とある少女の怪異録 | ナノ

35

そっと視線を前方に向ければ、さっきまで驚いたように丸められていた目を威嚇するようにつり上がらせた常夏仕様の男子が盛大に顔を歪めながらこちらに近づいてきた。その後ろに男子生徒と同じような形相の緑間君がちらちら見える。
そしてやっとと言うべきか、その足音でA子もこの場に第三者がいることに気づいてくれたようで、A子は私の胸元から顔を上げると首を後ろへと捻った。

「あお、み、ね……くん」

近づいてくる男子生徒の名前は青峰君と言うらしい。そして見間違いでいて欲しかった緑間君は彼の後ろにぴったりとついている。
小さく溜息を吐き、目と鼻の先で止った青峰君を見上げる。
遠目からでも緑間君と頭が並んでいる時点で背が高い事は何となく分かったけど、近くで見ると本当に高い。緑間君同様中学生の平均を大きく超えていて、視線をやや上に上げないと顔が見えない。
そして直ぐその後ろから現れた緑間君と相俟って、二人に並んで見下ろされると何とも言えない威圧感を感じる。
――何食べたらそんな背高くなるんだろう。
いつか聞いてみたい。

「おい、どういう、意味だ」

青峰君の声が微かに震えているように聞こえた。
青峰君は、いつの間にか私と並ぶように立っていたA子しか目に入っていないようだけど、非常に有難くない事に青峰君の隣に立つ緑間君の目には私しか入っていないようだった。さっきから視線がザクザク刺さっている。
視線で穴が開くなら今頃全身穴だらけになってる事でしょう。
想像したら鳥肌が立った。

「さつきが死ぬってどういう意味だって聞いてんだよ!! 下らねえこと言ってんじゃねえぞっああ゛!?」
「ひ――ッ」
「青峰落ち着け」
「うっせ!! んなこと聞いて落ちつけるわけねえだろが! 関係無え奴は黙ってろ!!」

ちらと横目でA子の様子を窺えば、A子の目にはまたうっすら涙が浮かび始めていた。
それはそうだよね。
色が黒い上に背も高く、言葉使いも宜しくないと揃えば泣きたくなるその気持ちも分かる。いきなりの大声で私の肩も跳ね上がったし。うん。
そして緑間君の意識が青峰君に向いている隙に数歩後退し、少し離れた位置から三人を眺める。
今にもA子に掴みかからんとする青峰君、青峰君を押さえつけている緑間君、顔を手で覆い言葉にならない声を漏らし続けるA子。
――うーん。この場に私、必要かな。
繰り広げられている陳腐な応酬を目の前に首を傾げる。
完璧に通行人Eあたりだよね私。
今なら回れ右で無関係を装って離れられる気もするけど、タイミングを誤れば状況が悪化しかねない。それに私には依頼料の回収という最重要任務が残されている。でも回収となると彼等の横を通らなければいけないという。
続けられているドラマに再度目を向ける。

「わた、わた、し、」
「何だよ!! はっきり言わねえと分かんねえだろうが!」
「青峰!!」
「――ッ!!」

だけど私が答えを出すより早く誰かが――A子が私の横を通り過ぎていた。風が髪を巻き上げる。
瞬きを数回繰り返し、段々と遠くなる足音にゆっくり首を後ろに捻ればA子の背中が廊下の角を曲がったところだった。
えっと。足速過ぎではないですかね。
それにこの状況を作った張本人が真っ先に逃げるなんて酷すぎる。

『凛様……』

そしてA子が戦線離脱したということは、必然的にさっきまでA子に向けられていた全てのものが私に集まると言う意味で。
哀れみの表情を浮かべるヨリを尻目に、後ろに捻った時よりもゆっくりと頭を元の位置に戻せば、案の定四つの目玉が私を見ていた。
緑間君の目にはあからさまに苛立ちが浮かんでいる。
――しょうがない。
二択のうちの一つが駄目になってしまったのなら残された方を選択するしかない。まあ、どの道依頼料を回収する為に一階まで下りてきたのだから初めから選択肢などあってないようなものだった。
そうと決まれば門番よろしく、廊下のど真ん中にそびえ立つ双璧を見上げる。

