とある少女の怪異録 | ナノ

44

「テメぇ何すんだよッ!」
「此処が何処か考えてから声を出せ馬鹿が」
「ああ゛!? つかさっきから黙って聞いてりゃ、人の事馬鹿馬鹿言いやがって」
「それでどうしたのだよ」
「話逸らしてんじゃねーよ」
「いいから言え」

青峰君が叩かれた頭を押さえながら緑間君に食ってかかるが、当の緑間君はそれをものの見事にスルーした。確かに図書室では大声は元より話すことすら厳禁だが、バシッという音が聞こえるほど打っ叩く必要はないと思う。いや青峰君の場合、口より行動で示した方が早いからなのかもしれないが――まあ青峰君は怒っていいと思う。そして第何ラウンド目かのそれが始まった瞬間私は帰る。
だけど非常に残念なことに、グツグツと煮えたぎっていた怒りは冷めてしまったらしい。
それどころか青峰君は借りてきた猫のように大人しくなり、どこか気まずそうに目を伏せた。

「……ねえ」
「は?」
「財布が……ねえ」
「…………」

蚊の鳴くような声でそう言った青峰君に暫しの沈黙が落ちる。
――ああ成程。
だからあんなに慌てた様子だったのね。うん納得。でもやっぱり図書室で大声を出すのはマナー違反だと思うよ。多少話し声が大きくても目を瞑ってくれる第二図書室の司書さんならいざ知らず、第一図書室ならば有無を言わさず摘まみだされている所だ。いやあれは多少って大きさでもないか。
うーん、にしても司書さんがいつものようにやんわり注意しに来ない所を見ると、いつの間にか席を外していたらしい。
どうするの、と沈黙を守り続ける緑間君を仰ぎ見る。緑間君はしょうがないというように小さく溜息をついた。

「オレが払う」
「おい!」
「財布がない奴がごちゃごちゃ言うな」
「うっ……、で、でも部室戻ったらきっかり返、すって、ンでお前は財布持ってんだよ!」
「お前を探しに来る前に部室から持ってきたに決まってるだろうが」

青峰君って一々声を張らないと話せないのかしら。
緑間君に綺麗に言い負かされた青峰君は苦虫を潰したような表情を浮かべている。
――間違いなく図書室出禁になるタイプだわ、彼。
でもまあ青峰君は見るからに図書室とは無縁なタイプだろうから何ら問題はないと思うけど、と青峰君に頭の中を覗かれたらど突かれそうな事を思い浮かべながら口を開く。

「じゃあ取りあえず緑間君が払うって事でいいかしら? でも依頼人は青峰君だから、キミには誓約書にサインしてもらいたんだけど」

言いながら鞄から一枚誓約書を取り出し、机の上に置く。私の手の動きに合わせるように、二つの視線が机の上の誓約書に落ちた。
そして直ぐに、内容を知っているはずの緑間君の眉間に皺が寄せられた。
そんな表情をするなら端から頼みに来なければいいのに、と胸の内で溜息を吐いているとクシャと紙が握りつぶされる音が聞こえた。緑間君から青峰君、そして青峰君の手元へと視線を移す。
机の上に置いた筈の誓約書が青峰君の手の中で波打っている。

「ん、だ、これ……」
「誓約書」
「は、死んでも文句言わな、いって。さつきは死なないんだよな!? 助かるんだよなッ! おいッ、絶対助けるって――言え!!」

そして又してもあっという間に間合いを詰められたかと思えば、本日二度目の襟首掴みを頂いた。こんな事になるって知っていたら立ったままでいたのに。というか身構える間もなく急に引き寄せられた所為で重い頭だけが重力に引き寄せられるように後ろへガクと落ち、地味に首が痛い。
少し頭を擡げ、ヒラヒラと宙を舞う誓約書を目で追い、それが床に落ちたと同時にずっと目の端に映りこんでいた人物へとゆっくり視線を戻す。
思った以上に近い――鼻と鼻がくっ付きそうな所にある青峰君の顔に堪らず仰け反る。
他人任せだとは思うが、緑間君がストップをかけてくれるだろうと期待を込めてチラと緑間君に視線を投げるも、緑間君は一歩も動いてはいなかった。
――うん。やっぱり自分の事は自分で対処しないとですよね。
内心舌打ちしつつ、視線をそのままに言葉を紡ぐ。

「無理」
「ンだと――」
「悪いけど今回ばかりは分が悪過ぎる」

そう答えれば緑間君の顔が驚きに染まり、そして「何故だ」「どうして」と視線だけで訴えてくる。
グッと襟首を掴む手に力が込められ、首が絞まる。
青峰君へと視線を戻せば、青峰君はこれまでで一番の表情を浮かべていた。勿論『怒』の方で。

