とある少女の怪異録 | ナノ

27

「おーおー、中身がこんにちはしてるよ――この狐野郎」
「い、いや――ッ!!」
「八神お前ッ、人の、はな、し……を――ひぃ!!」

A子の腹部辺りから極太の腕がーーいやこの場合は足か、が一本生えている。
彼らの目にどう映っているかは分からないが、力もない人間にも視えていると言うことは、それだけ喰われていると言う意味で、それは時期に孵化することを物語っている。
しょうがない。
全身バイブレーションと化してる教師に向きなおる。

「な、なな何なんだ、ああれは……」
「今から応急処置をするので黙ってその場所から一歩足りとも動かないで下さい」
「は、おきゅ、う、って……え」

狐憑きからそこそこ距離のある教師はそれ程問題ではない。
――問題は。
緑間君と女子生徒二人の位置を確認する、と不安分子だった腕を咬まれた女子生徒は床の上で伸びていた。悲鳴を上げた後で、あまりの恐怖に意識が飛んだのだろう。
注意する手間が省けて助かった。
そうなると伝える人間は一人だけ。

「緑間君、その場でジッとしててね」
「……わ、わかっ、た……」

緑間君の目を真っ直ぐ見て伝えれば、緑間君はぎこちなくもすんなり頷いた。
まあ、そんな注意を促さなくとも目の前で中身を視てしまったであろう緑間君は腰が抜け、動きたくとも動けない状態だろうけどね。普通の、こういうことに対し免疫のない人にはかなり刺激の強い、恐怖以外の何物でもない光景だと思うし。
ーーそれにしても。
怖いと思うことに文句は一切ないが、黙ってと言ったにも関わらずやんややんや口を閉じる気配のない教師にはどうしようかと溜息が出る。
意味あり気にこちらを見ているヨリに、ほっとけと首を振る。
煩いと多少集中力が落ちるけど、いた仕方ない。ただ口のみならず足まで動かしてしまったらそれはもう、先生の自己責任だ。
私は言ったのだから――その場から動くな、と。
それにこれは依頼でも何でもなく、ただの自己防衛の一環。だからあくまで緑間君達はついでだ。ついで。

「ヨリ、緑間君達の前二重にかけて。アンタは外側で待機ね」
『でッ、ですが!』
「待機ね」
『……御、意』

不服ですと副音声で聞こえてきそうな声色を響かせつつも、瞬き一つしている間に見事な障壁を築いたヨリは式の鏡だ。
外の事はヨリに任せ、口を開き狐憑きに近づく。

「オンビシビシカラカラシバリソワカナウマ……」

金縛りの言葉を唱え始めた直後から漏れだしていた中身の動きは鈍くなり、難なく狐憑きの傍まで歩み寄れそうだ。

「……ダバサラダセンダマカロシャダ……」

ハッキリ視えていた中身は動くどころか、その姿すらもぼんやり薄らいできた。そして狐憑きを見下ろす位置に辿り着く頃には中身はなりを潜め、動きたくとも動けない狐憑きが目で威嚇を繰り返すだけとなった。
私を喰い殺したくてしょうがない、そんな狐の殺気は駄々漏れだけど、所詮は気配だ。そんなもの向けられたところで痛くも痒くもない。

「……タラタカンマン――」

己の不運を呪えと鼻でせせら笑いながら狐憑きの額に指を置き、最後まで唱え終えると狐憑きは白目を剥いてそのまま後ろへ倒れた。
ピクリとも動かない狐憑きを見下ろし、息を吐く。

「ヨリ、もういいよ」
『……どれ程大人しくしているでしょうか』
「さあ、結構適当だし、三、四十分ってとこじゃない」
『……凛様、私はッ』
「八神今すぐ説明しろ!! 何が起きたんだ。な、何ださっきのは!」
「先生、説明ならその子に聞いた方が良いですよ」

いつから気がついていたのか隅で膝を抱え、震えているB子と呼ばれていた女子生徒を指差す。

「私はただ連れてこられただけですから、ねえ緑間君」
「しかし、お前が、」
「ですから詳しいことは彼女に聞いて下さい」

緑間君の同意を得られる前にグダグダ始まりそうだった戯言に、それ以上聞きたくないと科白を被せれば不愉快とばかりに教師の眉間にシワが寄せられた。
無理矢理連れてこられた上に、出したくもない手を出し更に説明とか、こんな一銭の得にもならないことに貴重な時間を割きたくはない。時は金なりって言うし、私の時間をタダでは使わせない。
それに説明も何も、視たまま受け止めればいいと思うよ。うん。

