とある少女の怪異録 | ナノ

42

つんとした草の臭いが鼻につき、窓が全くない図書室にいても外では雨が降っているのだと感知できた。
今朝見た天気予報では雨の事など一言も言っておらず、冬晴れの一日になるでしょうとのお天気お姉さんの言葉通り今日は朝から雲一つない快晴で、此処に入る前も窓から見えた空は青かった。
夏ならまだしも比較的気候が安定しているこの時期に天気が急変するなんて珍しい。
そんな事を考えながら読み終えたページを捲ろうとした時、流れていた空気が一変した。
弛んでいた空気は一瞬のうちにぴんと張りつめ、ピリピリと静電気のような――いや違う、そんな生易しいものじゃない、か。例え直すなら全身にナイフの先が突きつけられている、そんな殺気が張り巡らされた。指一本でも不用意に動かそうものなら全身から血が吹き出るぞ、とでも言われているようだ。
だけどおかしなことに感じるのは過剰なまでの殺気だけで、殺気立つモノの気配は全く感じ取れない。普通殺気というものは特定の相手に向かってピンポイントで放つもので、それは即ち――濃いか薄いかは別として、相手の気配は感じるもの。それが無いとなると、もしかしたらこれは殺気の類ではない、のかな。
いやでも全身を覆うのは紛うことなき敵意の塊で。
うーん、と頭を捻りそして――ピコーンと電気が灯った。
何故此処まで広範囲に亘って殺気を放出しなければいけないのか。何故異常な程殺気立っているのか。何故――あれだけ晴れていたにもかかわらず突然雨が降ったのか。

『凛様!!』
「うん。中々盛大なお出迎えだね」

深く考えるまでもなかった。昨日の用心深さを考えればここまでするのは容易に想像できたはず。
これは殺気というより――警戒心だったのね。
あまりにピリピリしているものだから勘違いしてしまった。
気配が感じられない以上誰のものかまでは判別できないが、大切な大切な許嫁の迎えにその辺の狐を迎えに寄こすとは到底思えない――ということは。
昨日図らずも遭遇してしまったセコム達を思い浮かべる。
一匹、二匹……もしかすると四匹全部いるのかもしれない。いや、きっといるだろうね。
だけどまあ、なんと言うか。

「九尾ともあろう大妖怪がたかが人間の女の子一人の為にここまでするとはね」

驚きを通り越して呆れものだ。
恋をすると驚きの行動に出るのはなにも人間だけではなかったらしい。
――恐るべし恋の力。
そして張り詰めていた空気も刺々しい殺気のような警戒態勢も始まり同様瞬く間に解け、再び弛んだ空気が図書室に流れ始めた。
ただ一人、落ち着きなくソワソワしているのが視界の端に映っているけど。
何か言いたげにチラチラ視線を投げてきて正直煩わしいが、いつもの科白を口にしない所をみると少しは学習したらしい。鬱陶しいのは全く変わらないが。
ほっとけばその内諦めるだろうと、開きっぱなしの本に視線を落とす。
と言うか今更何か言われた所で許嫁は既に私ですら干渉できない所に連れていかれてしまったんだし、現時点では手の出しようがない。
――しょうがないよね。
そして文字を目で追って間もなくカラっとドアが開いた音がした。

ま じ か

神様は何処までも私にこの本を読ませたくないらしい。これからが話し最大の山場で、真犯人が判明すると言うのに。
自分で言うのもなんだけど、日頃の行いは悪くない方だと自負している。学校に仕事にと、完璧にこなしているとは言わないがそこそこ頑張っている私に対してこの仕打ち。
――泣きたい。
足早にこっちに向かってくる足音に、この際だから普段なら絶対しないパラ読みという奥の手を使おうとしたがページを捲る間もなくパタリとドアが閉まった音が聞こえ、もう一つ別の足音が聞こえた。
二つの足音は予想外もいいところ。
だけど必ずしも二つの足音の持ち主が同じ理由で此処に来たとは限らない。もしかしたら二人とも純粋に図書室に用があって来たのかもしれない。そう思いたいのは山々だが、一人目の足音は確実に此処に近づいていて、二人目の足音も近づいている、気がする。
そしてキュッと床が擦れる音が聞こえ、チラと視線をやや上に向ければ机を挟んだ先に白いTシャツと白いテーピングが巻かれた指が見える。直ぐに本に視線を落とすも、いつぞやの様に無遠慮な視線がザクザクと突き刺さる。
頑なに顔を上げないのは偏に読書タイムを邪魔されたからに他ならない。
ホント間が悪いにも程があるね緑間君――。

「おい緑間ッ、こんなとこ来て意味あ、ん……の」

聞こえた声に引っ張られるように顔を上げていた。
荒々しい足音を響かせながら本棚の陰から姿を現したのは、昨日の色黒君……いや青峰君だった。
そしてその青峰君は私がここにいることを知らなかったようで、私と目があった瞬間目を丸くした。

