入れずに触るなと言うようにその手を払いのけられた。
目的を失い宙を舞う左手に、どうしようもなく胸が痛くなった。
そして顔を上げた八神は頬を叩いたにもかかわらず平然と、何の感情も籠っていないような瞳でオレを見上げた。その直後ゾクリと背筋に悪寒が走ったかと思えば喉元にナイフを突きつけられ、今にもそれで喉を切り裂かれそうな恐怖心を頭に、体に、心に一瞬にして植え付けられた。話すことはおろか呼吸することすら儘ならず、突然襲ってきた死という絶望に身体が震え、涙腺に亀裂が走る。
なにが起こったのだと考える余裕はなく、ただ『怖い』という感情だけが全身を支配していた。
帰りたい。もう嫌だ。怖い。
目を閉じ、それらを夢中で唱えていると、意識の外で小さな溜息が聞こえた。
それに誘われるように固く閉じていた目蓋を開けば、オレを見上げている八神の顔には先程までの無感情なものではなくどこか呆れを含んだ表情が浮かんでいた。そして次の瞬間、八神はまるで何かに対して止めるように言っているかのように徐に右腕を持ち上げた。すると今の今まで己を包んでいた憎悪の塊が瞬く間に消えていた。
思わぬ形で緊張が切れた事で足から力が抜け、その場に座り込む。

「悪いけど、キミ達の気持ちはわか――ッ」

リン

地面に視線を落とし、頭上から降ってくる八神の言葉に耳を傾ける。だが八神の科白が不自然に切れたかと思えば、続けて聞こえたのはハッという小さく息を呑む音そして、微かな鈴の音だった、気がする。
――いや、気のせい、か。
こんな真夜中に近い時間に鈴の音が聞こえるはずがない。大方風の音か何かと聞き間違えたのだろう。

「走って――――!!」

近距離から聞こえた突然の大声にビクリと肩が跳ねた。というかこんな時間に大声を出すなど近所迷惑もいい所だ。
八神の奴は一体何を考えているのだ、……いや違う、か。八神の考えている事など一つしかないではないか。芝居かがった事をしてでもオレ達を帰らしたい、その一点しか八神の頭にはない。
唇を噛みしめる。
八神という人間とは、どうあっても相容れないのだ。そんなこと始めから分かっていた、それなのに何故――自分は期待などしてしまったのだろう。
怒りとも哀しみとも分からない感情が胸の内で渦を巻き始めた直後、不意に気づいた。

「風が、」

風が止んでいる。
ついさっき、いや今の今まで冷たい風が肌を刺激していた筈。それが、不自然すぎるほどにピタッと止んでいる。そして冬の凍てつく空気とはまた別の寒さが足元からジワジワと全身を巡っていた。
だがその意味を考える前に己の意思とは関係なく二の腕が持ち上がった。
茫然と伏せていた顔を上げれば、切羽詰まったような、必死な形相で八神がオレの腕を引っ張っている。

「何やってるの緑間君! 早く立って!!」

リン

座ったままのオレに八神は更に声を張り上げ、オレの腕を掴んでいた手が肩手から両手になり、体重をかけグイグイ腕を引っ張り続けている。それがまるで本気でオレを立たそうとしているようで、まるで――オレの身を危惧していると言っているようで、どうしようもなく虚しくなり、八神の作りだす全てが偽りに、演技に、そして滑稽に思えてしょうがなかった。八神の科白が右から左へと通り抜け、どこか他人事のように聞いていたその時、頭の隅に残っていた冷静な自分が呟いた。
果して八神がそんなことをするだろうか、と。
己の知っている八神は建前なんていう回りくどい事など一切せず思ったままを行動に、言葉にする人間だ。それこそ先程のように自分が思うが儘に、鋭利なナイフで切りつけるように言葉を吐くのだ。そんな人間が態々芝居などという面倒を打つだろうか。答えは否だ。八神なら只管帰れと吐き続ける、もしくは物理的な行動に移す筈だ。
――ならば今コイツがやっている事はなん、だ。

「しっかりしろッ緑間真太郎――!!」

直接脳に届けと言わんばかりに耳元で大声を出され、堪らず顔を顰める。それと同時にあやふやだった思考がカチリと噛み合った。
グイと一際強く腕を引かれるままに腰を上げ視線を落とせば、八神がギンと睨みつけてきた。

「八神オレは……」
「いいからさっさと走れ!! ヤマダさん!」

リン リン

だが言葉を紡ぐより早く半ば突き飛ばされるように背中を押しだされ、己の意思とは関係なく八神の言葉に従うように近づいてきていたヤマダさんの前に足が一歩出る。
目が合ったヤマダさんは無言で頷き、血走った目を青峰へ向けたかと思えば隣から引き攣った声が聞こえた。そしてカンマ置かずに「ひぃいぃぎゃぁあぁ――!!」という何とも形容しがたい悲鳴とバタバタという荒々しい足音が夜空に響き渡った。
段々と遠ざかっていくそれに青峰が逃げ出した事を悟った、だが足がどうしても動かない。
青峰の後を追いかけたい、だが桃井も、と二つの間で板挟みになっていた。

「緑間様早くこちらへ!!」

視界から消えそうなほど遠くなった青峰の背中から八神へと視線を戻そうとしたが、ヤマダさんの声がまるで磁石であるかのようにオレを吸い寄せた。
己の不甲斐無さに堪らず悪態をつくも、動きだした足は止まらない。
――八神どうか、どうか桃井を……。
祈りを胸に八神に背を向け、ヤマダさんと共に青峰の後を追う。視界の端に淡い灯りが見えた気がした。

