とある少女の怪異録 | ナノ

50

閉じていた目蓋をゆっくり開き、壁にかかる時計を一瞥する。長針が指す数字を確認し、覚悟を決めるよう深く息を吐き、ベッドから腰を上げる。
机の上に置いてあるラッキーアイテム二つを手に取った後足音を立てぬよう部屋を横切り、慎重にドアを開ける。規則正しい生活を送る家族が真夜中も差し迫るこんな時間に起きている訳がないと思いつつも首から上だけ廊下に出し、家の中で物音がしないか確認する。シーンと静まり返る廊下で己の些か速い息づかいがやけに大きく聞こえる。
後ろ手にドアを閉め、抜き足差し足と泥棒のような足取りで廊下を進み、一段一段確実に階段を下りていく。
音一つ立てることなく無事に玄関に辿り着き、履きなれた靴に足を入れ、解けないようきつく靴紐を結ぶ。そして屈めていた上半身を起こし、鍵を開錠しドアハンドルに手を伸ばす。
後ろめたい事など一つもないと胸を張って断言できるが、こんな夜中に黙って家を抜け出すのは両親に対しての裏切り行為な気がして罪悪感で胸が締め付けられる――だがそれ以上に。
ドアハンドルを握る手に神経を集中させ細心の注意を払い、扉を押す。少しずつ開かれていく扉の隙間から外の空気が玄関に流れ込み、その空気の冷たさに思わず身震いする。

「ごめんなさい」

――桃井のことが心配なのだよ。ついでに青峰も。
謝罪の言葉を玄関に残し、開いた時同様音を立てぬよう慎重に扉を閉め、鍵穴に鍵を差し込む。カチャという施錠音を確認し、扉に背を向ける。
進行方向に足を向け、街灯が照らす夜道を進みながら再度時間を確認すれば予定していた時間より遅れている事に気づき、少し慎重になり過ぎたと小さく舌打ちし足を速める。
普段と同じ公共交通機関を使うのならそれほど問題ではないが、今回は徒歩で帝光に行くつもりだ。初めて徒歩で行くわけではないが、如何せん道中で何があるか分からない。
ただそれも杞憂だったようで、何事もなく目的地まで残り三分の一といったところまで来た。だが目的地が近づく程に、進む足取りが段々と重くなっていく。
月明かりのない夜道に一人分の足音が響く。
青峰の気持ちも、言ってることも共感できた。それに桃井はオレにとっても大切な仲間で、だからこそオレは手を貸した。自ら船に乗った。それでも――桃井を心配だという気持ちに偽りは一つもないが、果してこの選択が正しいことだったのか自答自問が止められない。

「死ぬ、か……」

白い息と共に図書室での八神の科白が口をついて出ていた。
もし仮に八神という人間を知らなかったとしたら何の冗談だと鼻で笑い、悪い冗談は止めろと嗜めただろう。そして何の躊躇もなく青峰に共感しただろう。
だがオレは八神がどういう人間なのか、どういう考えをもった人間なのかを身をもって知っている。だからアイツが脅しや、ましてや冗談で死という言葉を使うとは思えない。いやもしかすると多少膨張して言ったのかもしれないが、それでも奴の言葉に嘘はない筈だ。そしてそれは同時にオレ達が居る事によって桃井に危険が及ぶというのも否定できないということで。
オレだって分かっているのだ、自分は青峰を止める立場にいるべきなのだと。止めなければいけないと。恐らく八神もそれを望んでいた。だからこそアイツは敢てきつい言葉を吐いたのだ。
――いや違うか。八神が他人を思って言葉を選ぶ筈がない。
あれは紛うことなき奴の本心だ。そしてそう知りながらオレは青峰側についた。アイツの目が、青峰の目が桃井の無事を強く願っていたから。
オレには青峰の意思をつき返す事など出来なかった。青峰に手を貸す事こそが己の中にある最良の選択だと思ったのだ。
そうだ。オレは決して間違った選択などしていない。八神は足手まといだと決めつけていたが、きっとオレ達にだって出来る事があるはずだ。
コートのポケットに視線を落とし膨らみに手を添え、雑念を振り払うように頭を左右に振る。
大丈夫だ。
――己の選択を信じるのだよ。
視線を前へと戻せば、薄暗い校門前に人影を確認した。

