とある少女の怪異録 | ナノ

26

「おい何処に行く気なのだよ! というか廊下を走るなッ」
「早く、早くッ」

真っ当な事言ってるキミも走ってるからね緑間君、とは言わない。今、口開くと舌噛みそう。
何の対処も出来ないまま、してくれないまま渡り廊下を走り抜け、A棟に足を踏み入れてしまった。
一般教室……?
一年の教室が並ぶフロアーまで階段を下り、一つの教室の前で女子生徒の足が止った。

「B子ッ、A子の様子、は、ど……う、B、子……?」

そして女子生徒は今まで離さなかったのが嘘のように簡単に私の腕を解放し、私達を廊下に置き去りにし教室の中へ駆け込んだ。

「一体何なのだよ」
「そん、な、の……あの、子に、聞いて……よ」

ぜーはーと息が上がる。
これが日頃の運動不足の結果か、と膝に手をつく。というか同じ距離を走った緑間君が何故そう涼しい顔をしていられるのか不思議で仕方なかったが、そういえば彼バスケ部だったなとついさっき頂戴した情報を思い出した。
次第に呼吸が整ってくる。
だけど今度は息苦しさで誤魔化されていた痛みが、いや痛いというより強く掴まれ過ぎてジンジン痺れている。
どうしてこんなことに、と顔を顰め感覚の鈍い腕を摩っていると、眉間に寄せたシワが更に深くなるような臭いが鼻腔を満たし始めた。
ホント――どうしよう。
開きっぱなしのドアの向こうに視線を向ける。

『凛様、狐です。中に狐憑きがおります』
「……だね。獣の臭いがぷんぷんするよ」
「は? 獣?」
「此処まで臭いが届くって事は――そろそろだね」
「おい八神、お前は何を、」
『先程の人間はこれを伝えにきた、と言うことでしょうか』
「さあね。理由が何であれ私には関係ない事だし」
「八神――!! お前はさっきから何を、誰と話してい、」
「何でよ――ッ!!」

さあ行こうか、と教室に背を向けた瞬間廊下に女の子の叫びが轟いた。それは勿論背を向けたばかりの教室から、だと思う。
だからと言ってそのまま足を止めないでいたのなら私は無関係で居られた筈だった、が足は止まっていて、肩には誰かの手が逃がさないとばかりに乗っていた。
そろりと手の先を辿れば、緑間君が険しい表情で教室を凝視している。

「何だ今の叫び声は」
「え、なんの事? 何も聞こえなかったわよ。幻聴が聞こえるなんて、緑間君疲れてるんじゃない?」
「何があったのか見に行く必要があるのだよ」
「お一人でどう、ぞッぅ、わっ」

見に行く必要があるのだよ、とかカッコいい事言うんだったら自分から入るべきじゃないかな、と肩から背中に下りてきた掌に押され緑間君より先に教室に足を踏み入れたとき強く思った。
というか――本当に臭いわね。
教室内は廊下にいた時とは比べ物にならないほど獣の臭いが充満している。ヨリも袖で鼻を覆うくらいだし、相当癒着が進んでるな、これ。
臭さに嘔吐く仕草をしていると背後で咽喉が鳴った音が聞こえ、意識を嗅覚から視覚へと移す。改めて教室を見渡せば私をここまで連れてきた女子生徒が跪き、床に倒れている誰かを揺さぶっている。
それってやって大丈夫なのかな。揺さぶっているのに反応を示さないという事は気を失っているという事で、その原因が頭を打った事によるものだとしたら動かすのは賢明な判断じゃない、と以前読んだ小説に書いてあった。
綺麗に並んでいたであろう机や椅子も乱れ、中には横倒しになっているものまである。
ただ、倒れている子が呻き声を上げたのが聞こえ、取りあえず息はしているようで何よりだ。
そして女の子と教室がこんな有様になったと思われる原因――教卓の上にしゃがんでいる女子生徒、に視線を向ける。

「ねえB子大丈夫!! どうして、何でよA子!」
「おい動かさない方が、」

散々揺さぶっているのを見ていて今更な注意をする緑間君を横目でチラ見し、すぐに視線を戻す。すると女子生徒は揺する手を止めスクッと立ち上がり、教卓の方へ近づいていく。そして今度はA子と呼んでいた女子生徒の両肩を掴み、揺さぶり始めた。

「A子! ねえどうしちゃったの!! なんでこんな事するのよ!!」
「うるさい にんげん うるさい」
『いけない!!』
「あ――」
「ッ――痛いッ!!」

拙いなと感じたその予想は見事的中し、がぶりッと音が聞こえてきそうなほど強くA子が女子生徒の腕に咬みついた。
あーらら。
女子生徒は痛さに顔を歪めながら腕を押さえ、その場に蹲った。彼女に駆け寄る緑間君の背中を見送る。
そして教卓の上に座りつづけるA子は何事もなかったように、動物が毛繕いでもしてるような動作を始めた。
その様子は人間が演じていると言うより動物そのものだ。