「それでは私はこれで失礼します」
「は!? 何処へ行くつもりだ?!」
「え、帰りますよ?」
「こんな状態で帰るなどよく言えるな! 友人が大変な目に遭って何とも思わないのか、ええ!!」
「友人? 誰がですか? 私の友人はこの中にはいませんけど。それに私言いましたよね。私はただそこで伸びている子に連れてこられただけだって」
「八神、お、まえ」
「あと先生達も早く帰った方が良いですよ――此処にいると擦り傷だけでは済まなくなりますから」

それは自分の目で視て分かっている事と思いますけど、と続け、それじゃと背を向けると同時に教室に響く程の足音が聞こえたかと思えば、数歩進んだだけで直ぐに行く手を阻まれた。強い力で掴まれた肩が痛い。
まだ何か、と首を後ろに捻れば、意外にも掴まれた手の先にいたのは怖い顔をした緑間君だった。
瞬間移動だね緑間君。

「ーーどういう意味だ」
「…………」
「擦り傷だけでは済まないとはどういう意味なのだよ、答えろ八神ッ」
「どういう意味もなにも、言葉の通りよ」
「お前は彼女のアレを消したのではないのか!」
「してないよ。私がしたのは一時的に抑え込んだだけ」
「――抑え込む?」

会話に絡んできた教師に視線を向ける。

「はい。あのままだと孵化しそうだったので強制的に眠ってもらいました」
「ふ、か――?」
「八神、お前は一体何を言って……」

二人から返ってきた科白は違うけど、一様に意味が分からないという様な顔をされた。勿論それが至極当たり前の反応で、一般人が知っている筈がないということは分かっているけど、一秒でも早くこの場から立ち去りたい身としたら面倒という感想以外持てない。
ただこのまま何も答えずこの場から退散しても後々更に面倒な事になる気もするし、もうどう転がっても七面倒臭い事には変りはない。
そう考えると、今この場で説明した方が利巧、かな。いや利巧だろうね。
それに緑間君が私を見る眼が怖い。さり気なく逃げ道を塞ぐように立つあたり、どういうことか説明するまでこの場から逃がさないと言っているようだ。
それにしても意外だな。
緑間君が普通の人とは若干違う感性を持っているということは短い付き合いの中でも分かったけど、それで私は何となく緑間君は自分に関係ないことにはそっぽを向くタイプの人間だと勝手に思っていた。
意外と他人を気遣う、人間味のある人なんだと緑間君に対する認識を改める。
説明するからそんな睨まないで、と緑間君にチラと視線を投げ、先生に向き直る。
本当意外だね、緑間君――。

「先生、狐憑きってご存知ですか?」
「狐、憑き……ってあれか、あの……」

そこからですか。
言い淀む先生に溜息が出そうになった。勿論飲み込んだけど。
狐憑きがどういうものかくらいは一般人でも知っているかと思ったけど、それほど認知度は高くなかったのね。
でもそれもそうか。狐憑きなんてホイホイ出てくる話題でもないし。
黙って次の言葉を待っている緑間君は知ってるみたいだけど。

「簡単に言うとキツネの霊に憑依された人間または狐に憑かれたといわれる人間の精神が錯乱した状態を指します」
「錯、乱?」
「ええ。例えばキツネのような行動をするとか、あらぬことを口走ったりとか、要は普段ならしないような異常行動のことです。そしてさっきの彼女の行動がそれに該当します。但し殆ど場合、それらの原因はキツネではなく――ただの精神疾患です」
「それなら、」
「先生は彼女が“ただの”精神疾患だと思いますか? 私は、殆どの場合そうだと言っただけで、全てが精神疾患で片付くとは言っていません」

「だが」「しかし」とまごまご口籠る先生から狐憑きに視線を移す。

「残念ながら彼女は前者です。そして時期に孵化します」
「孵化って、八神あのな、そんな嘘か真か分からないような子供の作り話、教師であるオレが信じると思って、」
「――本当にそうですか? 先生は今のが作り話だと、本当に思いますか――?」

実際自分の目でも視たでしょ、と先生を見れば、先生は視たものを思い出してか、顔を強張らせた。
すると黙って私と教師のやり取りを聞いていた緑間君が何かに気づいたように口を開いた。

「ちょっと待て。ならばただ抑え込んだだけのアレはどうなる。それに孵化とはどういう意味なのだよ。ただ狐に憑かれているだけではないのか?」

質問すれば何でも答えてくれるみたいな空気が漂っているけど、偶には自分の頭で考えるのも悪くないと思うのよね。
それに察しの良い緑間君ならそれが何を意味するかなど言わなくても分かるよね、と口を噤んだまま緑間君を見上げる。
無言でお互いを見つめ合うこと数秒、緑間君は息を呑み、目を見開いた。
緑間君は口元を震わせながら「まさか」と音のない言葉を作った。
うん。多分当ってるよ。


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