とある少女の怪異録 | ナノ

45

どうも青峰君は私の肩を涙を拭く場所かなんかだと勘違いしているらしい。
まさか二日連続で肩を濡らされるとは思わなかった。確かに身長差的に頭を乗せるのに丁度いい位置にあるのだろうけど、知りあって間もないというか、ほぼ初対面の他人という位置づけにいる女の子の肩を使うのは如何なものかと。いや例え気心知れた友人であったとしてもどうかと思うけど、と肩を小刻みに震わし、噛み殺したような嗚咽を漏らし続ける青峰君に痛切に思った。そして肩がじんわりと生温かい感触に包まれたその時不意に――本当に突然に、羞恥心というものが舞い降りた。瞬間湯沸かし器の如くカッと顔に血が集まる。
何故か急に自分がもの凄く恥ずかしい事をしているのだと自覚した。というか今の今まで男子と密着しているにもかかわらず平常心でいた自分がどうかしていただけなのだ。
胸の内側には心臓ではなく、和太鼓が入っているのかと思う程心臓がドコドコ煩い。そしてこれだけ密着しているのだから青峰君にも私の心臓の音が聞こえている筈と考えてしまい、更に心臓の運動が活発化した。なんという悪循環。静まれ私の心臓。
顔が熱くてしょうがない。
如何にか熱を冷まそうと適当に浮かんだマントラを空で唱え始めた所でヒンヤリとした空気に首筋を撫でられ、ひゅと喉から空気は漏れる。油がキレたブリキ人形のようにギギと首をゆっくり右へ回せば赤い炎ならぬ青い炎を身に纏うヨリが何とも形容しがたい表情で真っすぐこっちを射抜いていた。しかも普段はストンと落ちている艶やかな髪がまるで生き物のようにウネウネと宙を舞っている。
お陰で羞恥心なんてものは一瞬にして冷めたが、あまりにも代償が大き過ぎる。青峰君だけに矛先が向けられるなら未だしも、何故か私までもが殺気の射程圏内に入っていた。
とばっちりにも程がある。
僅かな隙間を縫うように腕を差し込み、手を突っぱねる。

「取りあえず、これ、サインして」

青峰君は思いの外簡単に離れてくれた。そして机の脇に落ちている誓約書を拾い、俯いている青峰君の前にかざす。そうすれば青峰君は僅かに顔を上げ、のっそりと手を伸ばし無言で誓約書を受け取った。
難しい顔で誓約書を読む青峰君を尻目に、引きっぱなしだった椅子の上にドカっと腰を落とす。まだ何もやっていないにもかかわらず一仕事終えたような疲労感が身体を包みこむ。
怒メーターが振り切れているヨリは放って置くことにした。

「おい八神」

何やら震えた声で名前を呼ばれ、呼んだ張本人を見れば緑間君も青峰君同様何やら難しい顔を作っていた。
――え。なに。まだ何かあるの。
まるでまだ何か厄介な事があるとでもいうような表情を浮かばせる緑間君に顔が引きつる。
これ以上はちょっと勘弁して欲しい。

「ここ、何かいるのではないか?」
「……は?」
「先程から嫌な視線を感じるのだが、というか寒いのだよ」

そう言いながら腕を摩る緑間君に「何だそんなこと」と思わず出ていた。途端、何だとはなんだという勢いで緑間君の眉間に皺が形成された。

「前、式の中には普通の人は見えない式がいるって言ったこと、覚えてる?」
「……ああ」

「それがここにいてね」と右後ろを指でさせば、青峰君が見事な瞬発力を発揮し、一瞬で数メートルもの距離をとった。そして離れた所でまたしても身体を震わしている。心なしか顔から血の気が引いている気もする。

「う、ううう嘘ついてんじゃねえよ!」
「いや嘘じゃないから」

ただ、ヨリが居るという証明も出来ないのは確かで、こればっかりは実物を見せて説明の仕様がない。
――にしても。
質問してきた緑間君より青峰君の方が酷く怯えたようにみえるのはただの気のせいかしら。

