とある少女の怪異録 | ナノ

51

八神は視線を青峰に落としたままに「ヤマダさんもそう思うよね?」と背後に佇むヤマダさんに同意を求めるような科白を投げかけたが、ヤマダさんは肯定することも否定することもせず真っ赤に血走った目を真っすぐオレ達に向けているだけだった。そして八神も特別返事を欲しているわけではなかったのか、返事を得られなかった事に対し然して気にする素振りはみせない。

「ン、だよ、それ」
「待て青峰、」
「……全く、人の忠告を聞かないからそうなるのよ。というかよくそれで着いてくるなんて大口叩けたよね」
「なん、だよ、何なんだよ、それ。作りものだ、よな。オレを驚かそうとしてるだけなんだよな。そうだよなッ、な!! そうだって言え緑間――ッ!!」
「オレの話を、」

こいつ等端から会話をする気などないのでは、と思わざるを得ないほど青峰も八神も各々が好き勝手に口を動かしている。

「まあ、まだ失神してないだけマシだけど。緑間君、そこのビビり連れて帰って下さい――今すぐに」

それでもどうにか会話――と言えるのかは甚だ疑問だが、の中に入ろうと言葉をねじ込んでいると、ちらと八神の視線が飛んで来たかと思えば、八神は早くしろと言わんばかりに青峰に向かって顎を杓った。
こういった八神の反応を全く想定していなかった訳ではないし、図書室での怯え方からしてこの世のものではないものと対面した時の青峰の反応もそれなりだろうとは思ってはいたが――如何せん此れから起こることを想像すると、この青峰の反応にはどうしようもなく不安を覚えるのだよ。
確かにヤマダさんの風貌は身が竦むほど恐ろしいし、信じられないと声が涸れる程泣き叫びたくもなる、恐怖で頭が真っ白になり現実から目を背けたくもなるし、この場から一刻も早く逃げ出したくなる気持ちは心の底からよーく理解できる。理解はできるのだが真っ青な顔で今にも流れそうなほどの涙を目尻に溜めこみ尻を引きずり後ずさる青峰に、やはりこの場に来たのは間違いだったのではないかという思いが育ってきたのは否めない。勿論青峰もそれなりの覚悟を決めて来たのだとは思うが、その覚悟が早くも粉々に砕け散ったのは誰の目にも明らかだ。

「青峰落ち着け。ヤマダさんは味方なのだよ」
「ヤマダって誰だよ!? てかなにアホなことぬかしてんだよ緑間ッ、テメぇが落ち着け!!」
「だから、」
「何だよその刀! ヤバい、ヤバいって! 殺される!!」
「話を、」
「マジ何なんだよッ! オレ、まだ死にたくねえ、よ、ヒィイイイィイイイ――!!」

駄目だコイツ――全く人の話を聞いちゃいないのだよ。
完璧に落ち着けとは言わないが、話ができる位には冷静になってもらわない事には埒が明かない。あの時の自分はどうやって落ち着きを取り戻したのか思い出そうとした時、青峰の口から数ヶ月前に胸の内で叫んだ科白がそっくりそのまま出てきたかと思えば、続けざまにこれまでで一番の奇声を上げ身を震わせた。何事だと目を見開く青峰の視線の先を辿れば、八神の斜め後ろに控えていたヤマダさんが地面を滑るようにして、いや正確には地面から少しばかり離れた宙を飛んで此方に向かって来ていた。青峰の悲鳴も納得だ。
そしてふと、あの時自分がどうやって冷静になったのか記憶が蘇ってきた。

『お久し振りで御座います緑間様』
「あ、ああ、まさかまたこうして会うとは思わなかったのだよ」
「ちょ、みど、な、にッふつ、かか会話してんだよ!!」
『お初にお目にかかります青峰様、私ヤマダと申しま、』
「ぎゃぁああ死ぬ! 呪い殺されるぅうう!!」
「帰って」

あの時オレは落ち着きを取り戻したのではなく、八神に見えない何かの力でその場に縫い付けられた挙句、有無を言わさず強制的にヤマダさんと行動を共にさせられただけだった。今思い出しても、自分はよく気を失わずにいられたと感心する。
――まあ実際、尋常でないのはヤマダさんではないがな。
寧ろヤマダさんはその尋常でない思考の持ち主とは似ても似つかないほどまともな式である事は会話の端々から窺い知ることができた。それだけに外見で損をしているヤマダさんには同情してしまう。もう少し柔らかい表情をしていればと考えるも、それはそれで恐ろしさが増すだけだという考えに行き着き、考えるのを止めた。
そして八神は死ぬ死ぬ叫びまくる青峰を迷惑そうに見下ろしたまま、間髪入れず何度目かの帰れを言い放った。

「忠告を聞かずに来たのは悪いと思っているのだよ、だがオレ達は本当に桃井のことを思って、」
「は、思って? 今、思ってって言った?」

まるで「冗談でしょ」と言わんばかりに「思って」という言葉を繰り返す八神に眉間に力が入る。

「私言ったよね、キミ達がいると迷惑だって。キミ達がいるだけで桃井さんの生存率がぐーんと下がるって。だから家に居ろって――言ったよね?」
「だがッ」
「それを聞いた上で、桃井さんを“思って”此処に来たんだ」