「だがお前は昨日、」
「うん昨日だったらね。私言ったよね『今ならね』って。あれは桃井さんが此処に――この世にいるのなら助けられるって意味なのよ。だけど今、恐らく桃井さんはこの世ではない所、狐のテリトリーに連れていかれたんだと思うのね。そこは人間――例えそういうことに精通している人間でも絶対に手が出せない領域なの」

そう言い終えるや否や怒の表情を見事に消し去った青峰君の顔には絶望という二文字が浮かんだのがはっきりと見えた。そして首へとかかっていた圧迫感が消えたかと思えば、青峰君はそのままその場に座り込んでしまった。頻りに「オレの所為だ」「ちきしょう」とぶつぶつ繰り返している。
悲観している所悪いけど、人の話は最後まで聞いて欲しい。
それは「どうするのだよ」といつも以上に険しい表情で詰め寄ってきた緑間君も同じだ。

「あのね話は最後まで聞いて? 私は今“は”手が出せないって言っただけなんだけどね」

分かった?と青峰君、緑間君双方に視線を配る。
青峰君が涙とか色々なものでグチャグチャの顔を上げた。

「人間の結婚式だって式の前にお化粧とか着付けとか色々支度が必要でしょ? 狐の結婚式もそれは同じで、桃井さんも今は結婚式の準備をされている所だと思う。それで今夜、月が一番高い所に登った時バージンロード――って言っていいのか分からないけど、まあ道を歩くの、それも大勢の狐に囲まれながらね。勿論そこら辺の狐の結婚式じゃないから参列者は何百、もしかしたらそれ以上いるかもしれない。その中を歩いて稲荷神社を目指すのよ」

話を切り、一息つく。
途中で横やりが入るかと思ったが二人の口は結ばれたまま、そして二人の目が続きと先を催促していた。

「そして神社の一番手前にある鳥居を潜ってしまったら本当にアウト。残念だけど桃井さんは助からない」
「――ッ」
「狐のテリトリーがどこにあるか分からない以上稲荷神社の前で待ち伏せして桃井さんを助けるしか方法はない。だけどさっきも言ったけど、何百という狐を相手にしつつ九尾も相手にしないといけないから桃井さんをその場から助け出すのは相当厳しいの。勿論最善は尽くすけど、イコール絶対助かるって意味じゃないから」

「それだけは頭に入れておいて下さい」と締めくくり口を閉じる。
青峰君は再び視線を床に落とし、その隣に佇む緑間君も上手く表情が作れてはいなかった。
期待を持たせるような科白は幾らでも吐ける。それこそ「頑張ればなんとか助けられるよ」なんて甘い科白を。もし青峰君が上っ面だけの、心配しているオレかっけーの様な反吐みたいな偽善を振りかざしていたのなら、その甘い言葉を投げかけただろう。だけど青峰君は感情が暴走してしまう程、桃井さんの身を案じている。その姿を前にしてどうして嘘を混ぜた科白を吐ける。私も青峰君にそれ相応のモノを返さなければ罰が当たる。
それが例え――残酷な現実だったとしてもね。
細く息を吐く。
でも今回は本当に難しくなる。なりそうではなく、なる、だ。
ナカムラさんがいると言っても、多分九尾を相手にするだけで手いっぱいだろうし。そうなると下っ端を相手にするのは必然的に私他の役目になりそうだ。それでも何百も相手にするのは大分骨が折れる。それに下っ端相手にウダウダやっている間に桃井さんを連れていかれる可能性も高い。いや確実にそれを狙ってくる筈。
出来ることならスズキかカトウさん辺りも使いたいけど――適任だし、だけど一度スイッチが入ると見栄なく殺してしまうのが奴等の難点でうっかり桃井さんまで、なんてことになりかねない。うん。絶対使えない。
そうなるとやっぱりナカムラさんとヤマダさんしかないか、と手駒を考えていると急に下半身が重くなった。服を引っ張られる感覚を覚え、視線を下に向ければ青峰君が腰にしがみ付いていた。
――え、何で腰。というか皺になるから服を握りしめないで欲しい。

「……じゃ、ないんだ、な」
「え?」
「ゼロじゃ、ないんだな」
「え、ゼロ? うん? 何が?」
「だからさつきが助かる確率はゼロじゃないんだよな――!!」

そう絶叫するや否や青峰君は立ち上がった。
上に下に忙しい人だな。
青峰君を見上げながら一言「うん」と答える。
すると「え」と声を上げるより早く青峰君の頭が落ちてきたかと思えば、そのまま青峰君は肩口に顔を埋めそして、何やら小声で囁いた。

「助けてく、れ。オレの、幼馴染を、さつきを――助けてくれ、八神――」


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