「青峰君キミ――怖いの?」
「ば――ッ、こ、怖くねえよ」
「あ、今青峰君の隣に」
「ぎゃあ――――!!」

それは嘘だけど、と伝えれば睨まれた。涙目で睨まれても怖くはないけど。
一先ず「ゴメン」と謝り、ペンを渡す。
中々受け取らない青峰君に痺れを切らし、別に何の仕掛けもないからさっさとサインしてとペンを押し付ける。

「そこに書かれた誓約は必ず守って、と言っても青峰君に守って欲しいのは最初と最後から二番目だけだから」

青峰君は微かに眉を顰めたものの何も言わず、誓約書にペンを走らせてくれた。
そして青峰大輝とサインされた誓約書を受け取る。
それを丁重に鞄の中に仕舞い、緑間君に視線を向ける。

「依頼料の方だけど、今回は五千円ね」

些か高いと感じるかもしれないが、式を二体使用する以上そこは目を瞑って欲しい。だけど緑間君は文句一つ、嫌な顔一つせずに財布から五千円札を取り出した。
緑間君の事だから高いだ何だとイチャモンをつけられるかと思ったけど、うん良かった。
余計な事は一切口にせず、「確かに」と差し出された五千円札を納める。

「じゃあもう帰る、」
「どこに集合すればいいんだ?」
「……うん?」

当初の予定では受け取るものを受け取った後緑間君達を追いかえして読書タイムとしけ込む気でいたが、今は一刻も早く家に帰りたい。そしてスズキを〆る。八つ当たりだと非難されようが取りあえず〆る、と意気込みのまま踏み出した足が床にぴたりとくっ付く。
あれ。今、とんでもない質問が飛んできた気がしたけど、聞き間違いだよね。いや幻聴かな。だって私言ったよね、助けるのは至難の業だって。確かに言ったよね。
そんな状況下で足手まといにしかならない人間を連れて行く奴が何処にいる。
うんうん。気のせいだ。
そう自分に言い聞かせ青峰君をチラと見上げれば、青峰君から再度「何処だ」という質問が飛んできた。聞き間違いにしようとした私の計画が台無しだ。
それにしてもなに頓珍漢な事言ってやがるんでしょう、このすっとこどっこいは。

「馬鹿な事言わないで。私言ったよね全部がギリギリだって。戦力になるならまだしも速攻失神しそうな足手まといは必要無いの」
「でもッ」
「でもじゃないから。青峰君キミさ、少し軽く考えてるんじゃない?」
「ちが、」
「もう一度言うよ? ギリギリなの、崖っぷちなの、チャンスはこの一回しかないの。これを逃せば桃井さんとは永遠にお別れ、分かる? 邪魔にしかならないキミが居るとそれだけで桃井さんの生存率が下がるの」

キツイ言い方をしているというのは重々承知しているけど、こうでも言わないと青峰君は確実に着いてくると思う。それに多少なりとも酷い言葉を投げつけたと言うのに緑間君が口を挟んでこない事を考えると、緑間君も私と同意見なのだろう。まあそれが普通なんだけど。
だけど青峰君の表情は已然と変わらず、目で訴えてくる。連れて行け、と。
うーん。ここまで言っているのに青峰君は何を考えているんだか。もしかして連れて行きたくないが為の口から出まかせとでも思われているのだろうか。