八神は「へー、そっかー」と呟きながら、あたかも背後にいる誰かに話しかけるように斜め後ろの何もない空間に視線を向けた。

「私、緑間君はもっと賢い人だと思ってたんだよ。だけど買い被り過ぎだったみたいだね」

「残念」と視線を戻さぬままそう言った八神に、何か反論しなければと口を開くも思うように言葉が出てこない。
何か、何か言うんだ。オレ達は間違っていないと。お前に青峰のなにが分かるんだ、と。言え。間違っているのはお前だ。オレ達は――。

『凛様、私がお二人の盾になりましょう』

だけどそれらが言葉になって口から出てくる前に思いがけないところから助け舟が入り、開いた口そのままに顔ごとヤマダさんに視線を向ける。ヤマダさんの視線は真っすぐと主人に向かって伸びており、ちらと横目で八神の様子を窺えば、八神の顔は驚愕という色に染まっていた。
八神もヤマダさんの科白は寝耳に水だったらしい。
だがその表情も次第に失われていき、遂には不愉快だと言わんばかりに八神は顔を歪めた。
目の端で青峰が顔を上げたのが見えた。

『ですからお二人を、』
「ヤマダさん、なに馬鹿なこと言ってるの。ヤマダさんの今回の仕事は盾じゃなくて矛だって伝えたよね? この二人見ながらどうやって矛になるつもりなのかな」
『……御意』

式の言葉なら少しは考え直してくれるかもと微かに希望を抱いたが、八神はどこまでいっても八神で、ヤマダさんの厚意すらその胸に届くことはなかった。
八神の中にはオレ達をこの場に残しておくという選択肢は皆無だ。それは即ち本当に――八神の言葉を疑っていた訳ではないが、オレ達が此処に留まるのは危ないという意味だろう。もしかしたら、いやもしかしなくともオレ達は八神の言う通り帰った方が良いのかもしれないとふと思ってしまった。
――というか青峰の今の状態からしても足手まといになるのは避けられないのだよ。

「そういう事だから大人しく帰ってくだ、」
「何度言われてもオレは帰んねえぞ――!!」

『帰る』という二文字が脳裏にちらつき始めたが、青峰の絶叫がその膨らみ始めた諦めを吹き飛ばした。
そうだ。今更なにを考えているのだ。オレは覚悟を決めこの場に来たではないか。帰れと言われ、おいそれと帰る訳にはいかない。
――そうだろ、青峰。
立ち上がった青峰に視線を向ける。

「どの口が言ってんのよ、青峰君」

生まれたての小鹿がそこにいた。
立っているのがやっとというくらいに足をガクガク震わせる青峰に、八神は何言ってんのと言わんばかりの科白を吐き、また呆れたように溜息を吐いた。

「いい加減私の言う事を聞いてよ、」
「さつきがッ!!」
「…………」
「さつきが心配だって言ってんだろ! オレ達はアイツのことを思って、さつきの為に此処に来たんだよ! それでなんで居ちゃいけねえんだよ――!!」

声を張り上げ、必死に思いをぶつける青峰に感情が込み上げる。

「あのさ、キミの顔の横についているそれ、何? ただの飾りなのかな?」

だけど八神からはまるで馬鹿にしているとしか思えない科白が返ってきただけだった。八神には青峰のその精一杯の思いですらもただの言葉の羅列にしか聞こえていないのだ。

「それにしてもさっきから『心配』だの、『思って』だのって聞こえるけど、私の聞き間違いじゃないよね?」
「は……」
「もし本当に桃井さんの身を案じているのなら、今この場にいる筈がないよねって言ってるんだけど、その意味――分かる?」

八神は一体何を言っているんだ。それではまるでオレ達が間違っていると……――違う、違うッ、オレ達は間違ってなどない! だがもう一人のオレが囁く、本当に、と。オレ達は桃井が心配で、何もしないでただ待っているのが嫌で、だからこの場に来たのだ。本当にオレ達が間違っていないと言えるのか? それがなんで分からない。何故分かろうとしない。オレ達は本当に――正しい事をしているのか……?
八神はやれやれと言わんばかりに首を左右に振り、ゆったりとした足取りで青峰の元へ向かい、青峰が手を伸ばせば届く位置でピタリと足を止めた。

「キミ達の行動は全然、これっぽっちも桃井さんの為を思ってないってこと」
「そんなことねェ!!」
「心配だから来た? なにそれ、ちゃんちゃらおかしいわ、ヘソで茶が沸かせそう」
「は……」

下らないとばかりに鼻を鳴らした八神に心臓がバクバクと音を立て脈打ち、サーと血の気が引いたかのように指先が冷たくなる。
青峰を仰ぎ見るその横顔は変わらず不快感しか浮かんでいなかった。そして八神の口が再度開かれるのが見え、ドクンッと心臓が大きくはね、無意識に足が動く。
言うな。やめてくれ。


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