「おい大丈夫か!?」
「う、う」
「何故こんな事をした! それに今すぐ教卓から降りろ!」
『いけない人間! 凛様!!』

今の状況で教卓から降りろと咎めた緑間君には感心するばかり。決して嫌味ではなく、こんな状況でも我を忘れないでいられるのは大事だ。
だけど緑間君がA子に話しかけてしまった所為でA子の意識が緑間君に向いてしまったのはあまりいい状況とは言えない。 注意するつもりはなかったけど、届かない声を上げるお人好しのヨリに免じて一言だけ伝える。

「緑間君――早く逃げた方が良いよ?」
「は……ぬぅわッ――!!」

忠告した直後、まるで見計らったかのようにA子が緑間君目がけ飛びかかったが、間一髪緑間君はそれを避けてみせた。
さすがバスケ部。いい反射神経を持ってるわね。

『……凛様、如何なさるおつもりですか?』
「そうだねー」
『……孵化してしまったら最後、あの人間は、』
「死ぬね」

A子から目を離さぬままヨリの科白を奪い続きを答えれば、案の定ヨリは沈黙した。
無言の訴えか知らないけど、そんなことされた所でこっちだって慈善事業じゃないんだし、兄のように誰彼構わずホイホイ手は出さないよ、って知ってる筈なんだけどね――アンタは。
A子に視線を注ぎ続けるヨリの横顔をチラと見上げる。
まあ払うもんさえ払ってくれれば話は別だけど。
でもまあこんな所で、というか目の前で始められたら困るのもまた事実。
どうしようか考えていると微かにキュッキュッと床が擦れる音が聞こえ、しかも段々とこっちに近づいている気がした。というか近づいている、それも結構な速さで。微かにしか聞こえなかった足音は荒々しく床を蹴る音へと変わり、目的地はここだろうなと思っている間に背後から第三者が介入したことを知らせる声が聞こえた。

「一体何の騒ぎだ――!! お前、た、ち……」

後ろを振り返れば入口から一歩入った場所に、学年主任が困惑した表情を浮かべ立っていた。
それはそうだ。一人の女子生徒は身じろぎせず床に横たわっていて、一人の女子生徒は何だか痛そうに腕を押さえながらしゃがみ込んでいて、一人の女子生徒は四つん這いで男子生徒を威嚇していて、そして男子生徒はへっぴり腰で四つん這いの女子生徒と対峙してるときてる。
この有り様を見ればこの教師でなくとも誰だって、私だって言葉を失うと思う。そして私は何も見なかったことにし、そのまま回れ右でもと来た道を戻るだろう。いわ今だってそうしたいのは山々なのだ。
にしても先生――タイミング悪いなあ。
この状況で良いも悪いもないけど、今以上に状況が悪化するのはどうしても避けたい。唯でさえ孵化前で気が立っている狐憑きのことだ、何をやらかすか分かったものじゃない。
最悪、そのまま孵化に移行する可能性も低くはない。
目の前で孵化だけは絶対避けたい。
だからどうか――狐の機嫌だけは損ねないで下さいよ、先生。

「何だこれは。一体これは……、おい何があった……。誰か、おい緑間説明するんだ――!!」
「先生!!」
『凛様――ッ!!』

失念してた。
苛立っている人は、普段なら何でもないようなことでも簡単にスイッチが入るという事を。むしろ同じ場にいるだけで、耳障りな声を出しただけで――スイッチが入ることだってある。どうやらそれは狐も同じだったみたいだ。
耳元でわーわー騒ぐヨリと、先生を突き飛ばした反動で何処かに打ちつけた肩の痛みに舌打ちしたくなった。
ピリッとした痛みが脇腹に走り目を下に向ければ、すっぱり裂けたカーディガンの隙間からこれまたすっぱり切れているワイシャツに赤いしみがじんわり滲んでいた。
これ位で済んで良かったと喜ぶべきだろうね。

「ヨリ、煩い」
『私がついておきながら凛様に怪我をさせてしまうなど私は、私は……なんて最低な式でしょうか!! なんという役立たず! ああ、どうか私に……――』

うん。もういいや。
自分の世界に入ってしまったヨリから目を逸らせば、目が三角になっている教師と目が合う。

「八神! お前ッ、教師を突き飛ばしてどういうつもりだ!!」

どういうつもりも、こういうつもりもないけど。
そのまま先生の後ろで蠢いているモノに焦点を合わせる。


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