「こんなとこで会うなんて奇遇だね。私も職員室に用があってね、」
「八神お前……」
「行くところなんだ」
「何故嘘をついた!」

全くの知らない人間ならつゆ知らず、少なからず縁のある人を無視するのは如何なものかと挨拶程度に声をかけたが案の定倍になって返ってきた。

「嘘? うーん何のこと? 私緑間君に対して嘘なんてついてないけど、というか私もう行く、」
「しらばくれるなッ。さっきの会話はどういう意味だ!! 何故桃井が、」

拓けていた視界が一瞬のうちに白く染まり、目の前には白いカーディガン。
見上げれば、眉間にたっぷり皺を寄せた青峰君の顔があった。
――これは。
A子が逃げ出した理由も頷ける。間近で見ると中々に怖い。
堪らず後ずさろうとすると、それを見越したかのようにガシッと肩を押さえられた。

「さつきに何があった、教えろ――!!」

耳を押さえる。
耳元でそんな大声を出さないで欲しい。渦巻き管が振動しっぱなしだよ。
キンキンする耳の奥に顔を顰めていると、押さえた耳の向こうでチャイムが鳴っていた。
――ああなんということでしょう。
やることなすこと全てが中途半端に終わってしまい、如何して私はこうなんだろうと頭を抱えたくなった。
仕事の時はそれなりに早く的確な判断が下せると言うのに、何故日常生活でもそれができないのか自分でもよく分からない。
――仕方ない。まだ放課後もあると考えればそれほど悲観する必要もない、か。
それに生徒ならまだしも、先生なら踏み倒す心配もないだろうし。
吐くつもりの無かった溜息が無意識の内に口から出ていた。

「ぃ――ッ!!」

瞬間、肩が悲鳴を上げ、思いがけず襲ってきた痛みに堪らず呻き声を上げる。ミシと骨が軋む音が聞こえた気がしたけどきっと聞き間違いじゃない。
ギリギリと肩を締め上げられ、断続的に襲ってくる痛みに顔を引き攣らせながら視線を上げれば、泣く子も黙るような形相を浮かべる青峰君と視線がかち合い、堪らず喉を鳴らす。
視界の端でヨリが指を組むのが視える。

「……くれ、よ」
「え」
「教えて、くれよ。さつきの奴に何があったのか。なあ頼むよ……」

それも束の間に私の肩を締め上げていた青峰君の指からふっと力が抜けたかと思えば青峰君は今にも泣き出しそうに顔を歪め、挙句私の肩口に顔を埋めた。
これなんてデジャブですか。
あまりに予想外の展開に思考が停止する。
それは多分、目を見開く緑間君も似たような表情で固まるヨリも同じだと思う。
そして一時停止を余儀なくされた私の思考回路は何処かのドアが開いた音のお陰で再び動き出すことに成功した。

「取りあえず離れて、お願い」

不幸中の幸いと言うべきか開いた扉から出てきたのが先生だったから良かったものの、これが生徒だった日には目も当てられない展開が待っていたことだろう。一方的ではあるけど、見ようによったら抱擁しているようにも捉えられるし。あることないこと、尾ひれ背びれに胸びれまでつけられ拡散されていくだろう噂話を想像したら肝が冷えた。
――うん。このまま此処にいるのは得策じゃないわね。
先生は私達がいる場所とは反対に行ったけど、何やっているんだという目でチラチラこっちを振り返っている。それにいつ何時生徒が廊下に姿をみせるかも分からないし。
早く離れろと手を突っぱねれば、思いの外青峰君は簡単に離れてくれた。そのまま青峰君から一歩二歩と距離を取る。


