とある少女の怪異録 | ナノ

08

オレを見上げる八神の表情が曇ったように見えるのは果してオレの見間違いだろうか。
まさか今になって、やはり無理だ、などと言わないだろうな。
席に戻りながら自分一人でアレと対峙する事を思い浮かべてしまい、身震いする。

「うーん、それならそれでいいけど、実を言うとタダではないのよね、これが」
「そうかタダではないのだ、……は?」
「だから依頼料が発生するのよね」

断られなかった事にホッとしたのも束の間、別の何かが引っかかる。
依頼料か……。依頼料……。

「依頼料だと!? 金を取るのか!!」

落ち着かせたばかりの腰を浮かせ椅子から身を乗り出せば、八神は何事だとばかりに目を丸くさせ仰け反った。
だが八神は直ぐに素面に戻り、呆れたようにやれやれと首を左右に振った。

「あのね緑間君、世の中そんなに甘くないわよ。普通に考えてこんなこと無償で引き受ける奇特な人間はいないし、いやいるにはいるけどそんな人間稀だからね。というかむしろ何でタダでやってくれると思ったのか逆に聞きたいわ」

金品を請求されるなど夢にも思っていなかった。確かに頼みごとをしておきながら何のお礼も返さないのはどうかとは思うが、それでも同じ学校に通う人間にここまでストレートに金を払えなどと言うだろうか。いや普通は言わない。
八神は右手で頬杖をつき、早く答ろと言わんばかりにオレをジッと見ている。

「では聞くが、今まで依頼してきた人間からも、」
「――勿論、キチンと依頼料は受け取ったわよ」
「…………」
「あと誓約書にもサインしてもらうからね」

八神はいつの間に取り出したのか、一枚の紙を机の上に置いた。
オレの視線も自然と紙の上に落ちる。


一、八神凛の一切の情報を他言しない
一、八神凛の行動に口を出さない
一、八神凛の指示には従う
一、依頼料は全額前払い
一、死んでも文句言わない

以上の誓約を破った場合、背後に気をつけて下さい


「何なのだよ、これは」
「何って誓約書」
「それは分かっている! このふざけた内容は何だと聞いているのだよ!」
「いたって真面目だけど」

表情からなにから一切変えず淡々と言葉を返す八神に声を荒げている自分が馬鹿みたいに思えてきた。
冷静になる為、深呼吸する。そして改めて誓約書に目を通す。
一つ目の誓約があるが為に八神の名が出回らなかったのだと合点がいった。
改めて読み返せば、下二つ以外はどうにか納得できる。どうにか、だ。

「死んでも文句を言わないとはどういう意味だ」
「そのまんまだけど」
「死ぬこともあるのか」
「まさか。今まで依頼してきた人で死んだ人間はいないよ、」

それならば、何故こんな誓約を立てなければいけないのかと質問しようとしたが、八神の科白はまだ続いている事に気づいた。

「ただまあ――誓約を破った人でちょっとした怪我を負った人間はいるけどね」

「まあアレはしょうがないよね、指示を聞かなかった訳だし」と続けて呟いた八神に、三つ目か、と誓約書の三行目に視線を落とす。
確かにそれは八神の落ち度ではなく、依頼者の過失だな。自分は気をつけようと、胸に誓いを立てる。
それにしても八神の言うちょっとした怪我というのはどれ程のものなのか具体的な症状で教えて欲しい。八神が思うちょっとした怪我とオレが考えるちょっとした怪我に差がある気がするのはただの思い過ごしだろうか。
それでも死ぬことがないと分かっただけで幾らか安心できたが、そしたら何故こんな項目を組み込んだのかと首を傾げる。

「ならば何故こんな誓約を立てるのだよ。死ぬ事がないのなら必要ないだろう」
「念の為よ、念の為。私も万能ではないから失敗することがあるかもしれないからねって意味だと思ってよ。この世に絶対はないからね」

それならば死という言葉を入れる必要はないだろうと喉の先まで出かかったが、今まで死んだ人間はいないのならこれ以上追及する必要はないかと言葉を飲み込む。
だが目を引いたのはそれだけではない。

「……背後に気をつけるとは」
「そのまんまだけど」
「どう気をつければいいのだよ」
「いやいや、背後に気をつけろって事じゃなくて、これは約束を破るなって意味だから――だって発動したら気をつけようがないからね」

最後に小声で付け足した科白までオレの耳にはしっかり届いた。
何が発動するのかは考えないようにする。
――オレは結んだ約束を破るような事はしない。だから心配は無用だ。
自分に言い聞かせる。

「勿論これは強制とかじゃなくて、今までの話を聞いてふざけんなって思ったら依頼しなくていいからね。……というかこっちとしたら依頼してくれない方が有難いんだけどね、って聞いてないわね」
「しかし」
「まあ、それの腕を見つさえすれば万事完結なんだけどねえ」

