とある少女の怪異録 | ナノ

29

「それでは皆さん、教室から出て行ってください」
「それは駄目だ。オレには監督責任というものが、」
「それならそれでいいですけど――自分の身は自分で守って下さいね。先生の方まで気は回しませんので」

ご自由に、と伝えれば強気な発言も尻すぼみになり、結局は全員退出で纏まった。
いつの間にか泣き崩れていたB子と倒れている女子生徒をそれぞれ支えながら出ていく先生と緑間君を見送る。
緑間君の軽蔑したような、いや軽蔑に満ちた視線がドアが閉まるその時まで私に刺さっていた。

「……じゃあ――始めようか――」

女子生徒の中に巣くうモノに向かって告げる。そして私の言った事の意味が分かったのか、A子の中の狐が微かに蠢いた。
思った通り目はとっくに覚めているみたい。だけど所詮目が覚めたってだけで、身体の自由は利かず外に出てくる気配は勿論ない。当たり前だ。適当と言っても全くのデタラメにかけた訳でもない金縛りを一介の管狐如きが簡単に解けるとは到底思えない。と、言ってものんびりしていられるほど時間に余裕もないが。
そうだよね、とヨリを見上げれば「はい」と頷いた。
二度目の金縛りはそう簡単にかかってはくれないだろうし、自由を手にした狐ほど厄介なものはいない。それにA子自身と癒着が進んでいる以上動いていられると引き剥がすのは至難の業だ。
金縛りが解ければ暴れるのは目に見えている。万が一にも魂の一部が傷つけられでもしたら、A子は中身が空っぽの人形になってしまう。
チャンスは一度だけ。失敗は許されない。
――さっさと引きずり出そう。
でも始める前に運良く入っていた呪符を鞄から取り出し、部屋の四方に張る。
何事も慎重に越したことは無い、と言ってみる。緑間君の時の件もあるし。失敗には色々学ぶものがある。
ただ今回は失敗即ち人間終了だけど。うん笑えない。
深く息を吸い、吸った分だけ深くゆっくり息を吐き、呼吸を整える。

「朱雀 玄武 白虎 勾陣 帝久 文王 三台 玉女 青龍」

A子に向かって九字を切り、そのまま続けて真言を唱える。狐祓いの真言は狐の癒着の強さに関わらず総じて長ったらしく、最後の方になると喉がカラカラに、呂律が回らなくなるのが目下の悩みだ。
水を用意するべきだったと唱えながら後悔した。
それでも今更止める選択肢はなく、短い咳払いをし二週目に突入する。

「オンマカラギャバゾロシュニシャバザラサト……――」

唱え始めは居心地悪そうにもぞもぞ身じろぐだけだった管狐だが真言を重ねていく内に段々と動きが大きくなり呻き声を上げ始め、そして現在進行形で聞くに堪えない断末魔を上げている。
――そろそろ、か。
もがき苦しみ、逃げ場のない絶望を味わっているのかと思うと自然と言葉に力がこもる。
私に遭遇してしまったのが運の尽き。私に出会いさえしなければ念願の妖弧になれたと言うのにね。
A子の腹の中で滅茶苦茶にのた打ち回る哀れな管狐に同情する。だけど、まあ容赦はしない。
そうして大分大人しくなったところで仕上げを施す為A子に近づく。

『凛様!!』
「手を出すな!!」

ヨリの悲鳴が教室に反響し目の端でヨリが動き出したのが見えたが、邪魔をするなと吼えるのが精一杯で直ぐに意識を前に向ける。
アンタの役目を奪って悪いけど、どうにか我慢してよヨリ――。
管狐は最後の抵抗とばかり、先程と同じようにA子の腹から足を生やしたかと思えば私を八つ裂きにでもしようとしたのか、伸縮自在のゴムのように私目がけ足を伸ばしてきた。
自ら捕まりに出て来てくれるなんて、引きずりだす手間が省けて助かったと同時に、こんな絶好なチャンスみすみす逃してなるものかと気を引き締める。
ただ本来なら華麗に交わして捕えたいところだけど生憎そこまでの運動神経など持ち合わせておらず、生傷の一つや二つ、多少の霊障も覚悟で正面から突っ込んで捕まえるしか手段はない。
――私にも緑間君のような反射神経が備わっていれば良かったな。

「ぐ――ッ、ぃ、た……」
『凛、様ッ――!!』

それでも経験値というものはそれなりに溜まっており、ぎりぎり致命傷は外れ脇腹を抉られただけで足を掴むことに成功した。
呼吸をする度ドクドク血が流れ出ているけど、そこまで深くは入ってない、と思いたい。痛いけど。
そのままA子の額に指を置き、最後の一句を唱えれば力なく足が垂れ下がった。
A子の呼吸を確認しながら慎重に狐を引きずり出す。
徐々に管狐の全貌が明らかになり、狐の成長具合を目の当たりにして本当に孵化寸前だったのだと改めて実感すれば多少なりとも肝が冷えた。そして全部を引きずり出し終えても、A子の呼吸は穏やかだった。
上手く剥がれたようでなによりです。