ピンと張りつめていた糸を断ち切り、くるっと背を向け床を蹴る。泣く程さつきちゃんを心配している青峰君には悪いけど、私に説明を求められても困る。勿論A子本人から何があったのか聞いている為漠然とした説明なら出来なくはないけど、詳細を聞きたいのであれば真っ先に逃げ出したA子に聞くべきだ。それと同時にそれが当事者として関わったA子の義務でもあると強く思う――と言ってみる。本心はお金にもならない、時間を浪費するだけの自分に何の利益ももたらさない説明をするなんて真っ平御免だ、だ。そして最近の己の引きの悪さとばっちり率の高さに嫌気がさした所で肩を鷲掴かまれた。こうやって肩を掴まれるのは今日で何度目だろうなと堪らず遠い目をしていると緑間君が前に回りこんできた。

「逃がさないのだよ」


――逃げるのは不可能ですね。
逃走した場合のシュミレーションをしてみたものの緑間君に肩を掴まれる未来しかみえなかった。
溜息を吐く。
緑間君達に遭った時点で回れ右をしなかった己がいけなかったのだと自分自身を納得させるも、どうにも煮え切らない。
一体如何して全く関係の無い私がこんな役回りを務めなければいけないのかな。

「あー、ほらチャイムも鳴った事だし、一先ずここは解散しようよ。緑間君達も授業行かないとだ、」
「んなことよりさつきだろ!」

学生の本分をバッサリ切った青峰君からその発言に一切の異議を唱えない緑間君に視線を移す。
見た目からも真面目さがにじみ出ていて、勿論中身も期待を裏切らないほど真面目で、それこそ校則を一から十まで守っていると思われる緑間君がサボる事を匂わせる発言に異議を唱えないなんて奇妙過ぎる。
――もしかしなくてもさつきちゃんと知り合いなのかしら。
そんな事を考えている内に緑間君青峰君双方に間合いを詰められていた。
両脇を大男に固められたら流石の私も逃げられる訳もなく――まあ絶対不可能ではないけど、逃げ出す意思の無いことを伝える為両手を上げる。

「分かった、話すよ」
「なら、」
「でもその前に一つだけ。キミ達が言うさつきちゃん?が私の中にいる人物と合致するか確認させて」

A子の言う子と同じ名前だからって同一人物とは限らないし。
青峰君は分かったと首を縦に振った。

「髪は桃色、長さは胸辺り。可愛いというより美人って言葉がしっくりきて、中学生に有るまじきナイスバディな女の子」

指で首を指しながら「あと首に絆創膏が貼ってある」と続ければ、青峰君は表情を曇らせ一言「そうだ」と返してきた。
念の為緑間君の反応を窺えば、相変わらずのしかめっ面でコクンと頷いた。そろそろ緑間君の眉間に皺の痕がつくと思う。
そして非常に残念なことに青峰君達のさつきちゃんと私の中のさつきちゃんとが一致してしまったけど――さて、どうしよう。
このまま此処で立ち話なんて出来るわけない。というかそもそも予鈴は既に鳴っていて、その内本鈴もなる筈。
取りあえずこの場から離れるべきだと助言しようとした所、青峰君に先にこっちだと腕を引かれた。そして何故か青峰君が引く腕とは反対側を緑間君に押さえられた。
そんな事しなくとも今更逃げないのに態々御苦労さま、とチラと緑間君を見上げ鼻を鳴らす。
誰も一言も話さず、足音だけが階段に響く。
ふとこれっていつだかテレビでみた捕獲された宇宙人じゃないかと今の自分の状態を見て思い出している間に鉄の扉の前に辿り着いた。
決して私が小さい訳ではなく、ただ単に青峰君と緑間君が大き過ぎるだけだ。
音を立てながら開かれる扉を目で追い、そして――冬の凍てつく風が髪を揺らした。


back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -