とある少女の怪異録 | ナノ

41

「……さつき?」
「おいッコラ青峰! 集中しろ!」

近くにいる訳でもないにもかかわらず一瞬の気の緩みをすかさず察知した虹村主将から檄が飛んできた。すぐさま頭を切り替えコート上を飛び交うボールに集中する。回ってきたパスをそのままネットに放り込み、ボールがネットをくぐり抜けると同時に休憩のホイッスルが体育館に鳴り響いた。
流れる汗をシャツの袖で拭いながら給水に向かう。
――ただの気のせい、か。
さつきに呼ばれた気がしたが勿論アイツがここにいる訳もなく、今頃保健室のベットの上でぐーすか寝息を立てている筈だ。それはしっかりこの目で見届けた。アイツが保健室にいる事は間違いない。
それなのに――言いようのない不安が足元からジワジワとせり上がり、心臓が胸の内側を痛い位ノックしている。
――何考えてんだオレは。阿保か。
下らない妄想をなぎ払うように頭を振る。さつきの身に何かが起こるわけない。
その為に今朝、御守りだってたんまりやったんだ。手当たりしだい買い漁るな、吟味して買えと散々緑間に非難されたが、そんなの知ったこっちゃないと突っぱねた。数撃ちゃ当たるではないが、持ち玉は多ければ多いほど優位に決まってる。加えて緑間がネットで拾ったというお札も、あーでもないこーでもないと一々口を出す緑間と途中もみ合いになりながらも書ききり、それもさつきに持たせた。
だからさつきは大丈夫なんだよ、と自分に言い聞かせるもイマイチ状況が飲み込めていないのもまた事実。
散々御守りだ何だとやってはきたがアイツの身に何が起こっているのか未だによく把握できておらず、一体何が大丈夫なのかも分からない。ただ漠然とこの世のものでないナニカの所為でさつきが危ないということだけが頭の中に入っている。
全部とはいかなくも自分よりは理解しているであろう緑間に説明を求めたが、予想に反し緑間は分からないと首を横に振っただけ。八神とのやり取りを聞けば緑間が何かを知っているのは明白で、何故嘘をつくのかと詰め寄るも、緑間の口から聞きたい言葉は出てこなかった。

「うお、なんじゃこりゃ。晴れてんのに雨降ってっぞ」

スクイズボトルに口をつけながら、同じように水分補給をしている緑間に視線を向けていると灰崎の声が聞こえた。
その科白に誘導されるように緑間から入口の外へと視線を動かせば、灰崎の言葉の通り日差しが地面を照らしているにもかかわらず雨が降っていた。
――珍しいこともあんだな。
そんな感想を持ちながらそのままぼんやり外を眺めていると、「そういえば」とテツの声が近くから聞こえ、驚きのあまりスポドリが気管に入ってしまい盛大に咽た。
「何やっているんですか」と呆れた視線を向けてくるテツに断固抗議したい、が残念なことに咳以外のものが口から出てくる気配はない。
最後に数回ケホケホと軽く咳こみ、喉の違和感はなくなった。

「ところで青峰君、こんな天気の事をなんというかご存知ですか?」
「はあ? んなの天気雨だろ」

お前オレの事馬鹿にしすぎだろ、とテツの頭を小突けば「そうじゃありません」と鬱陶しそうにオレの手を振り払った。

「いえそうですけど、天気雨には別の言い方があるんですよ」

へーそうなんだ。テツは物知りだな、と率直な感想を浮かべていると、何かが落下した音が体育館に響いた。それも近いところから聞こえ、何だと振り返れば緑間の足元にスクイズボトルが転がっているのに気付いた。
――何やってんだアイツ。
明らかに落としたのは緑間だというのに、緑間は一向にボトルを拾おうせず何故かこっちを見ていた。緑間の近くにいた赤司が不思議そうな表情を浮かべ代わりにボトルを拾い緑間に差し出すも、緑間は受け取る素振りをみせない。
ただジッとこっちを、いやオレを見ている。それに心なしか、顔が青ざめている気もする。
――なんだ?

