とある少女の怪異録 | ナノ

31

「大丈夫だって」
「……うん」
「大丈、夫……だ、よ」
「うん――ッ」

八神に言われ教室から出てすぐ女子生徒二人を保健室に連れていこうとしたが、女子生徒は頑として首を縦に振らなかった。それは廊下に出た直後意識を取り戻りしたもう一人も同じで。狐に憑かれた女子生徒を残して自分たちだけ保健室になどいけないというのが彼女達の言い分だった。
それが大事な友人を思っての事だということは考えるまでもなく分かったが、頭を打っている恐れもある一人の女子生徒の事を思えば無理にでも保健室に行かせるべきだった。だが幾ら説得した所で二人の意志は固く、梃子でも動く気配はなかった。
気分が悪くなったら隠さず伝えるという約束を取り付け、先生は渋々此処に残る事を承諾した。
それからというもの女子生徒二人は上記のように大丈夫という言葉を繰り返しては、時折鼻を啜っている。
狐に憑かれた女子生徒の無事を強く祈るように大丈夫と繰り返し呟く彼女達はとても痛々しく、見ていられない。
――なのに。
開く気配のない教室のドアを睨みつける。
あれから一時間弱。
一体中で何が行われているのかオレには全く見当がつかない。それに何か行われているにしても物音一つしない現状は不自然以外の何物でもなく、むしろ何も行われていないのではとさえ思ってしまう。
不自然といえば、廊下に出てからと言うもの一人の生徒も教師も見ていない。目の前を通るどころか、フロアーに人の気配が全くと言っていい程ないのだ。下校時間が近い訳でもなく、普段なら大人数とは言わなくも数人の生徒が残っていてもいい時間帯だ。それが一人もいない。
八神の奴が何らかの仕掛けをしたのかとも思わなくもないが、果してアイツがそんな意味もないような事をするのだろうか。
そう意味もないことを。

「……八神――ッ」

オレには理解できない。何故アイツは死ぬと分かっている人間が目の前にいるにも拘らず、何もしないと言えるのか。いや何もしないという選択肢を選べるのだ――表情一つも変えずに。おかしい。人が死ぬのだぞ。それを慈善事業ではないとアイツは鼻で笑った。人の死を笑ったのだ。八神はおかしい。金の臭いがしなければ助けないなど人としてどうかしている。信じられない、だけど――。オレは心のどこかで八神を信じていたのだ。例え見返りがなくともアイツは、八神は手を差し伸べると。助けてくれると。だが結局そんなものは自分が作り上げた理想の人物像で、現実のアイツは人間の皮を被った守銭奴だ。鬼だ。悪魔だ。アイツは人間の心、情など――持ち合わせてはいなかった。

「……くそッ」

小さく悪態をつく。
そしてそんな人間に助けを乞うしか生き残る道は残されていないということも分かっていた。
――最悪、なのだよ。
オレには全く八神が理解できない。いやしたくもない。だが――。
教室のドアが微かな音を立てて開いた。
足元に落としていた視線を上げれば、開いたドアの向こうに立つ八神と目が合う。
だけどオレと目が合った所でやはり八神の表情が変わることはなく、一瞬でその視線は隣に立つ先生へと向いた。

「終わりました」
「無事、なんだ、よな?」
「A子はッ、A子は無事なの――!?」

先生の科白に続けとばかり、女子生徒二人が八神に詰め寄った。
どうなのかと感情をむき出しに矢継ぎ早に質問する三人とは打って変わり、八神は笑顔を見せるでもなく、ましてや涙を見せるでもなく、たった一言。

「勿論です」

それを聞いた途端強張っていた先生の肩からは力が抜け、祈りをささげるように組んでいた女子生徒二人の指は解かれ、お互いを抱きしめあっていた。
先生は八神の両肩に手を置き、頭を下げながら感謝の言葉を繰り返している。
それを聞いた八神がどういう顔をしているのかは先生の陰になっていて分からないが、きっとただ仕事をこなしただけだからとしか思っていないことだろう。
その証拠に何の感情も乗せていない「どうぞ」という科白が聞こえ、八神が端に退いた。
それを合図に先生と女子生徒二人が足早に教室の中へと消え、数秒後女子特有の歓喜が廊下の方まで聞こえた。それだけで狐に憑かれた女子生徒の無事が伝わってくる。
良かった。本当に良かったのだよ――。
それなのに嬉しいとも安心したとも、何とも思っていないような表情で教室の中に視線を送っている八神の横顔に無性に腹が立つ。
八神のお陰で――非常に不本意ではあるが、彼女の尊い命が救われたのは事実だ。それを含めてもやはり八神の態度は許せるものではない。ガツンと文句の一つでも言おうと足を一歩踏み出した所で気がついた。
八神が腰に巻いている白いカーディガンの隙間から赤いシャツがチラチラ見え隠れしていることに。そしてその白いカーディガンにも血のような赤いものがべっとり付いており、血の気が引いた。

「八神、そ、れ」

言葉が続かず、震える指で服を指す。
違う。こんな事聞いている場合ではない。早く病院に。何故お前は平然と立っていられるのだよ。病院に八神を連れていかねば――。
やるべきことは頭に入っている、だが身体が思うように動いてくれない。
だけど八神は、そんなオレの焦りなど伝わっていないかのようにゆっくり指さす方へ視線を落とし、そして「ああ、これ」とまるで世間話でもするようなトーンで返事が返ってきた。

