とある少女の怪異録 | ナノ

49

時間にすればたった数秒の間だったが、体感時間はその倍以上に感じられた。赤司の口からどんな科白が出てくるのか戦々恐々しながら口元を凝視して入れると、閉じていた唇がゆっくりと開かれる。ふーと息を吐き緊張で強張る肩から力を抜き次の尋問に備えるも、赤司の口が開ききる前に背後から咆哮ともとれる怒号が聞こえ反射的に背筋がピンと伸びる。
振り返らなくともその声の持ち主が誰だか分かってしまった。
そして今の今までオレに向いていた赤司の視線はオレを通り越しどこか遠くを向いていて、それは赤司の後ろにいる青峰も言わずもがな。
――いや、違う。オレは赤司の口元ばかり注視し、赤司の視線が何処を向いていたのかは分からない、がきっと赤司のことだ。声が聞こえるより早く彼の存在に気づいていた筈だ。
そろりと首を後ろに捻れば、想像通りの人物が遠目からでも見て分かるほどの満面の笑顔を浮かべ体育館の入口に立っていた。
もしかすると赤司は、オレ達の言葉に反応を示した訳ではなく彼の――虹村主将の存在に気づき表情を動かしただけだったのかもしれない。いやきっとそうなのだよ。
そもそもあの程度の言葉で赤司が揺さぶられると思ったのが間違いなのだ。
――まあいい。
「何かあったのかもしれない」という疑念を深めてしまったものの、所詮は「かもしれない」という可能性の域だ。これ以上詮索されなければ何ら問題はない、はず。そして練習中も追及される心配もしなくていい、と思う。
小さく溜息をつく。
取りあえず今考えるべき事は虹村主将の怒りの矛先が何処に向いているかだ。
ロボットのように同じ側の手足を同時に出しながら歩く青峰を横目にいつの間にか歩きだしていた赤司の背中を追う。
無断で練習を抜け出したならいざ知らず、オレは青峰の容体を確認するという大義名分のもと主将の許可を得て練習を抜けた。様子を見てくるというには少々時間を要し過ぎた気がしなくもないが、理由を考慮すればまだ許容範囲内だろう。
そしてふと、まだ青峰とそれに関し口裏を合わせていない事を思い出したが、一足先に着いた赤司と言葉を交わしている主将の表情がいくらか落ち着をみせた為、余計なことを言わなければすんなり練習に合流できる気がする。赤司が主将に事のあらましを話す可能性も捨てきれないが、確証がない以上無闇に他言するとは思えない。それに青峰も馬鹿正直に説明などしないはず――だが。
ちらと横目で青峰を見れば、最近のロボットの方が滑らかに歩いていると思わざるを得ないほど不自然極まりない歩き方をしている。
あからさま過ぎる青峰の態度に伝えた方がいい気がしてきたがもう主将達までいくらも距離はなく、下手に話しかけるよりこのまま横を通り過ぎるのが賢明だと判断し、練習を抜けた事への謝罪を一言添えながら入口のど真ん中で向かい合う二人の横を通り過ぎる。
主将は一旦赤司との会話を切りオレ達に視線を向けたものの、「大丈夫か」の一言を投げかけられただけだった。
心配そうな眼差しで青峰をみる主将に良心がチクリと痛んだが、「みたいです」と返事をし、直ぐにその場を離れる。
転がっているボールを手に取りながら体育館を見回し、監督もコーチもまだ席を外している事に安堵の息を漏らす。そして何事もなかったかのように練習の輪に加わろうとした時、ガツンッと固い物同士が接触したような音が体育館に響いた。
なんだ、と音の出所に目を向ければ、後ろにいるとばかり思っていた青峰が頭を押さえながら入口で蹲っていた。
――青峰に期待したオレが馬鹿だったのだよ。
やはり口裏は合わせておくべきだったと痛感させられた。
だが幸いなことにバレたのは練習を抜けたのは腹痛だったという作り話だけで桃井の事はバレてない、と痛みから復活し練習に参加した青峰に教えられた。殴られたであろう後頭部を摩りながら「前もって言えよ」とぶつぶつ文句を言われたが、当然聞き流した。そして幸いなことにオレへのお咎めはないようだった。

練習に身を投じつつも今夜のことを考えては暫し手が止まり、その度に虹村主将の檄が飛んでくる。青峰の所にはオレ以上に飛んでいるが。
ただ飛んでくるのは檄だけではなかった。
思った通り練習中は話しかけられることはないが、赤司が虎視眈々と機会を窺っていることは背中に刺さる視線からありありと分かる。
途中青峰に練習終了後の行動について伝えたが、此れといった異議を唱えられることはなく後は時間が過ぎるのを待つばかりとなりそして、練習終了のホイッスルが体育館に鳴り響いた。
コーチが連絡事項を話す前からソワソワと落ちつかない青峰の態度に溜息が出る。
――馬鹿が。
その青峰の様子に赤司のみならず、他のメンバーも怪訝そうな目でチラチラ青峰を見ていた。黒子に話しかけられ、身振り手振りで何かを話している青峰にまた溜息が出たのは言うまでもない。
そして間もなく解散の合図が出され、それと同時に出口に向かって走りだした青峰に体育館にざわめきが走る。あの青峰が、と口々に囁き合っている。