「青峰待つのだよ!」

神社を沿うようにして横に伸びる道を真っすぐ走り続ける。
暗闇に向かって叫ぶも、聞こえるのは己の足音だけで返事は返ってこない。
そんなの当たり前だ。バスケ部内、いや校内に置いてもトップクラスの足の速さを持つ青峰に本気で走られては、どうやっても追いつくわけがないのだ。
そう分かっていながら自分は何故馬鹿みたいに全力疾走をかましているのだろう、と己の行動に疑問を抱くも、直ぐにそんな疑問は消え去った。

「ヤマダさん先に行ってください! この先に公園がありますッ、もしかしたらそこにいるかもしれないのだよ!」

アイツとオレは今夜限りの運命共同体なのだ。だからアイツに勝手に船から飛び降りられたから困る、ただそれだけだ。
並行して走って、いや飛んでいたヤマダさんはオレの言葉に頷くと速度を上げた。
横道に入られたら最後、見つけ出す事は不可能に近い。だが今の青峰の心理状態を考えるとただ只管に真っすぐ走っている様子しか浮かばない。
そして走った距離を考えるとそろそろ公園に着く筈なのだが――なにか、おかしい。
公園は神社から道一本で、なおかつそれほど遠くもない場所にある。正確な距離は分からないが神社から徒歩で十分そこそこで着くことを考えると、オレ達の足で走れば四分とかからず着く筈なのだ。それが五分以上も全力で走り続けているにもかかわらず一向に公園が見えてこない。
ヒヤリと忘れかけていた寒さが背筋を走り抜けた直後、視界にぼんやりと白い影が映り、その知っている影に堪らず安堵の息がもれる。
速度を落とさぬまま近づけばその白い影は思った通りヤマダさんで、そして何故足を止めているのだろうと首を傾げる間もなくヤマダさんの背中に隠れるようにして立っている青峰の背中が見えた。
どうして道のど真ん中で直立不動で立っているのか甚だ疑問だが、何はともあれ青峰に追いついて良かったと胸を撫で下ろしそのまま足を進めれば青峰の向こうに、道の先に薄ら人影が見えた気がした。

リン リン リン

「な……で、だよ……」

そして聞き間違いようもないほどにはっきりと聞こえてしまった。

「どうして! なんで八神がいんだよ!!」

背を向けた筈の八神が暗闇の向こうで天を仰いでいた。
どうして。おかしい。なんで八神が目の前にいるのだよ。オレ達は確かに道をまっすぐに走っていた。横道になど入っていない。仮に無意識の内に入っていたとしてもこんな短時間で進んだ道の真逆から出てくる事など不可能だ。絶対にあり得ない。

リン リン リン リンリン

だが現実にその絶対にあり得ない事が今、己の目の前で起こっていて、鈴の音が狂ったように鳴り響いている。
普段なら何とも思わないその音が――心底恐ろしかった。

「あーどうしてこんな事に……」
「お、い……」
「あーもう! キミ達がもたもたしてるからこうなるのよ!」

震える足で八神に近づけば、射抜かんばかりの八神の視線を向けられその場に足が縫い付けられる。

「それと呑気におしゃべりしていた私にも非はあるけどね、ほんの少しだけど」

リンリンリンリンリンリン

八神の直ぐ近くにいるというのに八神の声すらも聞こえないほどに鈴の音は激しさを増し、それはもう音というより耳を塞ぐほどの騒音だった。
目を閉じ耳を塞ぐも鈴の音は一向に遠くならず、むしろ音が一層大きくなった気さえする。これ以上聞けば気が触れる、そう確信した。

リンッ――

そして止めと言わんばかりの音を響かせ、鈴の音が止んだ。不気味なほどにピタリと。
閉じていた目蓋をゆっくり開き、恐る恐る耳から手を離す。

「望み通り此処に居れば」
「……は?」

思考が正常に動きださぬ内に八神の声が耳に届き、口からはハイともイイエとも取れない一語だけがこぼれ出た。それが気に障ったのか何なのか、再び八神の視線が戻ってきた。
視界の端に灯りが映る。

「『は』って何。だってそれが望みだったんでしょ? というか終わるまで此処から出られないからそのつもりで」
「出ら……、え? 何言っ、て」
『凛様』

近くから聞こえた声に肩が跳ね、反射的に後ずさる。
するとドンと肩に衝撃を受け視線を背後に向ければ、いつの間にか青峰も直ぐ後ろに立っていた。だが青峰の視線はオレではなく、神社に向かって真っすぐ伸びる道の先へと向けられていた。それも戦慄に染まった表情で。

「……はあ、もう勝手にして。というかヤマダさん、貴方本当に優し過ぎるわね」
『有難うございます』
「まあでも――与えられた仕事はきっちりやれ」
『御意』

八神の科白の意味を考える前に動き始めた思考が、体の器官全て瞬時に停止する。
己の見ている光景が理解できない。信じられない。あり得ない。これは夢なのだと諭されれば即座にそうなのだと信じてしまう程に現実離れしていた。

「……ないから」

停止していた聴覚が音を拾い、吹いていない筈の風を感じた直後、八神の背中が前にあった。

「言っとくけど私はキミ達の命の責任まで――負わないからね」

無数の提灯が薄暗い道路を照らすようにぼわーと淡い灯りを放ち、その灯りの間を数え切れないほどの狐のような何かが列をなし此方に向かって歩いていたそして、目と鼻の先で歩みを止めた――。

「うぎゃあ゛あぁああ゛あぁあ――――!!!!」

そんな馬鹿みたいな大声を出しては通報されかねん、と微かに残っていた冷静な自分がまるで他人事のように頭の奥で青峰に悪態をついていた。


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