「狐の嫁入り」

緑間に声をかける前にテツの言葉が耳に届き、視線の先の緑間の口もまたテツと同じ動きをした。

「こういう晴れているのに雨が降る事を――狐の嫁入り、っていうんですよ」

『なあ緑間、コンギってなんだ? 食いもんか?』
『馬鹿が。だからお前は馬鹿だと言われるのだよ』
『ああ゛?!』
『――の事なのだよ』
『……へ?』
『だからッ、婚儀と言うのは――』

結婚式

耳の奥に残っていた音が大きくなり、瞬間目の前が暗転する。
さつき!!
頭で考えるより先に体が動く。
大丈夫だ。さつきはきっと保健室で寝ている。大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ――。

「青峰!!」
「……あ……」

緑間の声でふと我に返り、足が止まる。目前に迫る入口の向こうから一時間前にさつきを託した筈の保険医がこっちに向かって歩いていた。
ドクン、と心臓が大きく跳ね、背筋に冷たいものが走る。は、は、と呼吸が儘ならない。
駄目だ。違う。そうじゃない、考えるな。
どうか、頼む――。

「桃井さんこっちに来ているかしら? 私が出てる間にいなくなってしまったの」

聞き終える前に床を蹴り、先生の横を通り過ぎる。後ろからオレを呼ぶ声が聞こえた。
廊下を走るなと注意されるが、そんなの律義に守ってなどいられない。階段を駆け上がる。
電話とポケットに手を突っ込むが指先は何も触れず、用心を怠った自分を殴りたくなった。
誰彼構わず、会う奴会う奴にさつきの居場所を尋ねるも誰ひとりとしてさつきを見た奴はおらず、時間だけが無駄に過ぎていく。
何処ださつき。なんで。オレの。何でオレはさつきを一人にした。こうなるって分かってたら。
……く、しょ……。

「ちく、しょ……」

壁に拳を叩きつけ、視線を床に落とす。視界が歪む。
泣くな――泣くんじゃねえ。
唇を噛みしめる。
泣いている暇があるなら足を動かせ。立ち止まるな。
こうしてる間にもさつきは、さつきは……。

「青峰!」
「みどり、ま」

呼ばれるままに顔を上げれば息を切らした緑間が廊下の先から駆けてきた。そしておもむろにオレの腕を掴んだかと思えば「行くぞ」と歩きだした。

「お、い」
「やはりあの時八神に頼むべきだった。これはオレの落ち度なのだよ」
「は、八神?」
「アイツなら桃井を助けてくれる」

最近涙腺が緩くなった気がする。熱くなった眼頭を押さえ、深く息を吐く。
緑間がそこまで言うんだ。信じてみようと思った。
そしてそのまま廊下を歩っていれば時折擦れ違う奴からギョッとした目で見られ、煩わしいその視線に舌打ちしながら先を辿ればオレの腕を握る緑間の手に辿り着いた。迷わず振り払う。
緑間は不愉快そうに振り返り、舌打ちした。
今のはオレが悪いのか。おい。

「でもよ、八神はやってくれんのかよ」

あんなことしちまったし、と屋上でのことを思い浮かべる。未遂とは言え、手を上げた事に変りはない。もしオレが八神の立場だったら、どんなに頭を下げられようともうんとは言わない。まあそれなりの見返りがあれば考えなくもないが。

「安心しろ。アイツはそんな事根に持つ奴ではないのだよ」
「だけどよ」
「それにアイツは依頼料さえ払えば、例え依頼してきたのが犯罪者であろうと請け負うのだよ」

緑間はオレの不安をあっさりと切り捨てた。
昨日から思っていた事だけど、緑間と八神はどういう関係なんだよマジで。友達って感じでもなさそうだったが、かと言ってただの他人って間柄でもなさそうだ。だが八神の事を話す緑間の表情にははっきりと苛立ちが浮かんでいる。
目の端で緑間の様子を窺う。
負の面にしろ、緑間がそこまで感情を露わにするのは珍しい。

「なあお前と八神は一体、」
「青峰知ってるか?」
「ああ? 何がだよ」
「第二図書室の噂だ」

――いきなり何だ。
今まで話の流れで何で急に噂話の事なんか質問してきたんだ。
緑間の考えていることがさっぱり分からず、首を傾げる。
それに第二図書室の噂なんか。
思い当たるのは一つしかない。

「あれだろ、拝み屋がどうとかの」
「そうだ」
「それが八神と何の関係があんだよ」

視界の端から緑間が消えた事に気づき、足を止め振り返れば緑間は数歩後ろで立ち止まっていた。そして緑間は眼鏡の位置を指で直したと思えば次の瞬間、心底馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
昨日言われた緑間の科白そっくりそのまま投げ返したい気分だ。

「少しはその足りない頭で考えろ」
「ああ゛?!」
「行くぞ」

そう言うや否や緑間は体の向きを変え、扉に手を伸ばし開くと、オレを置いてさっさと中に入っていった。おい、と声をかけても緑間は立ち止まりも、振り返りもしない。
何処だここ、という疑問を抱きながらも緑間の後を追うため中に足を踏み入れる。
チラと視界の端に映ったプレートには『第二図書室』と書かれていた。
――ンでこんな時に図書室なんかに。
緑間が何を考えてここに来たのか皆目見当がつかないまま立ち並ぶ本棚の間を抜け、緑間の背中が消えた部屋の奥へと足を進める。


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