「ちょっと無理して捕まえたからね。見た目ほど傷も大したこと無いから気にしないで、というか緑間君目敏過ぎでしょ」
「馬鹿か! 大したことあるに決まっているのだよ!! 早く、」

気にしないでと言われても、明らか流し過ぎている感が否めない染まり具合にそう返せば、奇妙な間を置いた後八神はおかしそうに声を上げて笑った。
今の会話の何処に笑う要素があったというのか。やはり怪我の具合が悪いのだろうか。

「ふふ緑間君、キミ面白い事言うのね」
「なッ! オレは真面目に言って、」
「だってそうでしょ? 始まる前はあんなムカついてしょうがないって態度だったのに、今は怪我が心配って。そこは怪我してざまあみろじゃないの?」

「緑間君って優しいね」と科白を締めくくった八神に視線を床に落とす。
そうだ。八神の言う通りじゃないか。きっと罰が当たったのだ。死を笑ったお前に罰が……。

「オレはお前の……、八神のやり方は到底容認できない」
「うん?」

床に落としていた視線を八神に戻す。

「お前が冷酷で残酷で、薄情な人間だというのは薄々気づいていた。目の前の人間がいずれ死ぬのを分かっていながら、手を差し出せば助かる命だと分かっていながら、助けようともしなかったお前の選択をオレは理解できない。したくもない――だがな」

八神の表情は一切変わる事がなかった。自分が罵られているにもかかわらず、図書室で他愛もない会話を交わしている時と寸分違わない表情でオレの言葉を聞いている八神が腹立たしかった。そしてオレの言葉など何の意味もないと言われているようで、どうしようもなく――虚しかった。
それでも。

「その非凡な才能だけは認めてやらないでもないのだよ」

「残りの九割は絶対に認めないがな」と付け加える。
すると八神は「は?」とでも言うような表情を浮かべ、すぐに小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「緑間君に認めてもらってもね……、一応有難うとでも言った方が良い?」
「ふん、その必要はないのだよ」

それに有難うと言う気など毛頭ないだろう、と付け加えれば「そんなことないよ」と全く心の籠っていない返事が返ってきた。
少し間をおき、怪我は大丈夫なのかもう一度聞けば、八神はあっけらかんと「うん」と答えた。
沈黙が落ちる。
そうすれば必然的に教室から女子生徒達の嬉しそうな話し声が聞こえてくる。
今まで自分に向いていた八神の視線が教室に移ったが、オレはなんとなくそのまま八神の横顔を見ていた。
瞬間。
――なん、だ。
八神の横顔に違和感を覚えてしまった。どこが、何が違って見える訳でもないのに、ふとそう思ってしまったのだ。
胸がざわつく。
教室の中に消えた八神の背中を追う。


「遅れてきておいて、呆けるとはいい度胸じゃないか緑間」
「……呆けてなどいない。それに遅れた理由はきちんと話した筈だが?」
「倒れた生徒を介抱していたんだろう? あの教師もそう説明していたな」
「そうだ。だから遅れたことを責められる道理はないのだよ」
「おや、オレがいつ責めたって言うんだ? 人聞きの悪い言い方は止めてもらいたい」

このまま赤司と言い合いをした所で平行線を辿るだけだ。むしろ嘘はついてないにしろ、オレの方が分が悪い。
それに呆けていた訳ではないが、赤司に注意された時点で集中力を切らしていたのは事実だ。
人より数倍洞察力のいい赤司のいる所でボロを出した己に舌打ちしたくなる。勿論そんなことはしないが。
無意味なやり取りを無言で練習に戻るという行動で強制終了する。
だが赤司はそれをよしとしなかった。

「――それで本当の理由は何だ」
「本当の理由? それはどういう意味だ。女子生徒が倒れたと説明した筈だが?」
「そんな説明でオレが納得すると本気で思ったのか? オレも舐められたものだな」
「それは、」
「生憎オレはそんな取ってつけたような説明を鵜呑みにする程馬鹿ではない。仮に本当に女子生徒が倒れたのを介抱したとして、一時間半以上も遅れてきた事がオレには到底理解できない」
「…………」
「あの時もそうだったが、何を隠している? 一体何をやっている、緑間――?」
「何をやってるのはこっちの科白だ」

「なあ赤司。緑間」と米神をピクピクさせ笑顔を張り付けた虹村主将がいつの間にか傍らに立っていた。
ああ、この笑顔は拙い、と顔が引きつる間もなく虹村主将の手が肩に置かれた。

「練習舐めてんじゃねえーぞ?」
「すみませんでした」

誠心誠意頭を下げる。チラと赤司の様子を窺えば同じように下げていた。
虹村主将に下げた頭を乱暴に撫でらたかと思えば、主将は「二度目はねえぞ」と有難い忠告を残し練習の輪の中へ戻って行った。
オレもその背中に続く。

だがその後の練習でも八神の顔がちらついて集中出来ないでいた。
全てが終わった筈。
なのに、何なのだよこの――嫌な予感は。
不自然に遮られた女子生徒の科白。心配そうに女子生徒を気遣う八神。取ってつけたような理由。そして――別れ際の言葉。
その全てがオレの六感を刺激する。

まだ終わってない、と。


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