「図書室では静かにしろ」
「ンで八神が此処にいんだよ」
「お前の頭の中にはバスケットボールでも詰まっているのか?」
「そりゃどういう意味だ、ああ゛!!」
「まんまだが? 何故オレがここにお前をつれてきたのか少しは考えろ」
「だからっ、なんでテメぇは毎度そうやって回りくどい言い方をすんだよ! はっきし言えよ!!」

私の読書タイムはこんな下らないやり取りを見せられる為に中断されたのかしら。
そうならば一刻も早くお帰り願いたい。
ただそれは私が言うまでもなく、隣で正真正銘の殺気を垂れ流しているヨリのお陰で叶いそうだ。一瞬「何で」とも思ったが昨日の青峰君の言動を思い出した。
顔が恐ろしい事になっているヨリから前の二人に視線を向ければ両者揃って口を噤み、落ち着きなく周りを見回している。
例えヨリの姿が見えなくとも、ピンポイントで殺気を向けられれば何か良からぬものが自分をみているのだと察することはできるんだろうね。

「緑間君、青峰君」

静かになった二人に話しかければ、忙しなかった二人の視線が自分に注がれ、そして緑間君は何故か助かったのだよ、と言わんばかりに安堵の表情を浮かべた。

「お帰りはあちらです」

さっさと帰れ、と遠回りに伝える。
緑間君は緩みきった表情を直ぐに固くさせ、またいつものように眉間に皺を寄せては非難めいた眼差しを向けてきた。
勝手に期待して、勝手に裏切られたと非難する。ちょっと自分勝手ではありませんかね。
青峰君はまだポカーンとした表情を浮かべ続けている。

「お前は相談しに来た者を追いかえすのか」

とんでもないと手を大きく左右に振り否定する。それが不愉快だったのか、癇に障ったのか、まあ何でもいいけど緑間君の眉間に皺が一本追加された。この際だから緑間君の眉間に後何本皺ができるのか実験してみたい。

「まさか! 私の相談の窓口はいつでも開いているわよ? ただね、緑間君達相談したそうに見えなかったし――」

「ごめんなさいね」と目を伏せ肩を落とせば、間髪いれずに頭上から「ふん」と嫌悪感をもよおしたような音が聞こえた。

「その芝居臭い話し方を止めろ、今すぐだ」
「はいはい。で何の用?」

肩を竦め、そう聞き返せば「ハイは一回」とこれまたお馴染の科白が返ってきた。一回も二回も変らないのに緑間君は一々細かい。反論すればウダウダと話が長くなるのは目にみえているから口には出さないけど。
だけど内なる呟きを聞いたかのように緑間君の皺が深くなった。
吐きたい溜息を呑みこみ、「用件は手短にね」と続けながら頬杖をつく。少々マナー違反だとは思うが、今更緑間君相手に取り繕ってもうしょうがないし。
早くしてくれないかな、と緑間君の口を凝視していると目の端に黒が映り、緑間君以外の存在がこの場にいることを思い出したが、時すでに遅し。青峰君の眉間にも緑間君同様何本もの皺が刻まれていた。
昨日間近で見させてもらった、オレは怒ってる、といった表情だと思われる。
青峰君はオコらしい。プンプン丸らしい。

「テメぇホント最ッ悪だな!」
「で、何の用?」
「おい緑間ッ、オレはコイツに頼むのなんざ絶対にヤダかんな!」
「桃井を助けて欲しい」
「おい――!!」

青峰君の訴えも虚しく、緑間君の口からは昨日の助けろという命令ではなく――して欲しいという要求が出てきた。たった一日で態度を一変させた緑間君に首を傾げる間もなく、青峰君は何言ってんだよ、とばかりに緑間君の肩を乱暴に引っ掴んだ。
――うーん。そういうやり取りは此処に来る前に終わらせて欲しかった。
あーだこーだと陳腐な応酬を繰り広げる二人に小さく溜息をつく。
まあ青峰君は乗り気じゃないみたいだけど、緑間君には支払いの意思があるのだと彼の科白から窺えるし、そうなると依頼を拒否する理由はどこにもない。

「――これしか!!」

でももし仮に依頼となったら少々、いや大分厄介な案件になる事は間違いないなあ、と漠然と考えている頭の中に緑間君の声が響いた。
そしてつい何秒か前までは青峰君が緑間君の肩を鷲掴んでいたと記憶していたが、いつの間にか形勢は逆転していたらしい。

「これしかッ、八神に頼むしか桃井を助ける手段はないのだよ!!」

というか二人とも此処が何処か忘れてるよね。
緑間君は数分前に自分が言った科白を思い出して欲しい。


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