『……凛様、どうか……どうか――。私の寿命がどれほど縮んだかご理解くださいますよう』
「阿保か。アンタの寿命は、即ち私の寿命なの。ヨリがいなくなる時は私もこの世に居ないからね゛っ――ッ」
『凛様!!』

ズキンとした痛みが半身を貫き、一瞬目の前に星が散った。そしてよろめいたのも束の間、身体的な痛み以外にかすかな違和感を覚え、しくったと舌打ちする。
耳もとで凛様凛様煩いヨリに耐えかね薄く瞼を開けば、顔色悪くオロオロするヨリが見え、叱るために開いた口を噤み代わりに大丈夫だからと手を左右に揺らすも、間髪入れずに「どこが大丈夫なんですか!」と詰め寄られた。仰る通りです。
−−これはちょっと厄介、かも。
物理的な傷も然る事ながら、大したことないと思っていた霊障が思ったより重い。今すぐどうこうなる代物ではないが、放っておけば確実に蝕まれる。
取りあえず応急処置だけして、帰ったら兄さんに抜き取ってもらおう。借りを作るのは非常に嫌だけど、今の私には生徒手帳と言う名の人質がいるし、何より兄さんには貸した借りがいくつもある。
患部に掌を添え、詠唱する。
すると効果は直ぐに表れ、波が引くように傷の痛みが引き、内側の違和感も緩和された。服を捲り確認すれば、傷口はぴったりくっつき血も止まっている。
下手を打たなければ此れで内も外も家に着くまでは大丈夫な、はず。
安静に安静に、と念仏のように唱えていると、不意に視界に映った管狐の口元が動いて見えた。
――なに。

「ああ――凛様!! 凛様凛様、」
「煩い!」

大丈夫だって言っているのにウジウジ鬱陶しい。
そして無駄に大声を出した所為で脇腹がズクンと脈打ったが、それだけで傷口は開いていない。
暫く口を開くなとヨリを一瞥し、透明度に拍車がかかり、今にも消えそうな管狐に意識を集中させる。
目を凝らし、耳を傾ける。

『ソ、ロソロ……ダ』
「……そろそろ? 何が?」

ヨリの耳にも漸く管狐の科白が届いたようだ。ヨリと顔を見合わせ、管狐の元まで足を進め手を伸ばしながら背中を曲げる。
管狐の首根っこを持ち、目の高さまで持ち上げる。
すると何がおかしいのか、管狐は口角を上げた。

『コ、ンギ、ガ、ハジ……マル、ゾ』
「……コンギ?」

死にかけの分際で、と腹が立ち、首に回した指に力を込めるが、続けられた言葉に指から力が抜ける。
コンギ? コンギって――一体。

「どういう、意味」
『ケケ モウオソイモウオソイゾ ニンゲン』
「質問に答えて」
『モウスグダ』
「ねえ」
『モウスグキュウビサマノコンギガハジマルゾ ケケケケ――……』

手が空を切り、不快な笑い声と共に管狐が消えた。

「――九尾?」

今、九尾って言っ、た? 何でこの状況で九尾の名前が出るの? 待って。もしかして、今の管狐は誰かの所有物ではなく――九尾の使い魔……? いやいや、だから何で九尾の使い魔がこんな所に居るのよ。それならただの戯言……? でも管狐が嘘をつく意味も、九尾などと言う単語を軽々しく口にするとも思えない。
何か、頭の隅に何か引っかかっている。

『コックリさんやってる最中に……』

まさか。
馬鹿馬鹿しいと切り捨てた仮説が成立、した……の?
本当に鼻で笑ってしまう位馬鹿らしいけど、そう考えると学校に蔓延していた死霊にも納得できるのもまた事実。
だけど九尾などという大妖怪をそう易々呼び出せる筈がない。それも一介の人間が。

『凛様……』
「…………」

でも色々条件が揃えばあり得ない話も反転する。

「どうかな――Aさん?」
「ひっ!!」

真相を聞こうと先程から視界の端でもぞもぞ動いていたA子に顔を向ければ、彼女は大袈裟なまでに身体を震わせた。

「最近コックリさんとか、似たようなことやったかな――?」

ありえないことを如何にして成し遂げたのか、ただの人間がどうやって条件を揃えたのか興味が湧いた。
だけど待てど暮らせどA子から返事が返ってくる気配はなく、教室にはただA子の嗚咽がBGMのように流れているだけだった。
生憎、私はそこまで気が長い方ではない。
無意識に出ていた溜息が聞こえたのか、A子の肩が大きく振れた。

「噂になってるコックリさんをやったのって貴方? やろうって言ったのも――そうかな?」

もしかしたら遠回しに聞いたのが悪かったのかと思い、今度は直球で投げてみる。
それでも何も言わないA子に一字一句聞かせるように同じ質問を繰り返す。これでもし何の返答も得られなければ、回れ右をしてここから出ていこう。やるべきことは終わっている訳だし、原因を究明する義務はなく、言ってしまえばこれはただの好奇心だ。
A子の口元に視線を送る。
一秒二秒三秒。
A子の口は欲しい形を作ってはくれなかった。
――もういいや。
確かに興味はあるけど、何が何でもって程じゃないし。
後頭部を掻きながら、出口に向かう。


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