八神の視線が机の上に横たわる人形に移った。
そうなるに越したことはないが、如何せん時間がないのだ。

「リミットは明日なのだよ」
「ま、仮に見つからなくても左腕を持っていかれるだけで魂までは持っていかれない筈だから大丈夫よ、」

そして八神は「気を確かに持って」と全く心の籠っていない、安い慰めの言葉を口にした。
どの辺りが大丈夫だというのだろうか。全くもって大丈夫ではない。問題しかない。

「それが嫌だからここに来たのだよ!!」
「あ、そっか、出血多量で死ぬ可能性もなくはないわね」
「話を聞け!」

此処が図書室だということも忘れ、大声を上げていた。

「なにはともあれ明日まで時間はあるから一晩ゆっくり考えて」

八神はそれを意に介すことなく帰り支度を始めた。
オレの周りには一癖も二癖もある奴らばかり集まっていると認識しているが、八神も相当だ。相当マイペースだ。こちらのペースが乱れ、尚且つ引きずり込まれる程マイペースだ。
気がつくと帰り支度を終えた八神がすぐ横に立っていた。

「その誓約書は緑間君にあげる。だから依頼したくなったら、そうだね……あの子に会ったのって何時?」
「正確な時間は覚えてないが、七時半頃だ」
「なら意思が固まったら誓約書にサインして依頼料持って放課後此処に来て」
「……その依頼料だが、一体幾らなのだよ」
「あー、そうだねー、うーん……今回は三千円でいいよ」

金額に目を瞬かせる。
八神のことだからもっとがっつり取るのかと思ったが大分安く、驚きを隠せない。
そんなオレの思考を読み取ったのか八神は「あのね」と溜息交じりに言葉を紡いだ。

「緑間君、私を何だと思ってるの。学生相手に高額な料金を請求する訳ないでしょ」

そう言われてみればそうだ。
帝光は私立の中学故、比較的裕福な家の人間が多いが、そうは言っても学生という身分で一回の支払いで万単位というのは大き過ぎる。払える人間もいなくはないだろうが、殆どの生徒は無理だと首を横に振るだろう。
八神もそこは考えていたのだと、彼女に対する考え方を少し改める。ただ金を要求するという行為自体は賛成できかねるが。

「金額は依頼事に変わるのか?」
「そうよ。依頼内容によって多少の変動はあるけど大体二、三千円かな。安くて千円か高くても四千円」
「その違いは何だ」
「うーん、一言で言えば助っ人の質、かな?」

歯切れの悪い答えが返ってきたかと思えば、八神は「いや、違うか」と一人ブツブツ呟いた。

「胃袋の大きさだね」
「は、胃袋?」
「そう胃袋。そういう事だから帰るね」

だから何がそういう事なのかと問うより先に八神は歩き出していた。
慌てて声をかければ、まだ何かあるの、と言いたげな表情で振り返った八神に机の上に出しっぱなしだった携帯救命キットから取り出した絆創膏を差し出す。
手元に落ちた八神の視線が直ぐに戻ってきた。

「やるのだよ」
「え」
「だが医者には診てもらえ、化膿する恐れもあるからな」

一向に受け取らない八神に無理矢理持たせる。

「ありがと、う?」
「ふん」

背中を向け席に戻ればパタパタという足音と、カタと図書室の扉が閉まった音が聞こえた。
椅子に座り直し、息を吐きながら瞼を閉じる。
脳裏に浮かぶのは嫌でもあの少女の顔だった。あれは暫く忘れられそうにない。思い出すだけで恐怖が背中を這いあがる。
だが八神は態度一つ変えずあれと対面した。それだけで八神凛という人物が如何に普通ではないか、オレとオレ達と住む世界が違うのかがはっきりと分かった。
――そして。
瞼を開き、空席となった前の座席に視線を向ける。
八神は恐らく――現実主義者だ。
八神は極めて現実的に物事を考え、慈悲や哀れみといった短絡的な感情では決して動かず、目の前の仕事を流れ作業のようにただこなすだけ。万人を救おうなどという理想は無く、運ばれてくる現実を捌くだけ。
その証拠に廊下でオレと会っておきながら、いつかはこうなると分かっておきながら行動を起こすこと無く黙認していた。
八神は言っても信じないと言い、オレもそうだと思ったが、彼女には他に手段などいくらでもあった筈なのだ。だがそれをしなかった。
それは即ち被害者自ら八神に接触し、彼女に依頼をしなければ八神は何のアクションもとらないということだ。
例え目の前で腕をもがれようと、それが仕事でないのなら――八神はそのまま何事もないように通り過ぎるだろう。
八神という人物を知ってから精々数十分やそこらだが、オレの見解は外れてはいないと思う。
なんという人間と知り合ってしまったのだという後悔と出会えて良かったという喜びが混ざり合う。
深く溜息を吐き、席を立つ。
自分でやれるとこまでやろう。
八神ではないが時間はまだある。左手さえ見つければ万事解決するのだ。だから八神は――最終手段だ。


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