「……よう」
「ふん、珍しいこともあるのだな」
「うっせ」

待ち合わせ時間までまだ十分以上もあるというのに青峰が校門前に立っていたことに瞬きの回数が多少増えはしたが、そこまで驚きはなかった。
――というかこんな時に遅れてくる方がどうかしているのだよ。
そしていつものように軽口を叩き合うがそのやり取りがどことなくギクシャクし、流れている空気もどこか重苦しく感じるのは間違いなくこれから起こる未知の事への不安や恐怖からだろう。
一度体験しているオレですらそう思うのだから怖がりの――本人は否定しているが、青峰は逃げだしたくてしょうがないと思っていても何ら不思議ではない。
それはいつにも増して饒舌な青峰を見れば一目瞭然だ。理由は、何かしていなければ恐怖や不安といった負の感情に飲み込まれてしまう、これに尽きる。
横目でチラと青峰の顔を確認し、そしてそのまま足元へ視線を落とす。カクカクとぎこちなく足を動かすその様に同情せざるを得ない。
――いやオレも人のことを言える立場ではないがな。
多分自覚がないだけで傍から見れば、オレの歩き方も十分ぎこちないだろう。
足音と青峰の話し声をBGMに足を進め、そして角を曲がった途端ピタリと無駄話が止まったかと思えば程なくして息を呑む音が聞こえた。
真っすぐ伸びる道の向こう、月が隠れているせいでぼんやりとしか認識できないが暗闇の中に確かにシルエットが浮かび上がっている。
足を止める青峰に立ち止まるなと肩をぶつけ、待たずに先を行く。
一歩、また一歩と足を進めるごとにはっきりとその全体像が鮮明になり、道の両端に隙間なく立ち並んでいた家々がぱたりと途切れ、そしてタイミングを図ったかのように雲が晴れ今まで姿を隠していた月が鳥居を照らし出した。
同じように鳥居を見上げていた青峰の喉が大きく上下したのが目の端に映る。

「お、おい、本当に此処で、いいのかよ」
「……分からないのだよ」
「八神居ねえぞッ」
「…………」

月に照らされた赤が不気味で、昼間とは真逆の印象を受けるが、そのあまりの異様さゆえか鳥居から目が離せない。
まるで誰も、いや許された者しか通さないとばかりにそびえ立つ真っ赤な鳥居に朧げだった可能性は確信へと変わった。
ゴクリと唾を飲み込む。
――此処だ。此処で間違いないのだよ。
そしてその確信は、鳥居の向こうからゆっくりとこちらに近づいてくる人影によって確実なものへとなったのだが、不思議な事にその人影は一つではなく、二つ。それも一つは影だというのに大分存在感を放っており、というか白い。ぼやーと白いのではなく、真っ白だ。
脳裏にあの時の白が浮かび上がると同時に、数メートル先で目を見開いた八神が立ち止まり、その背後には前回行動を共にした式――ヤマダさんがひっそりと佇んでいた。いや顔面的にはひっそりではないが。
相変わらず恐ろしい面構えだと身震いしていると、隣からドサッという物が落下したような音が聞こえ頭を回せば、青峰が尻餅をついていた。そして顔は恐怖に凍りついていた。
目はこれでもかというほど開かれ、口からは言葉にならない音だけが断続的に漏れ出し、見て分かるほど体全体が震えてもいる。
今の青峰はあの時の自分とぴったり重なり、何とも居た堪れない気持ちになる。
だがこうしてる間にも時間は刻一刻と過ぎていて、何か言わなければと青峰から八神へと視線を戻す。八神の顔にはもう驚きの表情は残っておらず、代わりに顔全体で不快感を露わにしていた。

「自分が何してるか分かってるの、ねえ」
「う、あ」
「八神、オレ達はッ」
「はは、最悪だね、ホント」
「あ、あ……」
「桃井が心配で、」
「それにコレ誓約違反だからね」
「八神聞いてく、」
「煩い、何も聞きたくない。ペナルティは後でゆっくり下すから兎に角今すぐかえ、」
「うぁああぁああ――!!」
「うるッ、さ!」

あまりの煩さに堪らず両手で耳を押さえる。八神も迷惑甚だしいというように顔を歪め、青峰を見下ろしていた。そしてその元凶である青峰はまだ腰が立たないにも拘らず尻餅をついた場所から数メートル程移動していた。今も尻を引きずるようにしてジリジリと後退している。
すると「はあ」と心底呆れたというような溜息が聞こえた。

「だから言ったのに、馬鹿じゃないのキミ」


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