「オイ緑間。あいつマジで腹の調子悪いのか?」
「……ええ、みたいです」
「……そうか」
「ではオレも失礼します」
「おう……、……ってはぁぁああ――?!」

喉の奥が見えそうなほど大きく口を開いている虹村主将に軽く頭を下げ、背を向ける。
青峰ほど急いだ素振りを見せず、かといってゆったり歩かず、そこそこの速さで体育館を後にする。
――赤司に捕まる前に部室から出なければ。
そうして部室に着けば、既に着替えを終えた青峰が肩に鞄をかける所だった。

「おっせーよ」
「お前こそあからさま過ぎるのだよ」
「るせッ」

ロッカーを開け、手早く着替えを済ましていく。
本来なら保護のため直ぐにでも指にテーピングを巻きたいところだが、そんな時間があるとは到底思えない。仕方ないとは言え、指がどうにも落ち着かない。
「早くしろ」と十秒ごとに飛んでくる青峰の科白に苛立ちを覚えつつ、カッターシャツのボタンを留める。ブレザーを着込み、その上にコートを羽織る。そしてマフラーを巻けば準備は万端だ。
青峰はさっさと行くぞとばかり背中を向け、ドアノブに手を伸ばした。

「十一時半、正門前。時間厳守だぞ青峰」
「おう」
「一秒でも遅れたら置いていく」
「わーってるよッ」

後ろ手で扉を閉めながら右、左と廊下の先に視線を向ける。
絶対追かけてくるとばかり思っていた赤司がいない事に不審を抱きつつも、来ないのならそれに越したことはない。ホッと胸を撫で下ろし、青峰の後を追う。
「たくっ何度もうっせーよ」と前を行く青峰からぶつくさ文句が聞こえるが、念には念を押したい。
――いくら青峰でも遅れてくるとは思わないがな。
下駄箱に向かう途中、桃井の荷物のことを思い出した青峰と共に保健室に寄る。幸い鍵は開いており、そして何故か保険医の姿もなく余計な詮索をされること無く荷物を回収する事ができた、がそこでふとまだ問題が残っている事に気づいた。それも大分深刻な。

「桃井の家族にはなんと説明するのだよ。行方不明など警察沙汰もいいところだぞ」
「んああ、それは大丈夫だぜ。今日アイツん家誰もいねェから」
「……誰もいないとはどういうことだ」
「アイツん家の父ちゃん単身赴任?っつーので今家に居なくてよ、そんで今日おばさんがおじさんに会いに行くって母ちゃんから聞いた。帰ってくるのは明日の昼頃とかって言ってたぜ」

運がよかったと言っていいべきか悩んでいると、並んで歩いていた青峰の足が止まっていた。如何した、と青峰の顔を見れば、目を見開き驚愕といった表情を浮かべている。
――来ないわけはない、か。
青峰の視線の先には、此処から先は通さないと言わんばかり廊下のど真ん中で仁王立つ赤司の姿があった。

「緑間、青峰、自分たちが何をしているのか分かっているのか」
「練習は終わった筈だが? 何か問題でもあるのか」
「はぐらかすな緑間。お前達は一体何をやろうとしている」
「だから、」
「それは桃井の荷物と、上履きだな?」
「…………」
「何か良からぬことに首を突っ込んでいるのではないのか? それとも、」

不自然に言葉を切った赤司に眉を顰める。
何を勿体つけているのか。
もうこの際だからはっきり言ってもらいたい。そして改めて全てを否定しよう。

「――八神、という人物にでも唆されたか?」

想像だにしていなかった科白の続きに、堪らず目を見開いてしまった。
――赤司は一体何処からオレ達の会話を聞いていた。
そして横にいる青峰までもが同じように露骨に反応したことで、赤司の中に八神という人物が何らかの関わりを持っているということを植え付けてしまった。ただ不幸中の幸いなのは、赤司は名字を知っただけで八神がどういう人物、いや恐らく学校の関係者ということも知られてはいないはず。
その証拠にオレ達の背後ではまだなにも起きていない。

「誰だ、それは。聞いたこともないのだよ」
「それはおかしい。なあ――青峰」
「えッ、あ……」

オレでは口を割らないと判断したのだろう。赤司の視線が隣の青峰に移った。
もう取り繕えないほど動揺している青峰に頭を抱えたくなったが、ここまできて赤司に全てを話す訳にはいかない。
――知られてしまう訳にはいかないのだよ。
止めていた足を動かす。

「いい加減しつこいのだよ」

目を合わせぬまま赤司の横を通り過ぎる。
二人分の足音が廊下に響く。

「何故話してくれない。オレでは不満か、なあ緑間」
「…………」
「何故相談してくれない。オレでは力になれないのか、なあ青峰」
「…………」

遠くなる赤司の声にそっと瞼を閉じる。
赤司が興味本位で言っているのではなく、ただ純粋にオレ達のことを心配して言ってくれているというのは分かっている。
だからこそ青峰も、オレも何も言わない。いや言えないのだ。
赤司を、関係ない人間を巻き込みたくない――それだけだ。
閉じていた目蓋を開く。

「……さない」

微かに声が聞こえたが振り返ることはしなかった。




「これ以上部の規律を乱すことは――許さない――」


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