「兎に角青峰君を連れていくことはできません」
「ちッ」
「舌打ちしたって駄目なものは駄目」

「無理」と顔の前でバッテンを作る。
チラと腕の隙間から青峰君の表情を確認し、溜息を吐く。
――駄目だこりゃ。

「どうしてそこまで着いてくることに拘るのか知らないけど下手したらキミ――死ぬよ」

そして科白に同調するように青峰君の目が大きく見開かれた。視界の端に映る緑間君の表情に変化は見られない。
だけど青峰君は次の瞬間冗談だろと言わんばかりに鼻を鳴らした。
まあ如何とるかはご自由にどうぞ、と続け右足を床から離したその時、ガタンッ!!と図書室の扉が乱暴に開かれた音が室内に木霊した。序でバタバタという慌しい足音が聞こえる。
これはまんま――昨日と同じシチュエーションではないですかあ、ヤダぁ。
全くもって嫌な予感しかしない。そしてそれは直ぐに現実のものとなった。

「は、はあ、八神、大変だ――」

一体何処から走って来たのか、本棚の陰から息も絶え絶えの先生が現れた。もうその姿を見ただけでとってもとっても拙い事になっているのだけは分かった。
昨日貰いはぐった依頼料――なんて貰える状況じゃないよね。

「クラスの生徒がッ――」

先生の説明を聞く限りそこまで、一分一秒を争うような状況ではなさそうではあったけど、まあ言うまでもなく、そのままにしておけば孵化するのも時間の問題で、そしてそれを知っているからこそ先生はここに駆け込んできたのだろう。
――にしても短期間で二度も狐憑きの孵化を目撃するなんて先生もとんだ貧乏くじを引かされたわね。

「それで――どうなさいます?」
「は?」
「依頼しますか――?」

目的は明白だが、これを聞かない事には動きようがない。だけど案の定というか、やっぱりというか今まで結ばれていた緑間君の口が開いたのを視界の端で捉えた。

「八神、お前、」
「――先生」

緑間君の科白を遮るように先生を呼ぶ。
悪いけど、これ以上ゴールが見えないやり取りを緑間君とやるつもりはない。
「どうします?」ともう一度聞く間もなく先生は強く頷いた。
うん、流石先生。どっかの誰かと違い話が早くてとても助かる。

「分かりました。誓約書は昨日頂いたので結構です。依頼料の方は昨日の分含め後程お願いします」

「それでは案内して下さい」とお願いすれば先生は早々に背中を向け、歩き出した。
ファスナーが開いているのも構わず鞄を掴み、先生の背中を追う。

「おい八神!!」
「そう言う事だからもう行くね」
「なあ八神、オレもッ」

しつこい科白を吐き続ける青峰君に堪らず足を止め、後ろを振り返る。

「冗談だと思うのはキミの勝手だけど、桃井さんの事を思うのなら家で大人しくしてて、キミだけなら未だしも――桃井さん共々死ぬからね」

これだけ脅せば十分でしょ。まあ死ぬと言うのは強ち嘘ではないけれど。
今度こそ背を向け、図書室を後にする。
付き合いが長いと思われる友達の緑間君なら青峰君を説得してくれるだろうと信じ、緑間君に後処理は任せる。
離れてしまった先生の背中に追いつくため足を速める。階段を下り、A棟に続く渡り廊下に差し掛かかった時、先生の背中越しに向かいから歩いてくる生徒の姿が――その子自身というより正確にはその子が身に纏っているものが目に入った。
――そういえば緑間君達も制服じゃなかったな。
彼等が着ていたものも、前から来る彼と同じTシャツに短パンだったと思い出している間に、既に擦れ違う位置にまで来ていたその子が先生に向かって軽く頭を下げていた。そして頭を上げた、綺麗な深紅の髪色のその子と目が合った。
――もしかして緑間君部活の途中だったのかな。というか青峰君も同じ恰好だったけど、同じ部活、なのかな。背も高いし。
そして彼と擦れ違い数歩歩いた所で微かな破壊音が耳に届いた。
それが聞き間違いでない事は前を行く先生の歩幅が大きくなった事で確信した。
あーあ。あまり興奮していなければいいけど。
という僅かな願いも足を進めるごとに大きくなるガンッガタッという音に早々に打ち砕かれた。


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